18、命を救うということ
ヒデカツの心配をよそに、木の扉を越えてガスが入ってくることはなかった。
おそるおそる窓の外を眺めても、空がぐずついていること以外に先ほどまでと変化はない。なにが起こったのかはわからないが、今のところは安全のようだ。
「ルーネ、治療できるか!?」
屋外への注意を続けながらヒデカツは呆けているルーネに声を掛ける。少女の命は風前の灯だ、一秒でも早く治療しなければ死んでしまう。
ルーネがそういった術を扱えるかは分からなかったが、現状、彼女を助けられるものがいるとすれば魔術師であるルーネだけだ。
状況を察した店主はすでに道具を取りに、建物の二階へと駆け上がっていた。
「は、はい! でも、私は術を学んだだけで実践したことはなくて……その……」
「わかった。それで十分だ、信頼してる」
弱気になったルーネをヒデカツはそう励ます。
この場で少女を救うことができるのはルーネだけだ。他に選択肢がないのは事実だが、それを抜きにしてもヒデカツは彼女を疑ってはいなかった。
「……わかりました。私、やります」
そのヒデカツの考えはルーネにも伝わっている。
誰かに信じてもらうことなど彼女には初めてだったが、それがどれだけ得がたいことなのかは理解できていた。
「……ま、まずは精神を接続して、生命力を循環させます。上手く生命力を補充できたらとりあえず死は避けられます」
左手の手袋を外しながら、ルーネは手順を口にする。
緊張に指先が震えている。命を奪った経験はあっても、救うのはこれが初めてだった。
「オレは何をすればいい、何か手伝えることは……」
「ひ、左手で、わ、私の手を取って、それから旦那様が右手で彼女の手を握ってください。私が直接触れたら殺してしまいますから……」
「お、おう、これでいいのか?」
ひんやりとした手を握って、死に掛けの少女にしっかりと触れる。二人とも異常な状態ではあるが確かに生きていた。
「少し痛むかもしれません……すいません……」
「必要なことなんだから謝ることじゃない。それより、早く――っ!」
そう口にした瞬間、ヒデカツの全身に鋭い痛みが走る。電流を流されたように舌先まで痺れた。
「――”接続開始、循環。生命力の充填を開始”」
「……なるほど、こういうことか」
数秒するとヒデカツの右手が熱を帯び、金色の光を発する。ヒデカツの意志でやっているわけではない、感覚を繋いだルーネがこれをやっているのだ。
掌から広がった光はまゆのように少女の全身を包み込んでいく。
おそらくこの光が生命力だ。ルーネがこれを吸収しているというなら操作できたとしてもそうおかしなことではない。
「……驚いたな、こりゃ生命力の操作か……」
二階から降りてきた店主がそう驚きを口にする。彼なりに気を利かせたのだろう、手には清潔な白いタオルと毛布が握られていた。
「そんなに凄いのか、これ」
「お前さん驚くほど何もしらねえんだな……本当、どこから来たんだ?」
「……そういうおっちゃんは色々知ってるんだな」
「これでも昔は許可証持ちの冒険者だったんでな。いやでもいろいろ知るはめになったんだよ」
ルーネに水が必要か確認しながら、店主は自らの過去をあっさりと明かしてみせる。
指示通りに物品を用意していく手際はヒデカツの目から見ても手馴れていた。
「生命力の操作は魔術の中でも一番難易度が高いんだ。他人に譲渡するにせよ、奪うにせよ並みの魔術師には無理だ」
「な、なるほど、そんなに凄いのか、その生命力って……」
「人間を含めたあらゆる生物を活かしてんのが生命力だからな。こいつを操作できればどんな生き物でも生かすも殺すも自由自在だ」
「……そこまで便利でも万能でもありません」
店主の言葉に黙って集中していたルーネがそう付け加える。
話に加わりながらも決して気は緩めていないようでヒデカツと繋いだ左手は微動だにしていない。
「……っぅ」
すこしすると微動だにすることもなかった少女がうめき声を上げる。意識こそ戻ってはいないが、呼吸と脈拍は安定していた。
「落ち着いてきたみたいだな……」
「いえ、ここからです。きちんと身体を治さないと衰弱死してしまいますから……」
ヒデカツの手をしっかりと握りなおすと、ルーネは再び治療に専念する。眼帯の下にはかなり汗をかいているようだった。
「少し、多くもっていかなければならないと思います……旦那様は大丈夫でしょうか?」
「あ、ああ、オレなら問題ない。気分も悪くなってないから、好きなだけもっていってくれてかまわないよ」
ルーネの確認にヒデカツは、力強く頷く。
加護おかげか、重要なものを吸われているというのにヒデカツは何の苦痛も感じていない。むしろ、こんなに容易く事がすんでしまっていいのか、不安になっていたくらいだ。
「では、本格的に繋げます。お見苦しいものが見えたらすいません……」
「いいからやってくれ。君に任せる」
「はい……”契約、感覚共有。術式固定”」
ルーネが何事かをつぶやいた次の瞬間、英勝の視界は暗転した。
この世界に来る前の落下を思い出す果てのない暗闇、そこには無数の光が浮かんでいた。
まるで満天の星空に浮いているようだ。前後左右どこに視線を向けても、きらびやかな光には少しの陰りもない。
「これは……」
光を見つめていると、その中に無数の光景が万華鏡のように映し出されているのが分かる。
夕焼けの教室や自室の天井、忘れがたい病院の廊下まで彼の人生そのものがそこにはあった。
けれど、その中には見慣れないものもある。無数に立ち並ぶ墓石や蝋燭、そしてルーネによく似た黒髪の女性。何もかもに見覚えがないというのに、どこか懐かしかった。
おそらくこれらはルーネの記憶だ。互いに感覚を共有したせいで記憶までもが混ざり合ってしまったのだろう。
「……すごいな」
まさしく魔法そのものな光景にヒデカツは息を呑む。今まで多くの信じられないものを見てきたが、この星空は今まで見てきたものの中で一番素直に賞賛することができた。
「いや、今はダメだ……」
目の前の光に手を伸ばそうとして、ヒデカツは自分の今している事を思い出す。
今はあの少女の治療の最中。この光景がなんであるにせよ、治療の一環であることは確かだ。
ならば、余計な事をしないほうがいい。感傷に浸ったせいで少女を助けられなかったなど目も当てられない惨事だ。
「”…………接続解除。術式停止”」
それから数秒後、ルーネの苦しげな声と共に視界が回復した。
目の前には先ほどの少女が横たわっている。先ほどまで土気色だった顔には生気が戻り、外傷も完治している。
治療は成功したのだ。
「……やったな、ルーネ。君のお手柄だ」
「い、いえ、私なんて……でも……よかった、成功した……」
その様子を見て二人は胸を撫で下ろす。まだ完治したわけではないが、少なくとも峠は越えた。
瞬く間の出来事ではあったが、二人は確かに一つの命を救ったのだ。
騒がしかった酒場にひと時の静寂が訪れる。外から聞こえてくるのは砂漠に降る雨のしとしととした音だけだった。




