自己ログ倉庫57 「ZUNさんという人となり」
そのさ、すごい恐ろしく脱観しててさ、あのさ、まずさ、一個言いたいのは、えっとね、そもそも、あの、そもそも内容が恐ろしい。どういうことなの?そのなんか、なんとか数学の話とかさ、なんか民謡とか民族系の本とかさ、もう何でも読んでるやん。あれがまずおかしくない?そんな時間あるのすごいしさ。そもそもさ、すでに読まへんやん、今の時代。娯楽コンテンツが集まった中でさ、娯楽に最適化されていないようなさ、知的好奇心用のものをさ、読み漁るっていうのがさ、まず恐ろしくてさ、それがさ、その創作者としてさ、活動してる人とのさ、ほんと大きな差やんか。その中でもそれがおるんよ。そういうことして作ってる人はたくさんいるんだけど、その、今の人たちはもうほとんどそんなしない。ほぼインターネットで、インターネットで調べたいことをダイレクトに調べて、それだけを理解して終わるみたいなのが多いから、その、なんだろうな、これをしろうとかそういうのを思わずに、あ、これ面白そうだなっていう。いわゆるインターネットで検索するっていうのは、その検索する言葉を自分がどっかで見てわからなかったから調べてるわけで、最初に自分がそれを見ないといけないんだけど、ズンさんとかのああいう本っていうのは、そもそも何が書いてあるかわからないけど、ちょっとこうセンスとか第六感とかそういう話で、ちょっといいなと思ったものをちょっと買って読んでみて、それで自分の世界を広げるっていう。おすすめ機能とかがないから、ほんまにその、なんだろう、自分に最適化された世界を拡張するんじゃなくて、世界そのものを見ている感じがあるってさ、そうがもう今の俺らにできひんから、俺はそれしたいと思ってるんだけどできないんだよね。今俺さ、その漫画とかさ、同人誌とか合わせて1000冊ぐらいあるんだけどさ、その中で学術系の本とかもちょっとだけあったんだけどさ、そのフロマチバでなんか買ったりしとったんだけどさ、全然読んでないよな。将来的にはさ、その漫画とかさ、学術系の本とかをさ、その区別せずにさ、もう全部同じ棚にさ、もうぐちゃぐちゃに入れてさ、それでその、あ、これ僕の本ですねみたいなこと言ってさ、その区別してない感じを僕は目指したいというか、憧れではあるんですけど、そもそもそういう学術系の本を読むっていうこと自体が習慣としてあんまりない人が多くて、俺も多分そうなんだけど、それを普通にしてしまって、だからそういう時間があるならさ、勉強しろよと思っちゃうよ、俺は。俺受験生やしさ、大学生になってからそういうのまたいろいろ読もうと思ってるんだけどさ、どうしてもやっぱりさ、その、そういう本に読む時間があるならさ、例えば大学の講義のさ、この授業をさ、順で勉強する方がいいしさ、なんかなんだろう、自分が既になんか興味があるからそれをやるとかの方がいいじゃんか。民族系のさ、あの、物語とかさ、俺その物語をさ、ちょっと読んだりしたんだけどさ、そういうさ、積み重ねをさ、もうずっとしてるわけやん。それはやっぱりなんかさ、もう違うやん、全然。その娯楽に最適化されたものじゃないやんか。最近になってたらさ、そのご都合展開があってとかさ、正直さ、たくさんさ、作品はあるけどさ、全部総合してみるとさ、そんなにストーリーの違いがなくてさ、デフォルメがちょっと違ったりそれくらいしかないっていうのが、結構実際としての傾向があるよね、娯楽作品っていうのはだいたい。人が娯楽と思うような内容っていうのがだいたい同じだから。そうじゃないものっていうのをたくさん読んでるっていうのが、それはすごい本当に僕は憧れてるなと思って。そうしたいんだけど今勉強があるから仕方なくて無理で、大学生になってもやっぱりピンポイントの講義の練習とか勉強とかした方がいいんだよなと思って、なんか難しくなりそうだなと思って、ちょっと難しいんですよね。でもそういうの本当にしていきたいなっていうふうに思ってます。で、僕高校生、ズンさんは大学生からそのキーボードとか買って作曲し始めてゲームを作り出して、プログラミングも大学生からって言ってるから、確かにそれはそうなのかもしれないんだけども、ズンさんは高校生から中学生ぐらいまでずっと音楽で一億とかトランペットを吹いてたらしいし、そういうのを考えるとやっぱりあれかなと思ったり。僕は今、なんだろう、高校生の時点でそのズンさんという人を知ってて、そのズンさんの生き方を見てるっていうのが、当時のズンさんとちょっと違うからなんとも言えないんだけど、それでもやっぱりあの学術系の本を読むっていうのはまず一番、なんか僕にはないことなんっていう。ただ僕が一番やりたいけど難しいことだなというふうに思ってますね。で、もう一個独学でイラストを書くっていうところなんですけど、僕ちょっと前に自分でジェミニっていうAIにいわゆるイラストの描き方みたいなのをちょっと教えてもらいながら、文章で教えてもらいながら自分でアイビスペイントっていうので描いてたんですよね。で、ある程度その型としては覚えてて、2枚ぐらい描いたんですけど、まあまあ描けたんですよね。でもその、確かに時間めっちゃかかったし、色塗りとかもすごい時間かかって、正直思うのは、その僕ノベルゲームで実際大学生で一人で作りたいと思ってるんですけど、その時にイラストが描きたいなと思って、それ立ち絵を、あれとか描けたらいいなと思ってたんですけど、正直関係ないなと思ったんですよね。最近はその、なんだろう、技術的に飽和がもうほとんどの業界でも起きてて、分野でも、創作においても。基本的にその、自分より上手い人がたくさんいるし、そういう人と繋がれるし、そういう人を見ることができるっていう環境に今いるから、どう頑張ってもその、なんだろう、技術において上に行くことができなくて、AIが広まるとやっぱりその、平均的に、平均値がよりこう最新値に近くなるっていうか、その山なりがもっとこう急な斜面になるというか、正規分布でいうともうもっとこう、なんだろう、縮まるというか、そういうのがあるから、やっぱりそのみんなできるよねっていう。マジでできない人とか、マジでできる人とかが減って、だいたいみんなできるよねっていう状態になると、その技術的にめちゃくちゃうまいっていう人を、結局AIが模倣しちゃうと、技術は投与されるんですよね。それは事実で。だからどうすればいいのかって言ったら、独自性を生んでるっていうので、僕ノベルゲーム作ると思ってるんですけど、今からイラストを1年めっちゃ頑張っても、多分そこまでうまくなったとして、そのうまくなったで何を描描きたいのかというよりかは、自分の世界を見せるという方向に行くべきなんですよね。そのオリジナルの創作をする人っていうのは、技術がすごいうまいというよりかは、正直なところ自分の世界を他人に誤解されずに見せてもらい、誤解も含めて楽しんでもらいたい、そこに置きたい、そういった世界の思考を見せたいっていうのがあるから、そこに技術のうまさはないんですよね、別に。日本語ができないから、そういう人の場合は、日本語を学んでやらないと、日本語では通じないですけど、逆に英語ができるんだったら英語でやればいいですしっていうので、自分のできるところでやればいいと思ってて、技術の高さっていうのはそこまで重要じゃないっていうのが僕は思うんですよね、すごい。今の世の中になると、逆に技術の高さというのが重要度としては低くなったっていう話です。で、やっぱZUNさんは、その、何の話そうとしてたかな。まあそのZUNさん独自で自分でイラストを書いてることはやっぱり恐ろしく、そういった面では達観してたなっていうふうに思いますね。で、あの、ZUNさんファッションセンスすごくて、柄ものばっかり着てるんですよね。僕も柄もの着るの大好きで、やっぱりその柄ものを着るというのは、これすごい理由、言語化できるかどうかわかんないですけど、僕はすごい好きなんですよね。で、東方一つすごいのが、その、酒なんですよね。ZUNさん酒飲みで、そこがね、すごくね、あの、東方の重要な要素で、酒が入ってるZUNさんが東方プロジェクトを作ってるのと、酒の入っていない冷静なZUNさんが東方プロジェクトを作ってるのでは、東方プロジェクトの幻想郷というものの在り方について、すごいね、大きな認識の違いが生まれるんですよね。酒が入ってる状態で作る。酒というのはいわゆる神道においてすごい神聖を表すものですから、神に逆った神聖なんですけど、ZUNさんが作ってるというよりかは、ZUNさんに降りかかったその何かが作っているというか、ZUNさんは承知になって作ってるわけじゃないんですよ。酒を飲んで、ある程度その精神が解離した状態で作ってるから、そこがやっぱどうしてもそのZUNさんが原作者。でもその原作者というのが、ひぐらしのなく頃に7みたいな感じで、あの、なんか、その世界を構築しましたって感じじゃないんですよね。なんか、ZUNさんの頭の中にもともとある幻想郷というものに、ものが世の中にこぼれ落ちてきたみたいな。そういうイメージがやっぱり出てきちゃうんですよね。それがやっぱりZUNさんが冷静な状態、酒を飲んでいない状態で幻想郷を作っていたら、そういう認識にはならなくて、多分ゆきちさんと同じように、ZUNさんが幻想郷を作りました。幻想郷はZUNさんが作り出したものですっていうのになっちゃって、その幻想郷というものが、なんだろうな、広がりがなくなるっていうのがある。だからそこが正直そのZUNさん自身が、ラフのスケッチの情報を多分君に言ったんですけど、例えばランシャマっていうのが、その親分が薬もゆかりって言って、薬もゆかりはその中華系の服を着てるんですよね。だから薬もランも中華系の服着てるんですけど、ナイトキャップに、戦闘中はナイトキャップの中に長い髪の毛を入れるみたいな。で、なんかイクさんっていう東方プロジェクトで、天人の、あのなんか人がいるんですけど、そのイクさんは羽衣をつけてるキャラクターなんですけど、屋内では帽子を外すみたいな、そういうのがその原画というか、インタビューで出されていたZUNさんの原画において、そういう説明書いてたんですよね。多分こういうのって、なんだろうな、すごい緻密に描いてるなっていうよりかは、そのキャラクターが生きている状態で考えてるなっていう。娯楽コンテンツとして最適化した人物像にして作ってるというよりかは、あえて無駄を残した、あえて無駄なところに時間を使って、そういうところを作り込んでるからこそ、そのキャラクターが生きてるんですよね。生きてるっていうか、その幻想郷にいるんですよね。それがすごい感じるんですよね。ZUNさんが生み出したというかは、生み出すにはこんな要素なくない?みたいな、そういう雑な要素があるから、なんかこいつはその元からどっかの世界に存在してたんじゃないかみたいな、僕は思っちゃうんですよね、なんか。そこがやっぱりね、すごいところだなと思って。僕の中の創作観でいうと、その独自性を前に押し出す。技術の高さっていうのは正直その勝てないから、勝てないしそこまで重要じゃないですよね。で、娯楽コンテンツの上では大事なんだけど、別に娯楽化しなくてよくないっていうのが僕最近思い出したんですよね。そう。お金が動く面では娯楽化の方が楽しいんですけど、正直娯楽っていうのは娯楽コンテンツにする必要がないんだよね。で、僕が望んでるのも娯楽コンテンツじゃないんですよね。だからそのわざわざ技術高めなくていいなって思って、すごいなって思いましたね。素直に、面白い。
いや、あのね、娯楽の形が入り口にあってるっていうのは、わかるんですよ。確かにZUNさんの東方のシューティングゲームって面白いんですよね。面白いんですけど、それは結果として現れたものなんですよね。先に娯楽性を作ろうとする必要はないんですよね。 ZUNさんは、自分が作りたいものを作ってるだけって明言してて、他人に面白いと思われるようなものを作るんだったら、曲名をあんな曲名にしないんですよ。幽々子の王女は彼女なのかとか、東の幻想物語とか、ボヤージュ1969とか、なんかもう読めないような漢字だけの曲とか、娯楽に最適化してるならそんなのしないんですよ。その意味不明さがあるから、でもその意味不明さにZUNさんなりの背景があって、理由があるんですよね。それを僕たちが調べて、こういうネタがあったんだっていうのをちょっと気づいて、さらに世界が広がるっていうのが、すごいいいんですよね。で、僕正直ね、世界をしっかり構築したのであれば、構築というか、自分の中の世界をちゃんと作りきったのであれば、もうそれは面白いんですよね。僕が言いたいのは、恋愛ラブコメを作りたいっていうので、だからこういうストーリーにしたいっていう思いがあるから、まあとりあえずキャラクターを二人ぐらい置いて、そいつらはこういうふうなシーン作ろう。そういうやり方だと、そういうやり方が今の娯楽コンテンツの背骨というか中心なんですよね。 ZUNさんはどっちかというと、そうでないんですよね。ZUNさんのゲーム理論っていくと、シューティングゲームにおいて、第一面ではこういうスペルカード、弾幕にしたいから、そういうキャラクターを作ろうとか、キャラクターを出していたり、話のネタがなくなるから新しいキャラクターを出そうとかいうのがあるんですけど、実際そうは言っていても、じゃあその、キャラクターだけがなっていないというのは、ZUNさんの中で、なんでしょうね、シューティングゲームの会話を見ていても、一発で僕理解できないし、その笑いどころもよくわからないし、でもなんか、ゲームとかが、ガチで言ってんだな、なんていうのかな、面白いことを狙って言ってる感じではない。そこなのかな。ちょっとそこがね、なんかね、ひねくれてるんですよ、作品が。ZUNさん自身で僕はひねくれてるって言ってるんですけど、僕もひねくれてるんですけど、作品の中でキャラクターがひねくれてることにするね。それひねくれたことを言ってるぞって別に僕たちからしたら面白くないじゃないですか。自虐ネタを言ってるわけでもないんですよ。なんか思考というか、もう根本がひねくれてるんですよ。二次創作ではそのひねくれをなんか自分たちでも出そうという感じでひねくれたこと言ってる人も多いんですけど、それでもやっぱり原作のあのひねくれはやっぱり違うんですよね。原作のひねくれは、すべてのキャラクターがどこ、なんかね、どっかで共通統一されてるなっていうのを奥で感じるんですよね、僕は。それがどういうことなのかっていうのは言語がうまくできないんですけど、ZUNさんの中で、で、ZUNさんが作り出してるんだなっていうのを感じるんですよね。ZUNさんという人の頭の中のひねくれの思考やみたいなのが働いてて、それでなんか、どんな言葉に対しても面白い、他人に見られて面白いかというよりかは、自分がなんか自然と紡ぎ出す言葉が何かみたいな、そのレベルなんですよね。ZUNさんがなんか自分の曲の紹介とかを、例えば東方projectとかでもちょっと書いていたり、東方ここは公式書籍たくさん出してますけど、その後書きにZUNさん登場したりしてるんですけど、いつもインタビューの最後で予想を繰り返すんですよね。それが恐ろしく面白くて、すごくて。そういうのができたら本当に楽しいんだろうな、楽しいというかね、なんか恐ろしくないんですけど、異質なんですよね。最近のものと比べても。それが多分続いた理由なんですよね、多分ね。いや、あのね、正直ね、天才なんですよ。才能がある。あの、レイリノの最初の画面を見た瞬間に、あのこの人には勝てないなって思うし、音楽、最初の音楽流れた時に、恐ろしいだろうって思うし、そのそれを見た瞬間に、その、なんだろうな、普段覗かない世界を見ているみたいな。本当にその世界は存在しているみたいな。なんかね、面白いものを作るっていうわけじゃない。自分たちのなんか常識の中にある面白いネタみたいなのを生み出す、使ってるわけではなくて、なんか僕たちが全然知らないような感覚の中の世界から描いているような感じがするんですよね。そこがね、なんかおかしいんですよ、ちょっとね。ちょっとやばい、違うんですよねっていうのがあって。やっぱりそのZUNさんってどんな人かっていうときに、よくお酒飲んでて、それでなんかね、YouTubeでお酒飲んでる、あの飲み会のね、動画をね、ライブか、をね、結構なんかやるんですよね。なんか、2点目ラジオだったっけな、なんかそういうのやってるんですけど、量がもう100超えてるし、100回超えてるし、一本2時間とかだし、ただ飲んでるだけみたいな。そういうのがあるから、僕は全然見てもないんですけど、それがあることは知ってるじゃないですか。そうすると、僕はインタビュー動画とかたくさん見てきたけど、ZUNさんという人本人を知ってはいないっていう。ZUNさんの中、ZUNさんを示すコンテンツがまだ見ていないものであるというのを僕は感じる。それだけで、ZUNさんっていうのを、その正体の全貌を僕は解き明かすことができないんですよね。それがね、あの、曖昧な世界というか、すべてを見せないということにおいて、ZUNさんはすべてを見せる動画を送っていることによって、僕たちが見ようとしたときに、ZUNさんのすべてを物理的に見れないようになってるんですよね。それがやっぱすごい。うん。それもね、なんかね、たまたまなのかもしれないけど、一端してZUNさんのやってることは正しいんですよね。正しいというか、もうね、なんかね、人なのかって思うんですよね。技術的にイラストの能力が高いとか、数学の計算が速いとか、そんなのじゃなくて、そういうなんか各分野のお話ではなくて、すべてにおいてというか、すべてにおいてというかは、抽象的な面において圧倒的にね、なんかね、他の人とね、前提が違うんですよね。なんかもう前提の違う世界で生きてるみたいな気分になるんですよね、どうしても。広雪さんが、ZUNさんが10年前に言ってた言葉が大体合ってるって言うんですよね。ZUNさんの言ってることがだいたい正しい。それが10年後ぐらいになってからわかるみたいなことを広雪さんが言ってたんですけど、その通りだ
違うんですよ、そんな。こういう世界の見方を何十年も変えずに持ち続けた人っていうのがズンさんなんですけど、それができるっていうのがまず才能なんですよ。才能って言葉がね、あの、ちょっとおかしかったのかもしれない。普通の人は持ってない能力なんですよ。その能力というのもおかしいのかもしれない。どちらかというと前提なんですよね。普通の人が持っている前提とは違う前提を持っているというか、まず前提が違うんですよね。生きてきた経験、過去、全てがね、なんかね、違うんですよね。なんかその昔の人って言葉は良くないですけど、50歳ぐらいじゃないですか。僕のその生きてた世界とはもう違うなってのをはっきり感じるんですよね。なんだろう。当時の生き方を、いや、違うな、当時の人でもないな。なんかね、民族学を好きであるとか、そのなんか、もともとそういうこと好きな人あんまいないよねっていうのが好きな人なんですよ。で、僕たちってもう娯楽コンテンツに害されてるから、そうでないっていう部分がもう大きすぎて、今ネットに出てくる人って、だいたいそういう娯楽に足使ってる人じゃないですか。ズンさん違うじゃないですか。スンさんってイベントに呼ばれたりはするけど、基本的に自分でシューティングゲーム作ったり、民族学のなんか本読んだり、酒を飲んでなんか友達と話したり、なんかそういうことしてるだけで、その、じゃあ、ニコニコのこの動画をいつも見ていますとか、そんなんじゃないじゃないですか。それがやっぱりおかしいんですよ。最近の娯楽コンテンツに関わってない、関わってるんですけど、それを視聴している視聴者側になっていないから。だからね、なんかね、僕とは一線を隔してるんですよ。僕たちとは。それを僕は才能って言葉で言ったんですけど、正しい言葉で言うと、前提が違うというか、まず違いますよねっていう言葉になるのかな。
えっとね、言っとくけど、僕の前提っていうのは、その先天性な話ではなくて、今僕たち、創作者とズンさんという人を比較したり、比べたりするときに、その、民族学が好きですよねとか、自分でなんか一人でシューティングゲーム全部作っていますよねとか、音楽がすごいですよねとか、もうちょっとこう踏み込んだとしても、なんだろうな、酒が好きですよね。それによってなんかこう、普通の人とはちょっと違うような生き方をしてますよねとかなんですけど、そういうのじゃなくて、そもそもその、僕たちはどう頑張ってもネットの世界を知っていて、よく利用していて、それでその、価値観とかがある程度系統してるんですよね。そういった娯楽のコンテンツ。で、ズンさんはそれが面白いかどうかの基準が、娯楽という感情を揺するものというよりかは、好奇心を揺するものを好んでいるような気がして、で、その好奇心も、自分が気になるものっていうのを、好奇心と呼んでいる。そういったものをよく見ている。でもその見ているものが、例えば、民族学でいうひしゃくでその底のないひしゃくを砂幽霊に渡せば大丈夫みたいな、そのすごい長い伝承の中で、なんかこう、あるいは教訓、あるいは笑い話のようなものであったものが、繋がれて繋がって、それは言葉になって、文章になって世に少しだけ回ってる。そういったものを読む。そこに対して、それが娯楽的に感情を揺するようなもの、刺激的なものではない。けれども、そういった本、そういったお話を読むことによって、その話が生まれた背景を考えたり、それを最初に言った人はどういう経験をしたのかとか、どういう経験からその言葉を生み出したのかとか、ひしゃくにおいてその底のないひしゃくっていうのを、そういったお話を生み出すっていうのは、なんでそういう考え方が生まれたのかなみたいな。そういった好奇心っていうものと、なんだろう、ユーロビートみたいな、感覚的に好きになりやすいものとか、メロディーの強いものとか、カラフルで鮮やかで、で、テンポの速いものとか、人は物語が好きですから、誰かと誰かのドラマとか、そういったものをドキュメンタリーとかを見ていると、やっぱりなんかそっちの方が人間はみんな好きだよねっていう。なぜなら刺激的だからっていう。その刺激的っていうものにも好奇心というものはあると思うんですけれども、刺激的でないんですよね、ズンさんは。だから好奇心っていうものはどっちにもあるかもしれないですけど、刺激的かどうかでいうと、ズンさんの方はそうではない。だからなんかね、そういう、まず自分が好きになる理由とか、自分が好きなコンテンツを好きな理由とか、そういう作品に出会う理由とか、背景とか経路とかが、まず違うんですよね、ズンさんと僕たちではもうすでに。で、その部分を僕は前提が違うっていうふうに言ったんですよね。この前提っていうのは、好きになる理由とか、自分を今形成している理由、そういった自分を今形成する過程とか、した過程とかいうのを含めた上で、そのまず自分の特徴的な性質、それを前提、その性質があるから、そこから動きが生まれていく。その動きというものの前提。この前提が違うからっていうのを言ったわけで、その前提と才能でなんか、ズンさん生まれながらにして、すでに民族学が好きやった、民族学系のなんか趣味思考があったとかではないんですよね。そういう話をしてるわけではないっていうのは、多分さっきの話でわかってると思うんですけど、ちょっとそこは補足入れましたね。
そういうの含めて憧れてるんですよね。なんで憧れてるのかわかんないんだけど、そういうふうな生き方をしたいなっていうふうに思うんですよね。僕はその割と勉強に関しては時間をかけてやっていたタイプだったので、だいぶ頭のいい高校に入ってはいるんですけど、考えることが好きというのは前からそうだったんですけど、計算が速いかどうかって言われると、その周してる人よりは圧倒的に遅いし、論文とか難しい言葉が並んでいる本を読んだときに、一回では理解できなくて、何回読んでも僕は理解できないことが結構あるので、AIに要約してもらったりしてたり、それで理解したりするんですね。でもそういうプロセスを踏まずに、もう一発で理解できる人もいる。処理能力の違いっていうのもあると思いますし、僕は運動能力はそこまで高くなくて、球が飛んでくるときに、ちょっと反射能力、反射能力はよくわかんないですけど、想像通りに体が動かなかったりする。別に致命的ではないんですけど、普通に動きづらいというか、動くのが得意ではないですね。すごい得意ではない。別にその日常生活に全く支障をきたしたりはしないんですけど、やっぱりルマイトとは違うですよね。そこでなんか僕が、なぜかね、それだけかなり頭が暮らしても、僕はその文豪だとか、小説書いてほしいとか、僕が創作してるってことを全く知らない人が言ってくるんですよね。CPの生活でそういったのがなんか、見え隠れしてたのかもしれないんですけど、そういう要素が実際にありまして、実際なんかその友達に何回も言われることは、発想が違うって言われるんですよね。で、僕は学校ではメガネを外しているので、メガネも悪くて、で、聴力も別ですね、めちゃくちゃいいわけじゃないので、そこまで聞こえてなくて、でも自分はもうなんかそこまでなんだろう、人の話を聞きたいっていう感じではないので、聞きたいと思った人の話は聞きたいんですけど、別にどうでもいいやつの話は全く聞かなくていいから、いわゆるその周りの感情、周りがどう思うかとかいうのがあんまり気にならなくて、だからなんか普通にその羞恥心とかあんまないから、いわゆるその漫画とかいう中古同人ショップとかで、すごい本買ったりして、読んだりしてるわけで、一定のその恥ずかしさみたいなのがあれば、僕の前ではすごいそういう系の恥ずかしさっていうのが強い人とかいるんですけど、そういう人はやっぱりそういうものを見るとなんか、人間強度が下がる。まあこれは新た暦の言葉ですけど、なんだろうな、自分が他人に見られている、その他人に見られている、その他人に意識してしまうっていう部分が他の人にはあって、僕は全くないので、そういうところからなんか、ちょっとズンさん系統ではあるんですね。だからその自分と似てるから惹かれるってのがあるんですけど、でもやっぱりね、そんな僕から見てもね、ズンさんはやっぱ違うんですよね。出してるものがやっぱり違う、おかしい。それがやっぱなんかすごさなのかなと思って、基本的に僕のその将来っていうのはもうほぼズンさんですね。ズンさんです。
なんだろう、なんかすごい変な警告をなさっていたり、そういう感触が君の言葉には含まれてたんですけど、実際そういうことではなくて、その僕の言葉通りなんですよね。うん。ズーさんがその、まあ、YouTubeの動画で話されてる、話してる様子を見てるときに、間の取り方とか、どこで笑うかとか、笑い方とか、表情とか、話の内容とか、なんかね、デジャヴというか、僕のデジャヴなんですよね。これなんか俺やったことあるくね?みたいな。これなんか俺じゃね?みたいな。そう感じるんですよね。それは、別にそのズーさんみたいなその創作の価値観を持って、そういった生き方をしたいとかいう、そのズーさんではなくて、ズーさんのやってきた内容、そういったものに対して、自分がそういうことをしたい、それと同じことをしたいというような思いで持ってるっていう、抽象的な話じゃなくて、ズーさんという人を映像で見て、あ、これなんか、俺みたい、みたいな。似てる、みたいな。そうなんですよね。創作観が似てるとか、僕の理想の未来の人生、が、今のズーさんが歩んできた道と同じとか、東プロジェクトみたいなものを僕も作りたいとか、シューティングゲーム作りたいとか、そういうことではなくて、人間的なんですよね。その、それをかけたのが、でもズーさんの過去とか、ズーさんの業績とか、ズーさんの実績とか、ズーさん本来を見てるんじゃなくて、ズーさんがやってきたことを見てるんですね。じゃなくて、僕さっき言いましたね。ズーさんを見たときに感じるんです。ズーさんが、僕みたいだなって思うんです。 それはね、言葉通りの意味で、君の捉え方とは大きく違うと思います。




