↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
自分史  作者: 暮葉畏啓
子供幼社
PR
150/155

記念すべき自己ログ倉庫150は「便利さが持つ薬と毒」

【1】

だからこれもAIと同じなんだよなと僕はちょっと感じたりもするんですよ。


つまり、基本的にAIと今回で言うとインターネットっていうのは便利なものとして扱われますよね。


Googleっていう検索エンジンで自分が気になった言葉とか単語、用語に関して、すぐさま調べることができると。ある程度正しい知識がすぐさまゲットできる。この状況が担保されてるんですよね、私たちは今現在。


これはいわゆる便利というふうに解釈することができると思うんですよ。この社会の便利さ、自分の身の回りの便利さっていうものが幼いときにあると、幼い自分に影響するのかっていうところに関して、実は成人後の人間と幼少期の人間とでは、その影響が結構違うのではないかと私は感じていたりします。というのも僕はこの説明をするときに、いつものクイズを出しています。



【2】

計算問題として、例えば35かける45というものが出されたときに、じゃあその答えは一体いくらなのかという問題を私が出しましたと。皆さんはそれをどうやって解きますかと。5人いたとしましょう。1人目が暗算で解きましたと。自分の頭の中で暗算で解きました。2人目が筆算をしましたと。


自分の目の前にある紙に鉛筆持って筆算をして解きましたと。3人目が電卓で解きましたと。電卓に数字を入力してエンターをして求めましたと。4人目が右隣の人の答えをカンニングして答えましたと。5人目がインターネットを使って答えましたと。5人全員別々のことをしたんだけども最終的に出力された答えは同じでしたと。


私は全員に丸をつけましたと。このときこの計算問題というものは、簡単に言えばいくつかの処理工程が潜んでるんですよ。まずその数字を記憶するというか、その記憶するというのは脳内に記憶するではなく、それだけではなく紙に記憶させるとか、記憶させる保存するという行為がまず一つ必要ですと。


その次に掛け算という処理を行うと。その処理を1の位でまず処理して10の位で処理してそれを足し合わせると。最終的に出力された結果を、その数字を出力しますと。この主に3工程があるわけですよね。暗算で行った人間はまずその数字を記憶するということを自分の頭でやったと。で、掛け算も自分の頭でやって足し算も自分の頭でやってその数字を出力するのも自分の頭でやったと。


筆算のやつは記憶させるのは紙に記憶させて自分は筆算の処理だけを行ったと。で、3人目の人は電卓で行った。これは数字を記入するっていう、記憶させるという行為はしたけど記憶はしてないんです。で、筆算の処理もしてないと。出力されるのも自分ではないと。で、カンニングは何もしていないと。で、AIに聞くっていうのも自分でその数字を入力してるだけであると。


このように考えると処理自体は全部一連同じなんですけれども、どこで処理してるのかが変わってくるわけですよね。で、うまい話、暗算でやる人間は一番頭をその処理だけで言うと使ってるわけじゃないですか。で、成人の人間は別にその処理能力を成長させるっていうのはもうほとんどないじゃないですか。


だから別に電卓を使おうがAIを使おうが、一応自分で暗算とか筆算できる人間であれば、別に便利なものを使えばいいんですよ。でも幼い人間は脳の処理とかを成長させたいっていう状況にあるわけだから、筆算とか暗算を行うのがおそらく良いんですよ。


でもAIを使うと自分は筆算の処理もしないし記憶もしない、頭の中で記憶という行為もしないってなるから極端な話頭を使ってない。つまり頭の成長が遅れるっていう考え方が僕は結構極端な例として挙げてるんですが、そういうものがあるんですよね。


ここから考えるに、今の話は1人目から5人目まで順に便利になっていく、いわゆる自分以外の道具が便利になっていく順番としてこう伝えたんですけれども、つまり便利なものになればなるほど自分の頭、頭だけじゃなく自分にかかる労力っていうのが減るわけじゃないですか。


これは本来良いこととして解釈されることが多いんですけれども。成長がメインの年代からすると、その成長するきっかけとかチャンスっていうものを外部に奪われてるっていう解釈もできるじゃないですか。これは特定の年齢層がネットを使うことを批判する文章ではないんですが、特定の人間にとっては、便利というものが必ずしも得にならないよねということを説明するための文章として流用ではないかと僕は考えてるんですね。


で、便利というものを先ほどの言葉で考えると、今回僕が言ったのは先ほど極端な例と言ったんですが、確かに極端な例で、ひっさん、数打ちをかけるという行為において頭を使いたい人間は暗算をすればいいのですが。たとえ頭の成長がメインの年代であっても、別にその成長というものを、ひっさん、掛け算、暗算、ここのチャンスを使う必要はなくて、別にひっさんとかは電卓でして、その後の考え方のアプローチとかを自分の頭でやれば、別にそれは頭としては成長するじゃないですか。


つまり掛け算とかひっさんとかを自分の頭を使う消費対象として見ずに、より価値があると自分が考える消費対象に自分でちゃんと頭を使って場合、別にそれは電卓を使ってても素晴らしいと言えるわけじゃないですか。


だからこそ、年代が小学生とかだからAIとかを使うべきではないっていう意味じゃなくて、基本的に自分がどこで頭を使うべきかとか、自分の意識というものがちゃんと存在していて、自分として確固たる意思を持って行動できているのであれば誰でも大丈夫なんです。でも社会にはそんな人しかいないわけじゃなくて、もちろん便利であれば便利にそまる人なんてわけですよ。


掛け算をしろと言われて掛け算をするけど、めんどくさいから電卓でやると。その後、なんか図形問題が出たから、わからないからAIに聞くと。読書感想文出されたからAIに書かせてそれをコピペして提出しましたと。そういうことをして、その後にこの工程を楽できたから、だから今度はこっちの工程を自分の頭で考える時間が増えたって言って、さらにこう積極的に行動しない。


そういうことを全くしない。出された課題はAIに全部片付けて、自分は楽しむ、遊ぶ、別のことをするっていう人間の場合、それは快適とか便利っていうのは良くない状態に誘うきっかけになっちゃうよねっていうふうに捉えることができると僕は思うんですよ。だからここで言いたいことは実は年齢層とかではなくて、意思がちゃんとあるか、自分がその行動に対して責任を持っているかどうか。


【3】


自分がAIを使った場合、それによって何が起きるのかどうか。そこら辺をちゃんと自覚持って行動できてる人間なのかどうか。自分はそうなのかどうかってことを理解していれば、かなり良いと思うんですよ。で、例えばさっきにも言ったように、計算をすべて電卓にやらせることで、自分は円周率の証明の考えるアイデアの方に専念できたと。それならば従来の計算を絶対にしなければならない、その上でアイデアも出さないといけない年代に比べて、年代というか人間人たちに比べて、圧倒的に効率の良いパフォーマンスで求めている目標までたどり着くことができるじゃないですか。これが素晴らしいと思うし。


つまり便利さっていうものを味方につけてその人は行動してるっていうふうに考えることができるじゃないですか。便利さっていうのは常に悪ではなくて、逆に常に善でもないと。


自分の使い方次第によって、大きく悪にも大きく善にも、その中途半端な状態にもなりうることがあると。だからこそ、自分がどれに位置するかどうか、どれになりたいか、どう使いたいかっていうのを今一度考えるべきかなと思います。


【4】


で、もう一個面白い話として言うと、こんだけその快適さっていうのが薬にも毒にもなるっていう状況であれば、薬として働いた人間と毒として働いた人間って差がなくないですか。で、よく言われるのが、AIとかが使われた結果、人間の能力っていうのが平均値の方にみんな寄っていって、いわゆる箱ひげ図で言うと、CV範囲が狭くなるみたいな状況になるだろうと。みんな同じぐらいできる。


みんなこれくらいはできるようなみたいな水準に本当にみんなが集まっていく。めっちゃできないやつとめっちゃできるやつが減るっていう。便利になればその道具に頼ることが多くなるから、人間の素質とか能力とかに依存する側面が減ることで、AIっていうのはみんな変わらないから、みんなこう似たようになるよねっていうのが従来のなんかそういう予想だったんですけど。


それは僕正しいと思うんですけど。それはAIというものが補完してるからそういうふうになってるわけで。AIをその中から抜き取ったとき、人間個人としての能力っていうものはおそらくできるやつできないやつでめっちゃ分かれてると思うんですよ。僕は二極化してると思うんですよ。


だから業務とかAIを使っている仕事とかではみんなある程度できるようになるかもしれないけれども、定期テストとか学業とかAIを使ってはいけない状況ではおそらく二極化がこれからどんどん広がっていくと思うんですね。これは僕の希望的観測というか、ただの予想ではあるんですが、正直この兆候は見られるのではないかというふうにちょっと僕は思ってたりもします。




『神様と便利』

【5】

まあそういう話ですよね。一概に便利とは言えない、便利はいいとは言えないし、便利はダメだと言えないから、どういう状況の時に便利だと言えるのか、どういう状況の時に悪と言えるのかってことを、鮮明にしたというか、細かく分けたというか、そういう記事だったのかなというふうに私は感じます。


正直、便利さっていうものに対して考えると、時にはそういうことじゃないんじゃないのかとか、いやでもなんかそういうこと言ってるけれど、便利ってさっていう自分の価値観とか考え方を持ち出して、僕の記事に対して批判する人とか、これは違うんじゃないかって思ったりする人も多いと思うんですけど。


僕結構これに関しては説得できると感じていて。


便利さっていうもの事を挙げると、なんか便利っていうのが、なんだろうな、便利という言葉がとにかくなんか象徴的な言葉で、他に仲間を持っていないような言葉に感じたりするんですよね。便利に似てるような言葉ってあんまないんじゃないのっていう。


快適とはそういう意味じゃなくて、便利っていうのが割と孤高な存在ではないのかと。それと似てる性質を持ってるやつってなんかあるのって思ったりする人も多くて。だからこそ便利に対して、なんかこう簡単な結論をつけてしまうのはちょっと危うくないかと思う時も多いと思うんですけど。


僕結構便利っていうのは割と神様的な存在と似てると思っていて。それはその便利さというものが神様だっていうふうに言ってるんです。そういう意味じゃなくて。神様っていうのはものすごい、僕が考える神様はある程度人間を超越した人知の左右を持ってる存在ですよね。


割とみんな多分そういうふうな意識だと思うんですけれども。便利さっていうのもある程度それくらい上位の存在なんですよ。人間にとって影響を与える存在、大きく影響を与える事例だからこそ、その扱いによっては危機にもなるし脅威にもなるよねっていうのが僕の考え方で。


【6】


例えば、火山の噴火とか地震とか津波とか洪水とか自然災害っていうのは。昔はある程度神様とかと結びつけられてましたけれども、今でもそうかもしれませんが。今科学的状況で科学的判断ができるようになったかもしれませんが、今でも影響力がとても高いものじゃないですか。


人間の人生を大きく左右するし、その人間っていうのは単一の人間ではなくて、大勢の人間、その地域に住む大勢の人間の人生とかを大きく左右するものがこの自然災害なわけじゃないですか。で、この自然災害っていうのには必ずしも良くないことがつきものなわけではなくて、良いこともあるわけじゃないですか。例えば洪水でデメリットって言われれば、いくらでも思いつくと思います。


家屋が流されるとか、家畜が死んでしまうとか、人間が下敷きになるとか、その地域の土砂とかが海の方に流される、消えるとか。洪水って言われると、自分たちの自然環境とかが大きく崩れるっていう。逆にメリットは何なんだろうと。ここでよく挙げられる例としてはナイル川ですよね。


ナイル川はよく洪水を起こしてましたよね。でもあれって割と良いメリットになってたんですよ。上流の方の肥沃な土砂が土壌が洪水によって下流まで流されることで割とエジプトっていうのは農具できてたわけじゃないですか。洪水っていう言葉に対しても良いメリットはあるわけじゃないですか。


例えば他にもう火山の噴火っていうのを見るとちょっとその、なんだろう、土石流とか火砕流になると、土石流はちょっと違いますけど、火砕流とかになると大勢の登山客を殺すわけじゃないですか。ものすごい災害しないですか。でも火山の噴火があることでそれの副次的効果として温泉の湧き水が出たりとか貴重な医用ガスとかガスが湧き出たりとかそういったものが副次的なメリットとしてあるわけじゃないですか。


で、僕たちはその僕たちの領域で自然災害とか大きな出来事を善悪で区別してるからとにかく僕たちが主体なので僕たちが見る視点を変えればいくらでも良い方向にも悪い方向にも捉えることができるんですね。これは自然災害というものが良い存在である、悪い存在であるっていうのがすでに決まってあるそういう存在なのではなくて僕たちが後付けで価値を付加してるからこそこういう状況になる。


つまりメリットデメリットが混在して正解がないというふうになるんですけれども。これと同じように影響力の強いものっていうのはそれが持つメリットとデメリットの大きさもものすごく大きいんですね。だからこそ存在が大きければ大きいほどめちゃくちゃいいメリットとめちゃくちゃ悪いデメリットの絶対的な距離の差っていうものが大きくなるんです。りんごが1個ありましたと。


そのりんごを僕が食うことができて栄養源になりましたと。逆にそのりんごが1ヶ月そこに置かれてたせいで腐敗して嫌な匂いが生まれましたと。そしたらメリットにもデメリットにもなるわけですけれども。それの持つ影響力っていうのはそこまで大きくないじゃないですか。災害に比べるとね。


この簡単な例からわかるように、影響力の大きいもの自体っていうのは、それ自体が良い方にも悪い方にも働くという前提のもと全体があるんですけれども。その程度の大きさっていうものが、影響力が強いほど大きくなるっていうふうな簡単なモデルとして一回頭の中に置いてくださいと。でここで便利さっていうものを考えると、便利さっていうものは我々の生活においてものすごく影響が強いものですよね。


便利なものと便利じゃないものって全然違いますよねと。


だからこそ便利っていうのも同じように薬になることもあれば毒になることもあるんですよ。便利っていうのは自然災害っていう目に見える物理的なものとは違って、自分の人生100年ぐらいにおいて密接に関わり続けて密接に影響し続けるそういう性質を持っている存在というか概念なので。


便利さっていうものが、これまた人生を大きく変えてしまうほど影響力があるっていうものは先ほどの説明と結びつけるとより理解しやすいかなと思いますね。


だからこそメリットとして快適とか便利とかいうのを利用できた場合、ものすごく成長すると思うし、逆にデメリットの方でデメリット方だけで解釈したり使って利用してしまった場合、かなり良くない状況に招いてしまうと。っていうのがここからちょっとわかりやすい理解できるのかなと僕は考えたりもします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。