5.悪魔に魂を売る
杉山くんが図書当番を早上がりした後、ほどなくして、ずっと机に突っ伏していた唯一の利用者も帰ったため、わたしは図書室を時間通り閉めることができた。
今日は書店に寄って新刊でも見て帰ろうか。そんな浮き立った気持ちで昇降口に向かって廊下をスキップしていると、突然横から手招きされた。
「遠峯さん、こっちこっち……」
さっき早上がりした杉山くんだ。なんでこんなとこに?二人との約束はいいの?
怪訝な顔をして、そう口に出そうとしたところで、杉山くんは人差し指をそっと口に当て、それから昇降口の方を指さした。
昇降口の入り口、向かって右側には市川睦美ちゃん。左には如月双葉ちゃん。まるで阿吽の金剛力士像のように並び立ち下駄箱の方をじっと見つめていた。
「出られないんだ……」
杉山くんは心底困ったといった表情で首を横に振った。
「もしかして、二人があそこにいて、どっちかと一緒に帰ると気まずいから、ここで様子をうかがってるってこと?」
「そうなんだ……」
杉山くんはまた小さくため息をついた。
「あほらし!正直にダブルブッキングを謝って、どっちかと一緒に帰ればいいじゃんか!」
呆れてそのまま立ち去ろうとすると、杉山くんは、縋りつくようにわたしの腕を掴んできた。
「そんなの無理だって。双葉は怒ると鬼のような形相で、英語とかで猛烈な勢いでまくし立てて来るし、睦美は笑顔のままで物凄い圧をかけて来るんだ。どっちかの前で、片方との約束を優先するなんてしたら、どんな目に遭わされるか……」
「ちょっと痛いんだけど!杉山くんがどっちつかずだから、二人があんな感じになっちゃうんじゃん。早くどっちと付き合うか決めなよ!!」
わたしの一言に、杉山くんは、きょとんとして首を傾げた?
「双葉か睦美のどちらかが、僕と付き合うってこと?まっさか~!!ないない」
「えっ?もしかしてどっちもフッちゃうってこと?」
「違うって。あの二人が僕のことを恋愛対象として見てるわけないじゃん!遠峯さんの目って節穴だったんだね~」
お腹を抱えてケラケラ笑う杉山くんを見て、今度はわたしがきょとん顔になった。
「なに言ってんのよ!どう見ても二人とも杉山くんに愛を向けてるじゃん!!好きな相手じゃなかったら、双葉ちゃんみたいに放課後デートに誘ったりしないし、睦美ちゃんみたいにお弁当を作って来たりしないって」
「そんなわけないじゃん。双葉は帰国子女だから、男女関係なくさばさばしてるだけだし、睦美はご近所さんとして僕を心配してるだけだって。遠峯さんの認知、歪んでるじゃない?」
相変わらず笑い続ける杉山くんにだんだんと怒りが湧いてきた。
「あっそ、わかった。じゃ、あとは好きにしなよ~。わたしはさっさと帰って書店に行くから」
「ま、待ってよ!」
また杉山くんが腕にしがみついてきた。だからそれ痛いって。
「僕一人じゃ、あの関門を越えられないって。助けてよ~」
「やなこった。そんなことして、わたしに何の得があるんだか」
杉山くんはパッと手を離した。急すぎて思わず前につんのめる。文句を言おうと杉山くんを睨むと、彼は真顔になっていた。
「報酬が欲しいと言うのかい?じゃあこれを……」
杉山くんが、カバンを開き取り出した物にわたしの目は釘付けになった。
「それは、朝井リョウの新刊ハードカバー、定価2200円(税込)!」
「もし僕を助けてくれたら、この本を貸してあげようじゃないか!」
うぐっ!!正直、こんな二股野郎を助けて、両天秤の片棒を担ぐなんて真似はしたくない。
だけど、あの本は読みたい。喉から手が出るほど……。
「ほらほら~。遠峯さん、朝井リョウ好きだったよね~。さっき読みたいって言ってたよね~」
わたしの内心の葛藤を見透かしたかのように、杉山くんは本をわたしの目の前にかざした。
今月のお小遣いは他の本に充てることが決まってる。図書館で予約したら20人待ちだった。だけど待てない。読みたい。一刻も早く読みたい。
しかし……。
「ぐっ、わかった……わたしは何をすればいい……?」
唇から血が出るほど歯を食いしばりながら、わたしは一冊の本と引き換えに目の前のラブコメの悪魔に魂を売ってしまった。




