第3話:冴えない会社員・佐藤誠
佐藤が株式会社ジャパンAIファクトリーに社員として潜入調査を始めて半年が経った。
潜入先は総務第三課。
「おい佐藤。あの資料はまだできないのか?」
「あの資料というと?」
「はぁ? 作れって3日前に指示した、明日の会議資料だよ」
「お言葉ですが課長。聞いてませんが」
「言ったよ俺は。聞いてないお前が悪い。じゃあ残業してでも今日中にやれ」
「残業……ですか? 俺、夜はやりたいことあるんすけど……」
「なに言ってんだ。自分のミスは自分でフォローするのが当たり前だろ。それが社会人の責任ってやつだ」
「はぁ……そうですか」
「使えないやつだな。なんで俺の課に、こんな冴えないやつが配属されたんだよ」
課長は苦々しげにつぶきながら、トイレに出て行く。
狭いオフィスには、男二人と女一人が残された。
佐藤は無表情のまま、パソコンに向かって会議資料の作成を始めた。
隣の席の金髪ギャルが憐れんだ目を向ける。
「佐藤君、言い返しなよ。どうせあのカチョー、仕事の指示すんのを忘れてたんでしょ」
目がぱっちりとして鼻筋の通った美人。胸も大きくて色気もある。
そんな女性から話しかけられたにもかかわらず、佐藤──特殊工作員『モブ』は、ほとんど感情のこもっていない声で返した。
「そうですね。でもどうでもいいです」
地味な見た目の冴えない男に言い返されたギャルに、今度は向かいのデスクから30代前半のオタクっぽい男が話しかける。
「ギャル沢さんは優しいな。オタクに優しいギャルなのか?」
「オタクはあなたっしょ。オタク先輩」
「僕の名は奥田であってオタクではない」
「でもいい歳して異世界モノのアニメやらラノベ大好きなんでしょ?」
「いい歳とはなんだ。そもそも異世界モノのメインユーザーは30代40代であって、俺が好きなのはいい歳してとかではなくてまさにターゲットドンピシャの……」
「はいはい。ちなみにあたしはギャル沢じゃなくて、成沢だよ」
肩をすくめて胸が揺れるギャルを横目で見ながら、佐藤は無表情のまま資料作りを進める。
彼は胸の大きな美人と話すのは苦手だ。
というより、女性とコミュニケーションを取るのが苦手。
その中でも特に巨乳の美人ときたら、佐藤にとっては女性っぽさ成分が高すぎる感じが半端ないので、緊張してしまうのである。
「ねぇ佐藤君。カチョーに腹立つだろけど、殺しちゃダメだよ。犯罪だからね。ニッポンのケーサツは有能だから、すぐに捕まっちゃうからね~」
「はい。大丈夫です」
心の中で佐藤はつぶやく。
──俺は本気になれば、あの課長くらい証拠を残さずに殺せる。でもそんなことはしない。
犯罪者じゃない一般人を殺すのは犯罪だからな。
佐藤誠。どこにでもいそうなありふれた名前。
どの佐藤だっけ?と言われる無個性さ。
超一流の特殊工作員、コードネーム『モブ』が名乗る偽名である。
「でも佐藤君さぁ。もしも本気で殺したくなったら、あたしに言いなよ。カチョーを社会的に殺してあげるから」
「それって誘惑して陥れるヤツだよね。ギャル沢さんならホントにやりそうだから怖ぇよ!」
「でもマジで弱いモノいじめするヤツって、許せないんだよね~」
「ありがとうございます」
──成沢さんって見た目も喋り方もチャラいけど、いい人だな。
佐藤はそう思う。
成沢は彼より年下であるが、入社は先なのでこの会社では先輩で、色々と気遣ってくれる。
──ただ俺は、胸の大きな美人は苦手だ。
それに佐藤は、他人のことを気にかけているほど暇ではない。
この会社に社員として潜入して半年が経った。
総務第三課で毎日冴えないサラリーマンを演じながら、何人もの容疑者に接触してきた。そしてようやくターゲット人物を特定するところまできた。
今夜はそのターゲットに直接アプローチをかけ、証拠をつかまないといけない。ミッションもいよいよ佳境を迎えるところだ。
つまり、会議資料など作ってる場合ではないのである。
いや──本当はこれくらいの仕事、あっという間に終えられる。
しかし『冴えない無能な会社員』を演じている手前、それはできない。
ミッション完遂まで、まだこのポジションは維持しておきたい。目立つわけにはいかないのだ。
──仕方ない。今夜の行動はちょっと遅れていこう。サクラなら大丈夫だろう。
陰の工作員として活動する佐藤のパートナー。コードネーム『サクラ』。
彼女なら、きちんとした仕事をしてくれる。
佐藤はスマホでサクラにメッセージを送った。
■佐藤『悪い。ちょっと遅れる。先に始めといてくれ』
送信し終わったタイミングで、課長がすっきりした顔でトイレから戻ってきた。
「ふぅっ……いっぱい出たぞ」
これで社内で『落ちこぼれ社員の掃き溜め』と呼ばれる総務第三課のメンバー4人が再び揃った。
「おっ、佐藤。真面目にやっとるな……おおおっっっ!」
課長のセリフの途中で、突然事務所全体が大きく揺れた。
地震だ! 誰もがそう思った。
しかしそうではなかった。
総務第三課のオフィスは照明が消えて、代わりに床に魔法陣のような文様が光り始めた。
異様な光景だ。
「なんだこれはっ?」 課長が叫ぶ。
「待って、ガチで光ってるんだけど! なにかのアトラクション!? 面白そ~!」 ギャルが素っ頓狂なことを言う。
「これは魔法陣じゃないか! なんの魔法が発動するのだ!?」 オタクがオタクらしいセリフを吐いた。
そして佐藤は──冷静な頭で、安全を確保する方法に思考を巡らせた。
ただし自分が秘密工作員で、様々なサバイバルスキルを持っていることを、他のメンバーには微塵も悟らせないやり方でないとダメだ。
とりあえず様々な道具を仕込んである鞄を握る。一見普通のビジネスバッグに見える鞄だ。
──さあ、どうしたらいい?
思考がフル回転を始めたその時、佐藤は意識がふぅっと遠ざかるのを感じた。
そして次に目が覚めた時のが、あの壁も床も真っ白な石造りの部屋──つまり異世界だったのである。




