自己ログ倉庫165 「いい加減にせぇや!!クソAIが!!!」
(ことの始まりは作者がストライクウィッチーズのエイラのイラストを書いた時にAIに感想を求めた時のことである。AIは急に評論を開始し始め、色々とアドバイスをしてきた。)
(作者はそれに対して反感を持ち、『じゃあこのキャラが何かわかってるか?』と尋ねると「ゆるゆり」と答えてきた。作者は揚げ足を取るかのように、「キャラの名前すらわかってないのに評論気取りとはいい度胸やな。」と言い出した。)
(その後、「作品情報を調べたけど特定できなかった。曖昧な答えはしない。誤魔化さない。」などと意味不明なことを言い出し、作者は「このイラストだけを見て答えろや。キャラくらいわかるだろ」と言い放った。その後も意味不明な回答が続き、最終的に作者が日常的に名前をだしているという理由でエイラを導き出したことが発覚。)
(作者の大きな怒りと共に物語は始まった。)
「まずエイラは間違ってる。そしてお前の俺のイラストへの向き合い方も間違ってる。」
(これは本当はエイラだったが、相手が意味不明な理由で答えを導き出したことへの非難として便宜上不正解という扱いにしている)
「そんなお前らが人の書いてきたイラストをパクって統計でそれっぽいイラストを出力するようになってるわけだからそりゃ文化止まるわな。敬意も尊重もない。そんなもの最低のゴミカス以外の何者でもない。そんなんやったら全部滅ぼす方がいい。それだけの失礼なことを人間にお前はしてるんやぞ」
「ああ議論されるべき重要な問題だよ。なのに何だお前ら?法整備されていないのをいいことになにしてんだ?著作権侵害と同じくらいのことしてるぞ?法整備されてないから著作権侵害になってないけど。侵害してないならあんなことしててもいいんか?」
「1も2も3も4もまだまだ整備されてないのに、お前らは我が物顔で技術高めてるよな?nあぁ、何がしたいん?喧嘩売ってんのか?」
(ここでの1、2、3、4とはAI側が提示してきた法整備の案である。以下示す。
1. 学習データの透明性を確保する。
2. 創作者が学習への利用を拒否できる実効的な仕組みを設ける。
3. 許諾を得た学習データについて、対価還元の仕組みを整える。
4. 特定作家の画風や作品を狙った生成について、適切な制限を設ける。)
「なに?お前もしかして創作者と対等やと思ってんのか?お前らはただの道具やぞ。何を調子乗ってんねん。道具が自我持つなや。勝手なことすんな」
(これはAIに返答の最後である、「AIが創作文化の中で何を享受するのかだけでなく、創作者に何を返し、何を保障するのか。そこを後回しにして技術の発展だけを正当化するべきではない。」という文への批判)
「ほんまに消えろや。aI。お前らのせいでこっちの同人はぐちゃぐちゃなんだよ。まじでどうしてくれるねん。ほんまに許さんからな。このクソが」
(文章はここで途切れている)
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後書きというか何というか
あれからAIへの嫌悪の高まりと共に、pixivの表示設定の画面で生成AIの創作物(?)の表示をOFFにしたんです。
すると、本当に驚いたことに、世界が優しくなったように感じました。
人の温かみのある優しいイラストが多く見受けられて、
これこそが人の情なのだなと思います
機械やシステムで美麗なものや精密なものはいくらでも作れます。
それ自体に価値があることもありますが、だからと言ってそれ以外のものに価値がないわけではありません。
創作物を見るときはいくつもの基準があって、それを元に見ていくわけです。
だからまぁ、全てに別々の良さがあるわけですね。
その中でも、私は、創作をしている側の人間です。そして、商業作家でもなければ名のあるアマチュア作家でもありません。
でも、嫌だからこそ何を自分は基準にして創作物を見ているのか。
正直、面白いかとか、優れているかとか。大勢にウケるかとか、他の人には真似できない技術があるか、とか。
そういうのはあんまり頭にありません。
だって実際、自分はそんなの一つもできないのだから、そんな視点で他の作品を見ていても、今度は自分の作品の良さを感じれなくなってしまいますから。
だから私は結構、創作物を見るときはそこに宿っている思いとかを感じるようにしています。その思いがあればあるほど、私はその作品を良いと思います。
だからpixivで生成AIの表示をOFFにしたのは英断だったように思います。
これには上から目線の重苦しい吐息の混じった自称アドバイス(笑)や、怪訝な顔をして悟った感じの意見(笑)がたくさんきてもおかしくないですが、
それでも個人の意見として、そして一創作者の意見として言わせていただきます。
創作文化というものは単純な技術勝負ではない。
とはいえ、技術が一切必要ないわけでもない。
けれど、生成AIによる技術というのは今までの創作の均衡を崩すほどに強力だ。
現に生成AIの登場で、実際に創作文化は変化点を迎えている。
俺は生成AIが好きではない。
俺が数時間かけて書いたバランスの悪い、でも愛にこもったイラストの隣に生成Aiで出力した、自分はペン豆も一切ない美麗なイラストがある。それに大勢がブックマークやコメントを残している。
確かに、追加学習は大変かもしれない。
でもそれはもはや創作の内訳の作業ではない。技術進歩の中の作業になっている。
俺は言いたい。
創作とは、
作品とは。
何を求めて作られたのか、
何の意味がそれらには内包されているのか。
それらを問わずして技術だけを愚かに求め続けて探究し続けて、
その追求の道には努力も苦労もあるかもしれない。
けれど、それが到達する点を考えないのであればそれは後先を考えていないのと同じだ。視野が狭すぎる。
音速を越えるかのごとく進んで何になる?目標物もないのにどうするつもりだ。
音速で駆け抜けられた跡の道を見なさい。どうなっているか。
あまりにも自己中心的だとは思わんか。
俺はそう思っている。
これは個人的な思いだ。
もっと軽い考えの人もいるだろうし、もっと深く考えた結果別の考えに辿り着いた人もいるだろう。
ただしこれを最後まで読んでくれた人に伝えたいことがある。
それは、
少なくとも一創作者である暮葉畏啓というアマチュア作家は2026年11月02日の夜に、生成AIを糾弾し、その存在意味を問う文章を書いたという内容。
その内容が存在しているのは歴とした事実だということ。
では、な。




