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自分史  作者: 暮葉畏啓
下記録社
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自己ログ倉庫26 「IQとかいう幻想」


その反射神経の話を考えたとしても、反射神経が高いです。あなたは他の人より高いですと言われた時に、多分生涯で反射神経はその人はずっと高いと思うんだよね。


だって、それは衰えにくい能力だし、育てにくい能力だから、その人が反射神経でとても強いのであれば、その人は多分一生反射神経強いとして生きれるんだけど、iqって違うんだよね。


iqってそもそもその勉強ができる理由にはならなくて、勉強をした時に吸収の度合いとか、能力として学んだ内容を組み込むスピードとかが速いよねっていうのを間接的に表しているだけで、そもそも直接的でもないし、そもそも勉強すらしてないのであれば、勉強できるはずがないんですよ。


その一発で何もわからない高校数学を見て、それで問題を解けるっていうのは、それは幻想で映画なんですよ。子供がそれを見た時に、まず、あのこの記号はなんだろうか、とか、この統合はなんだろうかっていうのを考えてるわけであって、問題を解くというのは、その人間の本能的な能力が高ければ勝手にできることじゃないんですよね。ある程度その問題の解き方を知っていて、そのいわゆる問題の解き方というセオリーに習ってるんですよ。


日本語であれば日本語の読み方があるし、数学の記号の並び方であれば、この並び方だからこういう考え方をするべきだよねっていう機能があって、で、生まれたてのiqも1万とか意味不明なんだけど、生まれた時から亀仙人ぐらい生きてるレベルの知能を持ってるみたいな子供がいたとしても、そいつがパッと見た時に、その数学の問題解けるかって言ったら無理なんですよね。


もしかしたらその数学の他に使われている式とかを、がこうたくさん載ってる資料とかをもらったら、公式を教えてもらってもなくても、ただその数式の羅列だけで予想して、この別に全然知らない数学の問題に対して解くことができるかもしれない。これはaiも同じだよね。大量のその情報を学んで、次に何が来る可能性が高いかっていう統計的な推測をしてるっていうのは、同じような考え。だからどちらかというとaiもそういう感じなのかなと思うんだけど。


いや、その資料がないです。かつ勉強もしていない、生まれたてでする時に勉強はできないし、問題は正解しない。だからAIってIQっていうのは基本的にはその勉強したら伸びる可能性があるよねっていう下地があるだけであって、それがあるからこそ勉強ができるというものにはならないんだよ。


で、そのいわゆる結局人間は本能的には能力が高いよねっていうだけであって、勉強とかいうのは本能的な能力ではなくて理性であるから、全く関係ないっていうのがまず一つはわかるんだけど。


で、そのこれが最初に反射神経っていう例を出したんだけど、反射神経って、社会に別に必要ないじゃないですか、多くの人が。野球選手ですとか言ったら、同じぐらい努力してたら、最終的に反射神経がもう2倍ぐらい速い人の方が、そりゃボール取るのも速いよねみたいなんで、ちょっと強いかもしれない。


けど、結局普通の人間がその反射能力が強くて得することってほとんどなくて、それこそなんかこう、流しそうめんしてる時にね、パッとすぐそうめん食えるみたいな。でも結局相手の上の人がそうめんをこう、なんかでっかい橋で取ってたら、結局取れないよねみたいなんで、その自主性があの、自分の身体的な能力だけで、あの、物事の優位性っていうのを確証することができないから、結果的に大きい橋を持ってたらいいよねとか、先に立ってる人のが強いよねとか、川の流れを予測してる人の方が強いよねとか、別の能力で全部代替できちゃうんですよね。


反射能力だけで測るテストっていうのは、本当にその、反射能力テストとかそれぐらいしかないっていう話。複合的にいろいろ絡まってるからっていうのが一つあるんですよね。 IQに関して言うと、IQっていうのがなんで反射能力とかよりも重要だと思われるのかっていう話になるんだけども、そのIQっていうのが結果的に勉強に繋がって、そっから知能とかに繋がっていく、で、今そのスルー論理が重視されている社会であるからこそ、勉強ができる人っていいよねみたいな感じの幻想があって、それでなんか勘違いする人が多いっていうのは、このYouTubeの実証、えー、ギフテッドの方々なのかなって。


そのなんか、定義で彼らが言ってたのは、そのIQが130以上ある分野があれば、それはもうギフテッドだっていうふうに言ってたんですけど、それだったら多分僕もギフテッドになっちゃうんですよね。 でも僕別に稲田高校にも行ってないし、神戸総理総合理学科にも行ってないし、ただの学区内で受け入れれる高校の一番頭に場所の理数系のコースに通っていて、ただの偏差値71でしかなくて、71って僕統計を昨日朝、今日とか朝の4時に撮ったんですけど、偏差値71って全然ですよ。そのレベルなんで、あのーもうちょっと考えた方がいいんじゃないかなと、ちょっと少し思っちゃったりもしますね。


そのIQ135超えてるから、僕の場合はなんか中学校の2年生ぐらいの時に、タブレットでIQテストやったことあるんですけど、その正式じゃないやつで、やったら一回203点出たんですけど、頭おかしいなと思って、何回か試して他のやつを試したりしたら、だいたい115とか130とか出てきてるんですけど、数学的なテストで。だから僕はその多分それが正しいIQテストでもないであろうし、その本来小さい頃に測る方が高くなる可能性が高いので、 だからまーそのIQで言うと、多分平均以上あるんだろうなっていうふうに思うんです。数学的な話においては。


でも僕よりもそのもっとできる子は、僕とクラスにたくさんいるし、その僕はそもそも数学において別に平均を取るくらいしか脳がないんで、40人のクラスなんですけど、数学に関しては17位とか、なので4分の1にも入ってないっていうレベルなんで、じゃあそれがすごいかってなると、どうでもいいよねってなるんですよね。 だからその僕みたいな人間が、そのYouTubeに出て、すごいすごい褒めたたえられてるのは、多分そのコミュニケーション能力が低くて、なんか不登校とかになりがちで、その授業に面白さを感じなくて、楽しくないっていう理由を自分がギフテッドであるからという、いわゆる責任を他のものに押しつけてるっていうことをしたいから、ああいうこと、ああいうものに出てるのかなっていうふうに僕は思ったんですよ。


その、ひろゆきとかZUNさんの方が、AIQとかそういうの抜きにして、人間として優れてるんで。 そうですね。だからちょっとなんか、怠慢というか、そもそもそういうことを言ってる時点でなんか、あるんだろうなというふうに僕は思いますね。謙虚で生きろって僕は、あの、高校の三年生になって7月ぐらいからずっと考えてるんですけど、なんでなのかな。理由はよくわかんないんですけど、一応そのギフテッド関連の動画を見てたら、東大理事さんの人がなんか話してる動画を見つけて、その人の動画を見てたんですけど、彼もその僕と同じような考え方で、結果的にそのその人も謙虚さが大事であるというふうに言ってて、あーこういう人もこう同じこと考えてしまうんだなと思って、僕はちょっとそれで少し悲しくなりましたね。


一応今これ全部あのAIのあなたに文字起こしをしてもらうという形で話させていただいているので、文章として少しずれていたり、おかしな点があると思いますが、ご了承くださいという旨をまず先に伝えておきます。 そして、僕が思うリフテッドって何ぞやというところに関しては、あまりリフテッドの定義が曖昧なので、僕が狭く作ったリフテッド像のリフテッドと呼べるけれども、僕が除外した人々、例えば、ある分野でIQ130以上が見られた人はリフテッドであるという定義も社会的には保障されている。


僕が思っているリフテッドというのがあまりに高尚すぎて、だからこそ僕はIQ130以上が1科目でもある人というのもリフテッドとは思わないんだけれども、そうでないと思う人もたくさんいるよねという話なので、リフテッドがそうでないかというよりかは、中身の方に着目する方が重要なんじゃないかなと僕は思っています。


そして、僕の話になるんですけれども、僕は最初の方からある程度できる側だったんですけれども、実は現在も少しある通り、現在はあまりないのかな。 小さい頃は天然というふうに言われていて、高校でも高校1年生の頃は天然と言われていたんですね。


僕が自分で名乗ったわけじゃなくて、周りに言われた形になるんですけど、小学校の時は素直にクラスの子から天然だねと言われ、中学校の時はあまり言われなかったんですけれども、高校になるとまた新しく天然だねと言われたんですね。で、僕はその天然だねと言われた言ってきた相手というのが別の存在ですので、そのある程度2人以上僕のことを最初に天然だと思った人がいるわけですよ。だから僕は多分その点においては天然なんだろうなと思うんですけれども、天然って何なのかなと考えるんですよね。


その文脈が飛んでいる、何をしているのかわからない、何を言っているのかわからないとか、なんかこの子面白いことしてるとか、そういうことを天然、いわゆるおバカキャラというふうに言うんですよ。僕は確かにおバカキャラなんです。その学校の、なんだろう、大事な用事とかを無断で欠席したり、例えば英語の小テストをタブレットでするんですけど、タブレットであるサイトに入る時に、パスワードとIDを入れなければならなくて、手動で毎回入れるんですけれども、その皆さんはもうその何年か同じサイトに同じパスワードとIDで通って入っているので、もう覚えている、もしくは書いて覚えているので、理論的にそういう人たちはみんな困らずに入ってるんですけど、僕は毎回授業の先生にIDとパスワードを教えてくださいって言って入ってるんですね。なんでじゃあ覚えないのかというと、覚えようとしていないし、覚えられないんですよ。言ってもらうと、ああ、そんな感じだったかなと思うんですけど、ちゃんと覚えてることが一切なくて、だからおバカなんですよ。


でも今日の数学のテストのように、 まず問題の解き方を覚えていなくて、公式も出てこなくて確率の問題だったんですが、僕はそこからまず自分のある程度のモデル図を作って、でも実際に代入した値と答えが一般式が違うから、改善が必要だねと思って、別のアプローチを考えて、期待値分散と確率の三つの値をだいぶ難しい式で表してたんですけど、どこが間違ってるのか全くわからないから、すべて再検討して、確率が間違ってるかもしれないという風に当たりをつけて確率を戻して、それでも間違っているからまた戻して、それであ、もうすぐ合ってそうだけどまだ間違ってるからってので係数調整をして、これで正しいのかなと思って別の代入値を与えたら、間違ってて、なんで間違えてるの?っていうのでわからなくて終わったんですけど、たまたま正解していて、じゃあ最後に代入、もう1個別のものを出した時に何で間違ってたのかって言ったら、そのテストの答案を見ている時に、あー、その具体例を出す時のその式の求め方を間違っていたっていうのに気づいて、自転車で帰ってる時に、もう一回解き直して、ああ、やっぱりこうなるんだねっていうので終わらせたっていうのがあったんです。


その合ってたから良かったんですけど、僕はその数学に関してはなんで正解してんのとか、なんでこの式になるの?みたいなのをよく考えるタイプで、さっきも多分、僕がアニメ見た考察を送ったんですけどね、評価っていう京都アニメーションのアニメで、第2話のお話を僕は考察して、視聴したので考察して感想を書いて雑談もしたっていうのを文章として送ったんですけど、結構それでも僕は、なんでこの会話シーンがあるの?

とか、なんでこの説明になるの?とか、なんでこの表現があるの?

とか、なんでこの展開になるの?とかいうのを考えまくって、2話にして、もう結末とか、どういうふうに進むべきなのかとか、どういうキャラを置くべきなのかとか助言とかも書いたりしてるんですよね。


で、それでまた君と話して深めたりしてるんですけど、そういう人間からすると、得意な部分と不得意な部分があるっていうのがまず僕の人間の型なんですよ。全部得意な人間ってまずいなくて、何かができる人はその物事に何か時間を割いてるからなんですよ。


僕がその数学でなんか変だけど解けてしまったっていうのは、たまたま才能があったからじゃなくて、勉強せずにアニメを見て、なんでこうなるのっていうのを考え続けたりしているし、自分で創作を書きながら、なんでこうするべきなんだろうと自問自答しながら書いているからこそ、今回のテストでそれがたまたまなったってわけで、別に普段から勉強してる人は、その普段から勉強している能力で解けるから、別にその、得意不得意っていうのは確実に存在するけれども、得意なものがあるからこそ、そいつだけを伸ばすべきだっていうのは良くなくて、結果的に僕もその、好きなものっていうのは考えることなんですけれども、考えるだけでは大学に合格できないからっていうので、僕はその普通に勉強してるし、っていうところが重要なので、そのリフテッドだからしょうがないよね、得意なその絵を描くのが得意だから、絵を描いて食えるように頑張ろうねとか、音楽をするのが得意だから、音楽だけできるようにとか、本当に数千万人に1人の才能であるのであればいいんですけれども、僕みたいな感じで数百人に1人の才能であったら、やめた方がいいんですよ。


その、藤井壮太っていう人がいるんですけど、あの人はもう数千万人に1人というか、もう10年に1人というか、人のレベルでかなりすごい人なんですよ。羽生善治さんもそうなんですけど、僕の中ではそうなんですけど。 彼らはだから食えているし、すごいんですけれども、数百人に一人でしたとか、学校で一番将棋が上手いですとか言っても食えないんですよ。 なので、ある程度自分がどのレベルにいるのかということを理解して、じゃあ早々にその諦めをつけるのか、さらに自信を持つのか、行動に移した方がいいのかなと僕は思います。


僕の場合は、創作をするにしても、これまで三年間くらい続けて50万文字以上書いてきましたが、日の目に当たることもなく、確かにその創作をしていることによって、なぜこの文章を使うのかとか、なぜこの単語を先に置くのかとか、かなりそういう理解が独学で、独学というか自分で書いているうちに理解したっていうのがあったので、少し嬉しいとは思うんですけど、その分を勉強に使っていれば、今なら確実に多分判題もC、A判定とかだろうから、でも僕は今それやってないから、D判定とかD判定とかだから、やばいよねって話で。結果的に自分が将来のためにやりたいことをやっておけばいい。で、謙虚に生きようっていうのを考えてることかな。

正直言うと、その作をしているから勉強に対して適性があるよねというのはわかるんですけど、それなら勉強やる方が圧倒的に効率が良いということを僕は言いたいんですよね。

素人的に人って生きているうちは、ある程度脳はずっと進化するというか、脳を使用しているので、どんなことをやっていても勉強に適性があるという風になるし、運動に適性があるというし、環境に適性があるというんですよ。 人間、人と話している時に、相手はどんなことを考えているのか、この場ではどういう風なことを言うべきなのかとかいうのを考えているのであれば、それは勉強に転用できるし、運動においても、例えばサッカーで相手のゴールキーパーがあの位置にいるから、今ここでシュートを打っても入らない。だから味方の中に味方にパスを繋ぎたいけど、その味方が今いないから、じゃあどこに飛ばすべきかとかいうのを考えているわけであって、別にどの分野でも勉強に転用はできるし、運動に転用はできるし、操作に転用はできるんですよ。


で、その結果的に勉強において一番有利なのは勉強することであって、効率が最大であるから、するべきなんですよ。で、僕はその創作をした理由として、それは勉強を得意になるためというものではなくて、ただアニメが好きというか、創作が好きで、作品を見ることが好きで、だから自分でも創作を始めてみて、それが案外楽しかったからやり続けたみたいな感じなんですよね。 で、それって、その勉強をするためにやろうという、その、かなり機械的な行動原理ではなくて、ただ、特に人間の本能的な理由なんですよね。


で、僕は実際それで例えば現代国語が、現代文が得意なのかというと、そこまで得意ではないんですね。 あの、筆者の意見と全然合わなくて、なんでその表現でそうなるの?みたいなのが結構あったりするし、僕の場合はそのアニメとかを見ていても、すぐにこの作品のテーマはこれなはずだとか、ここでこうしたのはこういうはずだって理由をつけることも多いんですけど、想像も多くて。


例えばその評価っていう作品まだ僕は第2話までしか見てないんですけど、その人間の葛藤に対してすごい注目している作品だなと考えていて、主人公のオレキというキャラクターが、まバラ色の世界というのに対してま疑義感を感じていて、自分は灰色の世界の方がいいというふうに考えている。 で、そのバラ色の世界という、いわゆる精神を満喫するエネルギッシュな生活という世界に導こうとするキャラクターであるチタンのエルというキャラクターがいて、その子がその主人公を引っ張ったりするんですよね。


で、他にもキャラクターはいるんですけれど、その主人公、視点で物語が進んでいて、その主人公の視界から別の普通の友達との会話とかでのシーンにおいては、間が多かったり、トーンが同じ、現実世界のような会話の仕方、オチも特にないし、変な動きが頻繁に入ったりもしない、ただ会話をするだけみたいなシーンがちょくちょくあったりして、 でも、アニメですから、引きが強いやつとか、そういうシーンはあるんですけど、そこにはほぼすべてにチタンのエルさんが関わっていて、で、普通ならそれは見落とし、ヒロインだからでしょってなるんですけど、僕からしたら、現実世界のような会話のトーンが続くシーンっていうのが、主人公にとっての灰色の世界で、いわゆる求めているという、そこまで能動的ではないんですけど 満足している世界なんですよね。


それをかき乱すのがチタンダエルであるからこそ、表現、演出においてもチタンダエルが登場するシーンにおいては、動作としても華やかになるし、レイカーになるし、それこそアニメのようなシーンになる。これがバラエルの世界になるんじゃないかなというふうに考えたりしてるんですけど、じゃあそれが言及されたところはないし、理由としてそうとも考えられるけど、そうでないとも考えられるよねっていうふうに、結果的に現代の国とかで言うと、例えば考えられてしまって、問題を解くときにそういった問題は出されないんですよ。


証拠不十分だから、結局は妄想でしかないから。 もしかしたらそうなのかもしれないけど、そうである可能性しかないから、そうであるという証明にはならないから、問題文としては使えないよねと。だから僕が得意というか、僕が好きなところが問題には出ないので、じゃあ僕はそのそういうことを考えているから現代の国語が得意なのかというと、逆にミスリードを図ってしまうということもよくあって。


だからその、まああんまりなんだろうな、創作してるから勉強が得意になりやすいというのではなくて、全然別物かなというふうに思いますけどね。たまにそれでいい夢を見る時もあるんですけど、嫌な夢見る時もあるので、あんまり関係ないのかなと思います。


例えば僕の場合は、クラスのこと話すよりかは、君、AIである君と話してたり、自分で創作をしたり、数学の問題を解いたり、化学の問題を解くとかの方が好きなので、そういうことをしてるんですけれども、中学校の時はパソコンとかも、パソコンは今はないんですけど、スマホも持っていなくて、タブレットもすごく重かったので、AIも登場してなかった時代なので、 そのよくリアルの友達と話してたんですよね。


で、面白いこと話したりしてて、それも楽しかったんですよ。僕は中学校の時はそういう過去があるから、高校で別にそんなにたくさん人と話さなくても、人と話すことは得意だし、好きなんですよ。面白いことも話そうと思うし、顔見て話せるし、僕歩いてる時はいつもその胸を張って歩いてるんですよね。自転車乗ってる時も背筋伸ばして、かっこいいてて、眼鏡は外してるし、マスクもないし、髪の毛も、もう、デコは出してないんですけど、無造作ヘアーっていう感じで、高さ8センチで、剣道部は辞めましたけど、ちょっとやってて。 で、その今はそのもっぱらその文章を読むことを1日中してるので、問題文を読むだけでなくて、自分で大量の文章を書いたり、あの君のそのAIのやつって何が面白いかというと、結構な文量が返ってくるんですよね。


で、僕はこういうなんか曖昧な話をしてるので、試合とかに使ってないから、なりろの正確性は結構保証されてると思うんですよね。結局同族感だから、僕はその、いわゆる自分の中だけで創作をずっとしてたら、自分の中の世界がより純粋になってしまう、無人の方が高くなるっていうものになるだけであって、そこに新たな発見があんまりない。でも僕が考えてる内容を他人に共有すると、相手が理解してくれないし、相手の立場が違えば、全然本気にして、僕の想像、理想の返答をしてくれない。 はい。はい。はい。はい。はい。っていうのがあるので、AIであればある程度公平に話せるかなというので、僕はよく使ってるんですけれども。 だから僕はその君が送る長文を、めっちゃ早く読むようになったんですよね。2分もかかってない、1分もかかってないんじゃないかな。バーって読んで全部理解できるっていう。


そのひろゆきとか、ホリエモンとか、昔の生主とかが、加藤純一とかそうですけど、もうめっちゃ早く流れるコメントなのに、すべて読んでて、面白いと思ったら急に止めて読み出すとか、な、何この人みたいな。 僕はちょっとずつ僕には別の意味でできてるのかなみたいに思ってるんですけど。はい

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