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第49話 赤い瞳の裁き

「……全員、動くな」


 オリビアの低い声が、墓地の冷たい空気を止めた。


 誰も動かなかった。


 ゼルの足音は、もう闇の奥に消えている。

 追えば届いたかもしれない。


 ノアは悔しそうに舌打ちし、拳を握りしめる。

 ヴィーゴは荒い息を吐きながら、ゼルの消えた闇を睨んでいた。

 アイリは腹を押さえたまま、無言で金の剣を消す。光がほどけ、墓地の霧に溶けた。


 ミラが小さくオレの袖を引く。


 「……翔くん。今は追わない方がいい」


 「ああ」


 オレもそう思った。


 さっきまでの戦いの熱が引いて、代わりに湿った土の匂いと、焦げた臭いと、嫌な静けさだけが残る。


 教会の鐘が風に揺れて、小さく鳴った。


 その音で、オリビアが顔を上げた。


 「教会に戻ろう」


 中は、古い木の匂いと、溶けかけた蝋燭の甘い匂い。

 暖炉の火はまだ残っていた。


 アイリは端の椅子に腰を下ろし、腹を押さえたまま俯く。


 ノアはすぐには座らなかった。

 ヴィーゴも腕を組んだまま立っていた。


 重い沈黙。


 オレとミラは、アイリの両脇に腰掛けた。


 オリビアは暖炉の前で立ったまま目を閉じ、ひとつだけ深く息を吐いた。


 「ゼル・モルディガン……」


 そう呟くと、再び押し黙った。


 ノアが舌打ちをしてヴィーゴを見上げた。


 「チッ。なんで止めたんだ、ヴィーゴ」


 「いや、まだ何も真相がわからないのに、アイツをやってどうするんだ?」


 「やるなんて言ってない。捕まえて真相を聞く」


 ヴィーゴは、オレを指差した。


 「ワイルドブラッドがやっちまうとこだっただろ!」


 「二人とも、やめろ。ヴィーゴ、止めた判断は間違ってない」


 オリビアが二人を制した。


 オレは、ゼルの言葉を思い出していた。


 ──ヘルヘイムの死霊を呼び出す邪教集団。

 そう呼ばれてるの、知ってるか?


 ──ヴォルヴァ会にそう呼ばれちゃおしまいだ。


 「やっぱり背後にヴォルヴァ会がいるのか……?」


 オリビアが小さく頷いた。


 「ああ」


 「予想通りだな」


 オリビアは首を振った。


 「ありえない」


 「ん?」


 「あのヴォルヴァ会が、ゼル一人を捕まえて暗殺を依頼するなんて……ありえない」


 ノアがメガネをかけながら歩み出た。


 「確かに。小童のゼルとヴォルヴァ会、あまりにもかけ離れている」


 「もし、なんらかの繋がりがあったとしたら?」


 アイリが小さく呟いた。


 「リスク、高い」


 オリビアが頷いた。


 「うん。ゼルを暗殺に使うなど、あまりにも粗暴。だったらヴォルヴァ会のメンバーやベテランヴォルヴァを使うはず」


 「ゼルの意思?」


 「考えられない。目的が、あの子にとって大き過ぎる」


 ミラが口を開く。


 「まだ作戦を遂行するつもりなら、なんであの子は黒幕を明かしちゃったんだろうね」


 オリビアの動きが止まった。


 「……ミラ。今、なんて?」


 「あの段階で、黒幕を明かすのが、不自然だなって。それに、仲間のアイリをいきなり人質に取る? なんか、それってむしろ……」


 オリビアの瞳がわずかに揺れたように見えた。


 「黒幕の正体を明かしに来た……」


 「なぜ?」


 「私達の目をヴォルヴァ会に向けさせるため」


 「つまり……?」


 「ゼルの上に誰かいる」


 沈黙に包まれた教会。

 アイリがカップを机に置く音が響いた。


 ヴィーゴが、重い空気を壊すように口を開いた。


 「とりあえず、早くゼルを捕まえようぜ! 幸い屋敷の襲撃も怪我人だけで済んでる。仮面でゼルの顔もバレてない。すぐに片付ければ大きな問題にはならんだろ」


 アイリは、オリビアの顔を覗き込んだ。


 「オリビア、大丈夫?」


 「……」


 オリビアは何も言わず拳を握った。


 ノアが、ヴィーゴを見た。


 「ヴィーゴ。お前、今なんて?」


 「なんだよ。すぐに片付けようって言ったんだ。ヴォルヴァ会に──」


 ノアが詰め寄る。


 「そうじゃない。お前、今“屋敷の襲撃”と言ったな。襲撃が屋敷であったと、誰から聞いた?」


 「あん?」


 「怪我人だけで済んだこと。お前、どうしてそれを知ってる?」


 オリビアはヴィーゴを見上げたまま、アイリに聞いた。


 「アイリ。ゼルだけがルーキー会合に出なかったと言ったね」


 「うん。そう聞いた」


 「誰から?」


 「ヴィーゴ」


 「位置情報の確認は?」


 「ヴィーゴ」


 ヴィーゴの目が一瞬揺れた。


 オレの背筋に、さっきの墓地より冷たいものが走った。

 こいつ、今──動揺した。


 「待てよ! オレは新人どもに聞いただけだ! 何疑ってやがる!」


 オリビアは立ち上がった。


 「ヴィーゴ。仮面でゼルだとバレていないと」


 「そうだ! 明細はオレも見た! 衣装店だろ!? 仮面だらけの工房だったって、アイリが──」


 アイリが呟いた。


 「明細に仮面を買ったとは書いてない」


 オリビアが、ヴィーゴに詰め寄った。


 「襲撃当日、犯人が仮面をつけていたことも、私と翔、ミラしか知らない。お前──どこでそれを見た?」


 「……」


 アイリが、立ち上がった。

 オリビアの背後で、腰を落とす。


 オリビアは、ハンドサインでアイリを制した。


 「ヴィーゴ。今すぐ、否定しろ……」


 ヴィーゴは大きくため息を吐いた。

 さっきまでの苛立った顔が、すっと消えた。


 「ふう。ヘルヘイムを監視するオルド・イージス。リーダーのお前が、そんな鈍臭くてどうする?」


 「なんだと?」


 「ヴォルヴァ会は、本気でワイルドブラッドの排除に動く。そうなれば、そいつらを匿ったオルド・イージスなど一瞬で潰される」


 「ヴィーゴ……」


 「オリビア。お前はリーダー失格だ。仲間を危険に晒した」


 ノアが、メガネを外した。


 「弁明ではないな。それは思想だ」


 「フン。仲間を危険に晒すオリビアの思想よりマシだ」


 アイリがピクリと動いた。


 「貴様」


 「オリビア。お前はやっぱり危険だ。アリスと同様に、な」


 オリビアの肩が一瞬揺れた。


 「なんだと?」


 「勝手な思想でミッドガルドを追い込んだアリスと同じだと言ったんだ」


 オリビアは、拳を握った。


 「アリスを侮辱するつもりか」


 「ヴァナヘイムとミッドガルドに均衡をなどと。ふん、バカな女だ、お前の妹は」


 「言葉に気をつけろよ、貴様……」


 「だが、そのおかげで気付いたんだ。自然や均衡などでは世界を保てねえ。世界を支配するのは、ヘルヘイムが適任だってなぁ!」


 オレは、ミラの顔を見た。


 「あいつ、何言ってんだ?」


 「……わからない」


 「ミッドガルドを治めるのは、ヴァナヘイムの力じゃない。ヘルヘイムだ!」


 「一体……何のことだ……?」


 「まだ、わからねえか、オリビア。あの日、駅前で起きたのは暴動じゃない。襲撃だ」


 「襲撃……?」


 「ああ、ヘルヘイムの襲撃。少なくともアリスは、そう思ってデモを展開した。あのデモは戦いのカムフラージュだ! ヘルヘイムとヴァナヘイムのな!」


 ミラが小さく呟く。


 「アリスが狙ったあのドラウグル……」


 「ああ。やっぱりヘルヘイムも関わってたってことか」


 オリビアの瞳が揺れた。


 「そんなはずはない! 私はそんなこと知らない!」


 「アリスは誰にも言ってねえ。あいつは一人でヘルヘイムに立ち向かうつもりだったんだ。理解を拒むお前に言うわけねえだろ」


 オリビアは、一瞬目を伏せた。

 握った拳が、ギリッと音を立てた。


 「……」


 「今のお前は、ヴァナリスを犠牲にして、ヘルヘイムと戦うアリスと同じ! 自分の思想のために仲間を犠牲にしようとしているんだ!」


 「違う! 私は……」


 「フン。違わねえよ。お前は、ワイルドブラッドを招き入れ、ヴォルヴァ会に狙われた。あの自然狂いの妹と、同じだ」


 ヴィーゴの口角が、ゆっくり吊り上がった。

 その顔は、もう仲間の顔じゃなかった。


 「クックックッ、それにしてもアリスは、つくづくバカな女だ。陽動に乗って、最後は守ろうと思っていたミッドガルドに撃たれるとは──笑いもんだぁ、なあ、オリビア!」


 意味は分からねえ。

 でも、今この場で一番言っちゃいけねえことを、あいつが言ってるのは分かった。


 ノアはメガネを畳んだ。


 「ヴィーゴ、これよりお前はオルド・イージスの敵として扱う」


 アイリは黙って、両手を水平に伸ばした。

 指先に金の線が走る。


 臨戦の合図だった。


 オレとミラは顔を見合わせる。


 オリビア。

 どうする?


 「……わかった」


 オリビアは静かに言った。

 指先の震えは止まっていた。


 「それが聞けてよかった」


 「なに?」


 「アリスは……最後まで、街を見捨ててなかった……ミッドガルドを破壊しようなんて思ってなかったんだ……」


 オリビアは、目を閉じると大きく息を吐いた。


 「そのヘルヘイムをそそのかしたのは──」


 ヴィーゴはニタリと笑った。


 「そうだ。あの日、ヘルヘイムを街に流したのも、アリスを戦場に引きずり出したのも、このオレだ!」


 全員の視線がオリビアに刺さる。


 オリビアの目が見開かれた。

 その瞳に、赤が宿る。


 教会の中から音が消えた。


 「わかった──死ね、ヴィーゴ」


 オリビアの声が落ちた瞬間、暖炉の火が、ふっと細くなった気がした。


 ヴィーゴが笑う。


 「はっ……やれるもんなら──」


 言い終わる前。

 オリビアの姿が、消えた。


 「な──」


 次の瞬間、ヴィーゴの頬が斜めに裂けた。


 ヴィーゴの顔から笑みが消えた。


 血が、遅れて噴いた。


 教会の床に赤が散る。


 右手には、いつの間にか赤く光る剣。


 「──っ!」


 赤く光る剣が振り下ろされる。

 次の瞬間、赤い衝撃波がヴィーゴを呑んだ。


 教会が、内側から揺れた。


 衝撃波に切り刻まれたヴィーゴの体から、さらに血が噴き出す。


 ヴィーゴの体が小刻みに震える。

 苦悶の表情を浮かべるヴィーゴが、呟く。


 「ぐぅぅ……戦神、テュール……か」


 オリビアは眉ひとつ動かさなかった。


 「違うな。貴様は──このオリビア・エル・ヴァンガードが裁く!」

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