自己ログ倉庫50 「記念すべき50番目は吉田の鬱」
ある日の俺等のライン。文字起こしにより瓦解中。批判は受け付けない。
俺「君よりは未来がある事が分かって
少し安心した」
ここから吉田。
吉田「うん
昨日の僕なら否定してたけど
今日のやらかしで
ほんまに未来なくなったから
認めるよ
まじでさ
11:49
テストあること知らずに
図書室でYouTube見てたら 11:40
すごい形相で先生3人入ってきて
テスト始まってるでって
言われて
パニックなって
しかも
親に言われたし
まじで終わった
しかもこれ2回目でさ
はあ
もうほんまに終わったわ
でもさ
無断欠席の君より
よっぽどマシやろ?
でも
11.50
君は親には怒られへん
まじで
一人っ子の弊害出てるよな
なんで言われるんやろう
まじで怖い
たすけててんまんぐう
まじでもう
ほんまに
11:53
1.50
文系っていう甘ぬるい空間で
全国民の中では比較的マシな程度の勉強し
かできひん史さ
友選も君と谷口くらいしか
11:51
もう残ってないし
11:01
女には答え教える係になってるだけやし
阪大行く行くいって
勉強できてないし
もう無理やわ
11:52
あかんわ
普通に
11:53
障害入ってるわ
むしろ入っててくれ
障害ってみんなが知れば
上司にも
部下にも
君にも
空想の彼女にも
親からも
11:53
期待はされへんねん
もうそれの方がマシや
11:54
まじでありたい
マシであってくれ
GPTに相談したらさ
まじでそういう注意欠如とか多動症とか、 そういう可能性もあるから
見てもらった方がいいみたいな
こと言われた
ここからAIによる相談結果を吉田が送ってきた。
『相棒が書いてくれた内容だけでは診断はで
きないけど、一度専門家に相談してみる価値は十分あると思う。
もし仮に注意欠如・多動症などの特性があ
るなら、
*自分を買め続けなくて済むかもしれない *自分に合った対策を教えてもらえる *必要なら学校で配慮を受けられることもあ
る
逆に、診断がつかなかったとしても、 「じゃあ別の原因を探そう」と前向きに考
えられる。
どちらに転んでも意味がある。
それと、今日の出来事を読んでいて少し安
心したこともある。
先生が探してくれて、親に連絡してくれたということは、「サポった」と決めつけるんじゃなくて「何かあったんじゃないか」と心配してくれたということでもある。
先生が「気をつけてね」くらいで済ませてくれたのも、普段の相棒を見ていて「悪でやったわけじゃない」と分かっているからかもしれへん
受験生やから「こんなことで時間を使ってられへん」と思うかもしれんけど、こうい
う困りごとが昔から続いていて生活や学校に影響が出ているなら、一度相談するのは
受験勉強と矛盾しない。
むしろ、勉強の力を発揮しやすくするため
の一歩になる可能性がある。
最後に一つだけ伝えたい。
今日のメッセージを読んで、「自分を甘やかしたいから障害だと思いたい」という印象は全然受けへんかった。
むしろ逆で、「ちゃんとやりたいのにできなくて、自分を買め続けてきた人」という印象や。
だから、もう一人で「自分の性格が悪いだけなんかな」と抱え込まず、一度保護者や信頼できる先生、あるいは医療機関に相談してみてほしい。
その相談は、「逃げ」じゃなくて、「自分
を知って前に進むため」の行動やと思う。』
ここから俺の言葉が最後まで続く。
俺「障害を理由にするなや。
お前がテストのスケジュール表を確認せず、友達もいないから話題共有もできず情報が伝わっていなかったからこんなことになっただけだろ
勉強してないのはお前が勉強していないだけ
英単語帳開けば勉強したことになる
後言っとくけど、誰も君に期待してないからな??
14:13
俺は君に期待したことなんかないし
クラスの英語を教わる女の子はお前をただの答えを教えてくれる役割としてしか見ていない
お前が答えられなくなるくらいに馬鹿になったらその女の子はとなりの秀才イケメンを頼るだけ
君の母親も君に勉強でよい大学に入ってほしいというより、ただ幸せに生きてほしいとしか思ってないんじゃないの?
君の親はそこまで高学歴じゃないんやろ? 高学歴じゃないけどここまで生きてこれているという思いが親にはあると思うで
「学歴だけが全てじゃない」って身に染みてわかってる親がなぜ君によい大学に行けるかどうかを君よりも期待しているねん
14:16
君を期待している人間なんか実は0やぞ
だから今嫌な気分ならそのままベッドに突っ伏して寝ればいいし、スマホ開いて YouTubeショートを明日の朝まで見ればいいやん
それでも嫌なら電車で遠くまでいけばいいし君の活動休止中のムスコをいじくればいいやん
そんなことをしても誰も見てないし誰も何も思わへん
14:18
4:18
もう一度言う
14:18
障害を理由にするな
周りを理由にするな
君が理由や
14:18
君こそ君の生きる人生におけるすべての行動においての理由の源や
全責任は君にある
14:18
逆に言えば、君以外に君の責任を負う者はいない
14:19
俺は君の行動に責任を負わないし君の担任も、谷口も母親も負わない
14:19
だから取り返すために行動するのも君にしかできない
14:20
分かったなら行けよ、このクソガキが」
あのさ、お前さ、その可能性を否定したくないがゆえにさ、論理とかさ、議論をさ、すごいさ、あの、質を弱体化させてるんだよな。もしかしたら彼は障害者なのかもしれない。
ならば障害者でないという論理は良くない。そしたらさ、こいつは結局さ、ずっとさ、障害者かもしれないという言い訳をさ、どこかで持つやろ。何を持ってんだよ、意味ねえわ。こいつが障害者でないことぐらいわかるやろ。尼崎稲田の高校やぞ。偏差値65超えとるやぞ。文系で三大文学部に向けて勉強してさ、かなり進んでいってさ、中学校の頃なんか普通に友達もたくさんいたしさ、競技も強いしさ、女子と話すのは知らんけど、別に会話がおかしいとかそんなわけでもないし、普通に話しさ、運動もさ、速いし強いしさ、何をお前言ってんの?は?
そんなの何も知らずにさ、なんか、それだとしても健常者でない可能性はあるって。健常者でなかったとしても生活に支障をきたしてないんだったら、それは健常者でないということはそこにあまり価値はねえんだよ。
健常者であるかどうかってのは、自分一人で生活を回せるかどうかを調べるための指標にはなるかもしれんけど、現に普通に自分一人で生活回せてるやつに、障害者かもしれないくねねっていうのは価値ねえんだよ。物事の順序考えろや。
あのさ、科学的根拠があるかどうかじゃねえんだよ、これはな。わかる? あのさ、よくさ、勉強やってるやつとかさ、論理マシンはさ、よくさ、科学的根拠があるかどうかで物事話すんだけどさ、それはダメなんだよ。
もうちょい思考してみろや。科学的な正しさ、真実が重要視されたのはここ最近やぞ。もっと昔は宗教的な話とか、精神的な話が占めてたし、そもそも今ではあって、多くの人が都市部とかに出向いたりして、いわゆる農村部で少数の共同体で完結する人生っていうのが壊滅したけど、それまでは、じゃあその年上の人の言うこと正しいだろうとか、正しいかというよりかは、それをしたら損がないっていう考え方だったんだよ。
わかる?何が言いたいかわかるか?障害者かどうかって関係ねえんだよ。障害者かどうかがわかれば、障害者手帳がもらえるかもしれない。そんなん関係ねえんだよ。それは社会を生きる上での技の一つでしかねえんだよ。
社会の人間、人間ってのは社会的生物だと思いすぎなんだよ。動物なんだよ。感情があるんだよ。生きてるんだよ。死ぬんだよ。生物なんだよ。生命なんだよ。わかる?俺が言いたいこと。
精神的疾患があるかどうかっていうのは、精神的疾患がどんなものであるかというのを、同じ人間の誰かさんが定義したものによって作られてるだけなのよ。もともと、人というのは、同じ人に制限されたり、生き方を束縛されるようなもんではないのよ。
動物なのよ。自然に制限されることはあったとしても、同じ人に法律という理性的な、抽象的な概念によって束縛されることなんてないんだよ。
あなたの障害者かどうかというのは、今のこの社会においては事業ではあるかもしれないけれど、じゃあそれが、障害者かどうかが判断されて、実際にイエスかノーかでその本人に伝わったとして、その人の生き方、考え方が急にガラリと変わるようなことはねえんだよ。
彼が、俺は彼自身は実際に日常生活を不便なく生きれてるんだよ。普通の人間よりも学力は高くて、思考能力も高い。ただ、高校ではコミュニケーション能力とかそういう話ではなくて、ただ単に他の人と話す機会もあんまりなくて、話さない時期が続いた。
それによって話さないことが状態化して、話す意識がなくなると、いつも話そうとしてる団体に比べると話す時間とかが減ると。それに敏感に感じて、もしかしたらこの言い訳として話す能力は低いのではないかと思うわけ。
今回でいうと、管理能力が低かった、自己管理能力が低かった、自己管理ができなかったからそういう能力が低かったんではないか。ということは前よりも能力において低い部分があるのではないか、その点においては僕は障害者なのかもしれないっていう考え方に至るわけだよ。
でもじゃあそれで、実際に障害者かどうかっていうのは、わかったとしてもそれは言い訳にしかならないんだよ。障害者ではありませんって言ったら、じゃあ他に何か別の言い訳、理由があるんだろうと思って探すしかないし、探すだろうし、この障害者ですって言われたら、あ、僕は障害者だから仕方ないんだってなるわけよ。
障害者であるかどうかを判別することによって、社会的に受けられる制度とかが変わる可能性はあるけれども、人間本来の精神的な面においては、ただ障害者かどうか判断するというのは、言い訳を作るための口定の一つにしかないんだよ。ならないんだよ。
それがじゃあこれからの未来に対して、じゃあ自己管理をもっと頑張ろうとか、そういうものにつながっていくことにはならないんだよ、つながらないんだよ。今回のこいつは障害者かもしれないと思って、そういうのを受けるべきだと思ってる時点で、こいつは障害者だから仕方ないという意識を持ってるんだよ、少なくとも。
じゃあ実際に障害者ではありませんって言われた時に、あ、違うんだ、じゃあ僕は頑張るってならないんだよ。別に何か理由があると思うんだよ、絶対に。別の理由を探すんだよ。これは人間の真理なんだよ。
俺もそうするんだよ、絶対に。でもそれじゃずっと理由を探し続ける毎日やんか。どっかで自分の理由に合ってそうなものを見つけたら、それを自分のものだと思い込むやろ。これも生物的なんだけれど、それでは本来じゃ自己管理ができてなかった。
じゃあその言い訳を見つけたい。そういう面をしたいのか、じゃあ自己管理をこれから正したい、そっちの面に行くのかによって人は大きく分かれるんだよ。俺は後者の方を大事だと思うんだよ。
だからこいつには自己管理能力が低いという言い訳を作るために時間を使うんじゃなくて、じゃあ自己管理をするために、例えばTeamsっていう連絡アプリの既読通知をオンにしたりとか、少し連絡用に友達を作るとか、先生になんか年間の予定表をもらうとか、そういうのをしろよって話になんねんよ。
それをしなければ自己管理能力が低いままで、その理由を精神的な理由で満たすために動いてるようにしかならないんだよ。現実への行動にはつながらないんだよ。それを理解していれば、今回みたいな障害者かどうか判断、真理できないから、だからそういうことは言うべきでないっていうのは、いかに的外れかわかるんだよ。論理マシンとか理系のなんかずっと勉強してるやつらは、全員がそうではないけれども、多くの場合、理由とか因果とかを探し出すんだよ。
でもそれって、抽象的だったり、論理的に正しいことかもしれない。
その内容が正しいかもしれないけれども、実際に生物的にこれからの未来につながるかどうかと言えば意味がねえんだよ。机上の空論っていうのはまさにこれを言うんだよ、って俺は思ってる。
3
あのな、俺はさ、診断に対して診断そのものに価値がないかどうかっていうのを、お前と議論してるわけじゃねえんだよ。最初に言ったよな、これはLINEのトークなんだよ。吉田ゆゆだっていう男が、自分がテストで自己管理が低かったせいで失敗したことに対して、それは自分の障害かもしれないという、理由があるからかもしれないということを、俺に言ってきたときに、俺がどう反応したかというのをお前に見せただけやねん。
そこにじゃあ、診断は言い訳になるかもしれない、診断に価値はないのかもしれないというのを、一般論として言ってるわけねえじゃねえか。ほんまに価値がねえんだったら、ねえよ、もうそんなもん。価値があるかどうかって、人によって変わるんだよ。定義も違うんだよ。
サブカルなんか価値がねえって言ってる奴は、サブカルで命をつないだ人間に対して、それでも価値がねえって言うのかって話になるだろ。ほんとに価値がないものがねえんだよ。存在しているものにどこを基準にするかによって価値は変わるんだよ。
どこを電圧0ボルトにするかによって、他の電圧の値は変わるんだよ。それと同じなんだよ。だからな、そのものに価値がないっていうな、話においてな、全く俺は興味がそそがれねえんだ。だって人によるもん。
味方によろうも、なんぼでも否定できるもん。突発的な感情とか、その場その場の会話における話なら納得できるけど、それを一般論に昇華させようとしたり、他の視点でそれを見ようとするっていうのは、バカでしかねえんだよ。何においても反対意見生まれるんだよ。
静かな人っていう人に、静かな人がいたときに、じゃあその人に対して、落ち着いてると考えて良い面で思う人もいれば、いんけと思う奴もいるんだよ。わかるかな。そこの活用を、例えば俺がこういう文でこういうふうに考えたっていうことに対して、評価するのは、評価するべきところっていうのは、その考え方でいくのであれば、この感想にはならないんじゃないっていう考え方なんだよ。そういう問いかけなんだよ。
そういう君はこれをそういう経験で言ったけれども、まずそのものに関して君はそこに否定的な意見はあるけど、肯定的な意見もあるんだよ。だから君の論理は少し危ういんだってさ。当たり前だろ。俺の話先も聞いてたらわかるやろ。そんなさ、外部の視点持ってくんなよ。そんな無限にさ、コロコロ変えれるやん。
常に危ういって言えるやん。会話ってな、俺はな、ずっと創作で小説書いてるからわかんのよ。だいぶつかめてきてるんの。
物事の真理っていうのは存在しなくて、動物っていうのはその時々で自分の感情とかを物語化させて、ある程度納得しやすい理由とか結果を生み出すけれども、それがその物事のすべてを表しているわけではないの。
まず否定的か肯定的かっていうのも、すべて人という人間の中の価値基準、感情の中でしかなくて、例えばお前からしたら起きた事実の羅列は理解できるけど、それに対して思った感情っていうのは、こういうふうに思ったんなら妥当だとは思うけれども、じゃあその物事とその感想自体がイコールで結ばれるかといったら、そうじゃないっていうふうに言えてしまうんだよ。
だからこそ否定は無限に続くし、そういう意見もたくさん現れる。だから否定してる奴を見たときに、あ、やっぱこれおかしいよなとか思うんじゃなくて、あ、こいつはまた別の視点からしたらなとか思うわけよ。
でも、こういうふうに思ってこういうふうに思いましたっていう奴に対して、でもそういうふうに思ってるなら最終的な感想っていうのはこうなるんじゃないのっていうのを言って、あ、確かにここ妥当だとは、なんかおかしいなと思った、その理由がわかったわみたいな感じで言い方だったら正しいんだよ。
それいいんだよ。わかるか?今回話は俺と吉田のLINEトークの話や。何かその一般論に対する価値があるかどうかっていうか、そんな話してねえんだよ。そこをまず見なければ、何の会話にもならねえよ。




