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第50話 ヘルズエクリプス

オリビアの赤い剣先から、血が一滴、床に落ちた。


静まり返った教会に、その音だけがやけに大きく響く。


ヴィーゴは膝をつき、口元から血を垂らしながら笑っていた。


「……クク、ハハッ……いい顔だ、オリビア」


オリビアはヴィーゴを見下ろした。


「まだ笑えるのか」


ヴィーゴはゆっくりと立ち上がる。

その傷口は、わずかに白い光を放っていた。


ミラがオレの袖を掴んだ。


「翔くん……なんか変」


「ああ」


オレも感じてた。


「なあ、ミラ。あいつの守神って誰だっけ?」


「アプリには、バルドルって」


「バルドル?」


「光と祝福の神」


光と祝福の神ねぇ……。


ミラの声が、わずかに震えた。


「……でも、あの光……なんかおかしい」


ヴィーゴが口元の血を指で拭って、ニタリと笑う。


「さすがだ、ミラ・アスクリンド。よく見えてるじゃねえか」


オリビアの目が細くなる。


「ヴィーゴ……何を隠している」


ヴィーゴの傷口を覆っていた白い光が、じわりと黒く滲んだ。


暖炉の火が、黒く収縮する。


ミラが息を呑んだ。


「……やっぱりあの守神……」


「ああ。ありゃ光じゃねえ。あれは──死の気配だ」


オリビアが踏み込んだ。


「死に行く貴様のことなど、どうでもいい!」


その瞬間、ヴィーゴは両手を床についた。


「落ち着けよ、オリビア」


ミラが身を乗り出す。


「翔くん! あれ、翔くんの──」


「ああ。ワールドエラー……」


ヴィーゴが力を込めた瞬間、空間が歪む。


《神技ヘルズ・エクリプス使用》

《ヘルヘイムによるフィールド侵食開始》


オリビアの足が止まった。


「なんだ!?」


地響きと共に、崩れた教会の景色が黒い霧と青白い炎に変わる。


一面に死霊の気配、地面から伸びる手。


ノアの顔に動揺が浮かぶ。


「こ、ここは!?」


アイリが呟いた。


「ヘルヘイム」


ヴィーゴは、ゆっくりと手を伸ばした。


オリビアの目の前に、黒い影が浮かぶ。


「フハハハハ! 慌てるな、オリビア! ゆっくりとヘルヘイムに堕ちるミッドガルドを眺めておればいい!」


黒い影は徐々に大きくなり、輪郭を作っていく。


ヴィーゴは、ニヤリと笑って背を向けた。


「オレが世界を治める、その瞬間を見ていろ──絶望の淵で、な」


そういうとヴィーゴは、闇の向こうへ消えた。


「待て、ヴィーゴ!!」


オリビアが叫ぶと同時に、目の前の影がガチャッと鎧を鳴らした。


ひび割れた鎧の隙間から、青白い死火が脈打っている。


《敵性存在:確認》


オレは拳を握って、身構えた。


「なっ、なんだコイツ!?」


《敵性存在:分析》

識別名:HEL JUDGEヘルジャッジ

分類:上位死霊兵

危険度:A


「翔くん!」


「囲まれたな」


教会の壁をすり抜け、無数の影がオレ達を包囲した。


《敵性存在:分析》

識別名:DRAUGR SOLDIERドラウグル・ソルジャー

分類:中位死霊兵

危険度:B


前にヘルジャッジ。

左右と背後にドラウグル・ソルジャー。


逃げ道を潰す配置。

こいつ、最初からオレ達を分断する気だ。


アイリが一歩前に出る。

金の線が指先に走り、細い剣の形を取った。


ノアが、純白の杖を回し構える。


「まずは、雑魚」


オリビアが、ロングソードを担ぐ。


「ダメ。コイツが先。やらなきゃ次が来る」


ヘルジャッジの口元が、わずかに吊り上がった。


「理解が早いな、戦神の器」


「黙れ」


オリビアの足元で、赤い衝撃が弾けた。


次の瞬間、オリビアの姿が消える。


ヘルジャッジの喉元へ、赤い剣閃が走った。


ガギィン!!


だが、ヘルジャッジは片腕の大剣で受け止めた。

火花ではなく、青白い死火が散る。


重い。


オリビアの眉が、わずかに動いた。


「……ッ!」


ヘルジャッジの空いた手が、オリビアの腹を殴り抜く。


「ぐっ……!」


吹き飛んだオリビアが、床を滑って体勢を立て直す。

その背後に、ドラウグル・ソルジャーが三体、同時に踏み込んだ。


「させるか!」


オレは地面を蹴った。


一体目の顔面に拳を叩き込む。


《グリーンインパクト》


緑の衝撃が、至近距離で炸裂した。


「ギャアアッ!?」


砕けたドラウグルの身体ごと、背後の二体まで吹き飛ぶ。

壁をすり抜けた死霊兵の影が、黒い霧になって散った。


「翔くん、前!」


ミラの声。


振り向いた瞬間、ヘルジャッジの大剣がオレの頭上に落ちてきた。


「うおっ!?」


間一髪で身を捻る。

床が爆ぜ、黒い亀裂が走った。


重すぎる一撃。

まともに食らったら終わる。


ノアが白杖を振り抜く。


「足を止めろ!」


純白の光輪がヘルジャッジの脚に絡みついた。

一瞬、動きが鈍る。


そこへアイリが低く滑り込む。


「穿つ」


金の細剣が、鎧の脇腹の継ぎ目を正確に突いた。


ギィィン──!


嫌な音。

だが浅い。


「硬い……!」


ヘルジャッジの兜の奥で、青白い火が揺れた。


「無駄だ」


次の瞬間、ヘルジャッジの全身から死火が膨れ上がる。


ミラが叫んだ。


「翔くん、来る! 足元から!」


ヘルジャッジが放った青白い衝撃が、円形に弾けた。


「っ、ぐあっ!」

「きゃっ!」

「くっ……!」


オレ達はまとめて吹き飛ばされた。

背中を打ち、肺の空気が抜ける。


痛ぇ……!


視界が揺れる。

霧と死火で、前がよく見えない。


──それでも。


立ち上がろうとした時、視界の端でオリビアだけが前に出ていた。


赤い剣を右手に下げたまま、

ヘルジャッジを真正面から睨んでいる。


「……戦神の器」


ヘルジャッジが大剣を構える。


「ヴァナヘイムの残気よ」


ヴァナヘイムの残気……。


オリビアの目が、さらに赤く細まった。


唇がわずかに震えた。


「ヘルヘイムの奴隷が……」


足元の赤い光が、脈を打つ。


「……今、なんと言った」


オリビアは、片手で持っていたロングソードにゆっくりと左手を添える。


ミラが静かに呟いた。


「オリビアさん……初めて両手で剣を」


ヘルジャッジは、大剣を肩に担ぎ、オリビアを見下ろした。


「ヴァナヘイムに取り憑かれた妹の残気と言ったのだ」


オリビアは両手で握った剣を高々と掲げた。


「残念だけど、アリスは死んでない。お前らがどうしようと──」


キンッ。


高く、澄んだ音。


オリビアの右手の小指と左手の人差し指に嵌められた指輪が触れた。


二つの指輪は淡い緑に光った。


小さく──そこにある何よりも、眩しく。


「翔くん、あの指輪!」


「ああ。アリスの意思……」


ヘルジャッジが、踏み込む。


振り下ろされる大剣。


オリビアはロングソードを地面に突き刺し、叫んだ。


「もうアリスの意思は誰にも奪えない!」


青白い死火が、ぴたりと揺れを止めた。


教会の闇が、一瞬だけ静まった。

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