6.前門の虎・後門の狼
「あれ~っ?睦美ちゃん、今帰るとこ~?」
昇降口に可憐に佇む睦美ちゃんは、不自然なくらいフレンドリーに話しかけてきたわたしに、一瞬だけ表情を強張らせかけたけど、すぐにいつもの柔和な笑顔に戻った。
「うん。月子ちゃんも帰るとこ?」
「そっか、じゃあ一緒に帰ろ?」
「えっ?」
今度こそ睦美ちゃんの顔が完全に強張った。
言っておくが、わたしは睦美ちゃんと一緒に帰ろうと気軽に誘えるほど仲良くはない。
だけど仕方ない。これは作戦なのだ。
杉山くんが考えた作戦はこうだ。わたしが睦美ちゃんに一緒に帰ろうとか何とか言って昇降口、そして学校から引き離す。
その隙に杉山くんは、昇降口で待つ双葉ちゃんの下へ。そして双葉ちゃんとの買い物デートをなるべく早く切り上げて、睦美ちゃんの家の夕飯に間に合わせる……って本当に最低だな、あいつ。
「ごめんね。あたし待ってる人がいるから……」
睦美ちゃんは、申し訳なさそうな顔をしながら、ちらちらと下駄箱の方を見ている。まあこれは予想通り。プランBに移行だ。
「待ってる相手って、杉山くんだよね。彼、図書委員の仕事があるからもうしばらく残るって。睦美ちゃんは先に帰ってって言ってたよ~」
わたしの嘘に睦美ちゃんが表情を曇らせた。この表情!やっぱり、本当に杉山くんのことが好きなんだな……。
罪悪感で胸がちくりと痛む。だけど、朝井リョウの新刊のためにはここで引くわけにはいかない。
「ねっ、だからわたしと一緒に帰ろ」
「そうなんだ~。でも大丈夫。うち、杉山くんの向かいだし。遅くなってもここで待ってるから」
細めた目の奥の瞳にはてこでも動かぬという断固たる決意を感じる。
だめか~。無理みたいで~す。
視線を外して胸元で小さなバッテンを作りながら昇降口の中を覗き込むと、杉山くんが手を合わせてわたしを拝む姿が見えた。作戦続行か。しょうがないな~。
「あっ、そういえば杉山くん、なんか睦美ちゃんの料理で食べたいものがあるって言ってたよ~」
「えっ、なになに?」
睦美ちゃんが食いついてきた。よしっ。これでなにか適当な料理を言って、じゃあ材料買いにスーパー行こうって言って、ここから剥がす……これでいこう!
どんな料理がいいかな?
杉山くんが好きそうな料理……。なんだろ、え~っと……。
「あっ、ふろふき大根!ふろふき大根食べたいって!」
適当に言ったら、睦美ちゃんが驚いたように目を見開き、それから微笑んだ。さっきみたいな社交辞令の笑顔とは違う、どこか照れたような笑顔だ。
「そっか……た~くん、あたしの得意料理、覚えてたんだ……」
おおっ?もしや奇跡的なクリティカルヒットか?よしっ、これで押そう!
「そうなんよ。じゃあ、こっそり材料買って作ってびっくりさせるといいよ。一緒にスーパーに大根買いに行こうか!」
「大丈夫。ちょうどよかったわ。今晩の献立、ちょうどおでんだったし、昨日の晩に大根も煮込んでおいたんだ。た~くん、喜んでくれるかな……?」
しまった、そういえばさっき図書室でおでんとか何とか言ってたな……。ぬかった~。
思わず膝から崩れ落ちる。しかも失敗はこれにとどまらなかった。背後に第二の敵が迫っていたのだ。
「さっきから太一のこと話してない?」
振り返り見上げると、眉間に皺を寄せながら見下ろす、双葉ちゃんの険しい顔があった。
「あ……えっ……」
「あ~、あなた、あれでしょ?さっき図書室に太一と一緒にいた……誰さんだっけ?まあいいや。太一はまだ来られないの?わたしと買い物に行く約束があるんだけど……」
「あっ、え~っと杉山くんは……まだ……」
この状況、どうやって言い訳して切り抜けようか。必死で頭を回転させてようとうつむくと、一歩踏み出した睦美ちゃんの黒い靴が見えた。
「ちょっと~?た~くんは、今日うちでご飯食べる予定なのよ~。もう遅いし買い物は無理じゃないかな~?」
「はっ?どういうことよ?なに勝手なこと言ってんの?」
「た~くん、今日はあたしが作ったふろふき大根食べたいって、わざわざ伝言してきたのよ。ねぇ~月子ちゃん?」
顔に翳が差した睦美ちゃんが、目を細めながら見下ろしている。柔和な顔なのに、一切の反論を許さない雰囲気を感じる。
何も言えない。これが杉山くんが言ってた物凄い圧というやつか……。
「Wait!!あんたも聞いてたでしょ?You know? さっき図書室で私とshoppingに行くって約束してたじゃん。太一も喜んで行くって言ってたよね。嫌だったらそう言うはずでしょ?約束したら当然守るべきでしょ?Is it right?私の言うこと間違ってる?」
頭上から双葉ちゃんの責めるような英語交じりの言葉が次から次へと降ってくる。
その絨毯爆撃が怖くて顔をあげられないけど、きっと鬼のような形相に違いない。これが杉山くんが言ってた怖い鬼のような双葉ちゃんというやつか……。
睦美ちゃんからの無言の圧と、双葉ちゃんからの猛烈な追及。
もう無理です。隊長、援護をお願いします!!
もはや耐え切れず、頭を抱えながら、助けを求めるように昇降口の中を覗くと、そこには忍び足をしながら下駄箱から靴を取り出し、そのままぴゅ~っと廊下を走っていく杉山くんの姿が見えた。その背中には一切のためらいがみられない。
えっ、わたしを見捨てて逃げた?それで、この二人を放置して別の昇降口から帰っちゃう感じ?
うそでしょ?あの野郎!!
「ねえ月子ちゃん、双葉ちゃんに教えてあげてよ。た~くんが何を言ってたのか……」
「You must say!図書室で私と太一が何を約束してたのか言ってやれよ!!」
双葉ちゃんと睦美ちゃんという虎と狼に挟撃され猛攻撃を受けるわたしは、もはや絶望を抱えた胸の中で杉山くんへの呪いの言葉を繰り返すしかできなかった。




