公爵令嬢、毒が回る。
「──殿下っ!」
すべてがスローモーションのようだった。
変な色の靄を纏った短剣を、殿下の心臓をめがけて突き出す侍従。
ハッとして振り向く殿下。
その殿下を突き飛ばすわたし。
────腕に激痛が走った。
そう言えば、と変に冷静な頭で考える。
二人いる殿下の侍従。
魔獣との戦いの時、本来その身を挺して皇太子を護るべきなのに……どちらもいなかった……?
「ルル!」
お義兄さまの悲痛なお声。
腕が──燃えるように熱い。
息が──出来ない。
「はっ……あ……っ?」
え、え、え、息が、呼吸が。
ぶわっ!と頭に血が上り、汗が浮き出て零れ落ちて床に染みを作った。
五感が鈍り、喧騒が遠くに聞こえる。
殿下の声。
お義兄さまの声。
ぴーちゃんの鳴き声。
シャルや……みんなの……声が……
あれ……わたし、また……死ぬ、のかな……
『ぴぃ────っ!』
『ルルさま!』
──その時、すっかり身体に馴染んだ二つの力が流れ込んできた。
ぴーちゃんと……天后、さん?
あ。
息が、出来る。
めっちゃ苦しいけど。
そこから急に周囲の音がクリアに聞こえるようになって、薄っすらと目を開く。
「……っ!ロックフェルド公爵令嬢!」
殿下……なんでそんな泣きそうなお顔で……。
ゆるゆると記憶が戻ってきて、映画のコマ割りみたいに脳裏を横切る。
……そうだよ!侍従が殿下を刺そうとしたんだった!
それで、えっと、わたしはどうしたんだっけ?
思い出せ、思う出せ……殿下を突き飛ばして……重ね重ね、不敬ですんまそん!
投獄は勘弁して下さいいいい!
だって、だって仕方なかったんだもんっ!
不可抗力です!うわーん!
「でん、か……おけが、は」
「っ!……馬鹿か!君は!」
ちょ、いきなりディスられた。
馬鹿ってなに、馬鹿って。
でも、殿下の瞳が涙で揺れているのが分かると、しゅるしゅると気持ちが落ち着いていく。
心配、かけちゃったんだ。
「──すまない。命の恩人に、私は、ただ……」
「いいえ……ご心配を、おかけして……ごめんなさい……」
「姉上、なにもう治ったみたいに言ってんのさ。いま!現在も!絶賛治療中なんだからね!?治療を止めた瞬間に死ぬ程度には重症なんだよ!?」
真っ赤な目を袖で雑に拭ったシャルに言われて、改めて自分の状態を俯瞰してみる。
仰向けになって、大きいサイズのぴーちゃんにバックハグされる感じで横になっていた。
そして両側に天后さんと……知らない人だけど身につけている制服から皇軍の治療師と思われる若い男性がいる。
じんじんと痛む左腕は傷口が紫色に変色していて気持ち悪い感じになっていた。
うそー、これって絶対に毒が回ってんじゃん……。
どおりで左腕がピクリとも動かないわけだ。
なるほどねー。
いや、なるほど、じゃないか。
『シャルさまの言う通りですよ、ルルさま』
いままで見た事のない厳しい表情の天后さんにも窘められ、しょんもり……。
あうう、ごめんなさい。
動けるようになったら、全方位に向けて謝りますぅ……。
……わたしの気持ちを察してくれたぴーちゃんが、黙って羽根でわたしの顔をほとんど隠してくれる。
うっ、うぅ〜、ありがとね!
そこでハタと気づく。
ぴーちゃんの羽根を、呑み屋の暖簾を「よっ!大将、やってる?」みたいに手の甲で押し上げる。
「あの……犯人、は?」
シン……と周囲が水を打ったように静まり返る。
な、なに?
なんなの、この空気。
見回しても、誰の視線とも合わない。
だって、皇軍の治療師がここにいるって事は、城からの増援が到着したって事でしょ?
それにあの場にはお義兄さまがいた。
なら、殿下の侍従──犯人は捕まってる、よね?
みんなの様子に不安が募る。
やがて、殿下がゴホンと咳払いをして、状況を説明してくれた。
「その質問の答えだが……ひとりは捕縛した。君の腕を傷つけた者だ。だが」
まさか。
「もうひとりは姿を消した」
“もうひとり”
やっぱり、殿下の侍従は二人とも……!
わたしの顔が青くなったのを見て、シャルが慌てて手を握ってくれた。
「心配ないよ、姉上!皇軍と兄上の隊からも捜索隊が出てる。すぐ捕まるって!」
「そ、そうね。少なくともひとりは捕まってるんだものね」
「──そう、だね」
ちょっと?
いまの間はなに?
心配になるじゃないの!
やめてよおぉ!
「大丈夫、大丈夫だから!姉上は自分の怪我の事だけ考えてよ。増援部隊に指示を出し終わったら、兄上もすぐに来てくれるから」
「お義兄さまが……?」
「うん。家に帰ろう?」
わたしは憂鬱な気分で頷いた。
あああ、結局テストを受けられなかったよ……。
まあ、ほとんどの生徒が受けられなかったんだけども。
一番手の殿下はあれだけ戦えたんだもの。
合格は間違いない。
“腰が抜けてたんなら仕方ないネ!合格☆”ってならないかなー。
ならないか……そうか。
「……ルルさま、なにかトンチンカンな事、考えてらっしゃる?」
ギクリ。
バミのジト目から目を逸らして、ぴーちゃんの羽根を閉店ガラガラさせてイタダキマス。
「ルル!」
その声にグッと目頭が熱くなる。
大きな手がぴーちゃんの羽根を掻き分け、わたしの顔を見つけ出す。
「……お義兄さま」
「待たせて済まない!ああ……可哀想に」
辛そうな光を浮かべる目を一瞬閉じて、お義兄さまがわたしの頬を剣を扱う分厚い手で覆う。
「──どうだ」
治療師の男性はひとつ頷き、胸に手を当てお義兄さまに頭を下げる。
「毒の解呪は無事に完了しました。召喚獣の治癒力とは凄まじいものですね……感服いたしました」
「そうか。君の働きにも礼を言う」
男性は黙って先ほどより深くお辞儀をし、他の怪我人のところに向かって行った。
「っ、わっ!?」
急な浮遊感にびっくりして声が漏れる。
お義兄さまがわたしを横抱きにして、スタスタと歩き出したのだ。
「お、お義兄さま!?」
「大丈夫。──私の召喚獣で家まで飛べば、あっという間に着くよ」
いやあのそう言う事を言っているんじゃなくてですね!?
お姫様抱っこをヤメていただきたく……!
「……ロックフェルド大隊長」
殿下の声に、お義兄さまが無言で振り返る。
「私のせいで妹君が怪我をした事、心より謝罪する。その上で……皇城の医療塔での静養を提案したい」
皇城の医療塔!?
それって我が国の医療技術・研究の最先端をいく、主に皇室の皆さまの治療に携わる……あの!?
「ありがたき仰せ。ですが、結界を張り巡らせ、私の召喚獣たちが護る公爵邸の方がより安全と考えます」
「それは……だが」
「少なくとも、逃走中の犯人が捕まらねば、妹も安心して眠る事すら出来ますまい」
殿下が俯くのを見て、チクリと胸が痛む。
あーあーあー、お義兄さまってば男子高校生にはもうちょっと優しくしてあげてっ。
わたしは殿下に声をかけようと──
「……貴方の言う通りだな。妹君の具合を尋ねる事は……許してもらえるだろうか」
「ご随意に。では」
カツカツとブーツを鳴らし、わたしを抱いたまま外へ出るお義兄さまに、シャルとタイガ、ふわりと浮かぶ天后さんとバミが続き、騰蛇は姿を消した。
ぴーちゃんは小さくなってわたしの胸の上だ。
『主』
式神の落ち着いた声がして、とても美しい青い巨大な龍がゆらりと現れた。
その龍──青龍は全員を背に乗せると、まったく振動を感じさせずに飛び立った。
お義兄さまの胡座の中にすっぽりと収まったわたしは、そっと地上に目を向ける。
悲しそうな表情の殿下の姿は、瞬きする間にもどんどん小さくなり──見えなくなった。




