自己ログ倉庫148「高三の秋の俺へのインタビュー」
第一部、あなたは何者なのか。まずあなた自身のことを聞かせてください。
自分のことを何も知らない人に、私はこういう人間ですと説明するとしたら、どんな人間だと説明しますか。 うーん、まあ僕は基本的に自分がやりたいことをしている人間と答えますね。
Question 2。高校生としての自分と創作者としての自分、黒背景、石の中では、この二つはどのくらい同じで、どのくらい違うのでしょうか。 基本的に自分の中から生み出すものとしては同じものなんですけれども、学業が高校生として主になるもので、創作者としては創作とかが主になるんですが、その二つの違いとしては、まあ、何でしょうね。責任があるかないかの違いだと思いますね。自分以外に責任を負う必要があるもの、というのが勉強であって学業であって高校生であると。逆に創作というのはすべて自分が責任を持つことができるという。っていう意味で悪い意味ではそういう違いがあるかなと思っています。
Question 3。自分は周囲の人間と少し違うなと感じることはありますか。あるとしたらそれは具体的にどんな場面ですか。 僕の周りの人間がどういうタイプの人間なのかによると思うんですけれども。少し違うなと感じるところとしては、ここまで自分に正直に自分のしたいことをしている人間っていうのはそんなに多くないんじゃないかなと思っています。僕の周りの人間は勉強とかを真面目にやる人間が多くて、家族とかからの信頼、もしくはプレッシャーっていうものを強く感じている人が結構大多数なので、自分のしたいことを抑圧して、自分がやるべきことを優先する人とかが割といたりするんですけれども。その中で考えるならば、僕というのはすごい自分がやりたいことをやり続けている人間なのかなというふうに思います。それは学業においても創作においてもその他のことにおいても言えることかなと思います。
第二部、創作について。
これまでかなりの量の文章を書いてきたわけですよね。そこまでして書くのはなぜですか。誰かに読んでもらいたいからなのか、自分の考えを形にしたいからなのか、それともそもそも頭の中にあるものを文章にせずにはいられないのか。
そもそも僕が文章を書いたというか、創作というものをしたっていうのは、もうめちゃめちゃちっちゃい頃からしていて。レゴっていう、レゴブロックっていう玩具で、自分が作りたいお城をずっと昔から作ってたわけですし。妹に、妹とよくおもちゃでこう遊び的なことをよくしてたんですけども。それで展開してお話みたいなものを自分で漫画風に書いて。漫画というながらセリフはないんですけれども、イラストで漫画風に書いていって。いわゆる紙芝居ですよね。それで妹に見せていたみたいなのもあったり。単純にそのドラゴンクエストとかいう、僕は小さい頃に好きだった、ガンダムとかも好きだったんですけど。そういったものの好きな漫画の一節みたいなのをコピーして書いたり。コピーというか自分で模写したりとか。中学校の時でいうとロード・オブ・ザ・リングっていうJ・R・R・トールキンさんが書いたファンタジー小説があるんですけども。その小説の資料集的なものに描かれているドワーフのお話を僕はなんかずっと模写してましたね。ほぼ一冊ぐらい模写してたと思いますね。アンギアサスっていうオリジナルの文字があるんですけど。それも覚えようとしてましたね。はい。っていうところがあるので、創作に関してそれだけは昔からずっとやってきていて。それなんだろうなって言ったら、その当時、小さい頃の自分っていうのはそれがただ単にしたかったからでしかないんですよね。今現在においてもその気持ちは変わらなくて。自分がやりたいことをやってるという点においては第一部と同じような回答になるのかなというふうに思いますね。誰かに読んでもらったりしたら嬉しいですけれども、誰かに読んでもらうためだけに書いてるわけではなくて、自分の考えを形にしたいから書いてるわけでもない。まあでも誰かに読んでもらおうと思って書く文章もあるし、それはメッセージ性の強い思想文とかはそういう時もありますけれども。
基本的に自分の考えを形にしたいっていうのが自分史っていう小説家なので連載してる僕の自伝みたいなものに関してはそれの色が強いかなと思います。逆に頭の中にあるものを文章にせずにはいられないっていうのは自分史に当てはまるんですけど。オリジナル小説とか二次創作の小説とかも基本的にそういったものが側面として強いのかなと思いますけれども。根本にあるのは自分がやりたいからであると。そのやりて、何をやりたいのかというと、人に見せたいと思うのもあるけれども、自分がそう考えたり、自分が書くことそれ自体に面白さを感じてるっていうのもあると思います。
Question 5。黒背景氏が創作において絶対に譲りたくないものは何ですか。文章の美しさや物語の構造、発想の独創性、テーマ、キャラクターへの愛着、あるいは創作分類そのものが違うのでしょうか。
文章の美しさっていう点に関しては、僕はそもそもそこまで文章をうまく書くのが得意ではない。文学部でも何でもないので、文章が綺麗に書けるかどうかっていうのは僕は得意ではないと。そもそもね。物語の構造に関して、構造っていうのが起承転結がうまくなってるよねとか、フックがあってちゃんと人を引きつける最後の終わり方になってるよねとか、そういう点においては僕はそんな得意じゃない。それを絶対に譲りたくないものとして挙げる人はそこまでいないかもしれない。
発想の独創性に関しては、独創性であると思って、独創的だと思って作品を作るっていうのはよくわからなくて。作ってる間結局それが独創性になるよねっていうのが普通だと思うんですけど。そうですね。僕は好きなものっていうのがそもそも自分の周りにいる高校生の中でもオタクと呼ばれるような人たちもセミシコがちょっと違ったりするんで。
その点で自分はちょっとなんか変な人間なんだなっていうのを自分で理解してるつもりですけれども。それを独創性というなんかいわゆる魅力的なものに基本的に僕はわかってない感じですね。テーマとキャラクターへの愛着なんですけど。キャラクターへの愛着はすごいあるんですけど。造形でかわいらしいものを作るっていうのが愛着につながるのかというとそうではなくて。見るものとかはそういうものが多いとは思うんですけど。自分で書く分にはなんかひねくれた人間なので。生き方とかそういった方に焦点が当てる感じがしますか。テーマに関していくと、基本的に僕が書く内容はシリアスになりがちですね。ギャグ系の才能がないので。
はい。絶対に譲りたくないものは何ですか
僕自身としてまあ、思考の根本にあるもの、という点でいくと、創作をするという行動、これは誰にも譲りたくないですね。はい。自分が作りたいので、その思いというものを裏切る状態なのであれば作らない方がいいのかなと思いますね。
で、次。
自分の作品を読んだ人にどんなものをもしかしてですか。感動でしょうか、面白さでしょうか、新しい視点でしょうか。それとも読者の中に何か引っかかりを残すこと自体が重要なのでしょうか。
僕自身は感動物語を書いてるつもりはないし、面白いと思ってもらえるような物語を書いてるわけでもないし、新しい視点を持ってもらえるような高尚な物語を作ってるつもりはなくて、基本的に僕は自分の思い描いてる世界というものをほとんどそのままリアルに描写してるだけなので、リアルと言っても現実世界のようなリアリティではなくて、自分の思い描いてる妄想の世界というものをできるだけ忠実に描いてるだけなので。なのでそこにドラマ性があるかと言われるとあんまりないような気もしますけれども。
一番嬉しいのは自分の思い描いてる世界というものを素直に受け入れてくれて、それに浸ることができる人間っていうのが一番いいのかなと思いますね。
うん。
逆に自分の作品においてまだ足りていないと思うものは何ですか。技術的な課題でも自分自身の限界だと感じていることでも構いません。
基本的に僕は自分の世界というものがちゃんと存在しているというところは利点なんですけれども。まあそれが面白いものになってるのかとか、ドラマ性のあるものなのかとか、感動物語なのかとか、かわいらしいキャラクター造形をしてるのかとか、その他諸々の面で僕はまだまだ娯楽コンテンツとしての歩みというものをまだ導ききれていなくて、基本的に自分の世界があるだけだよねって話にしかなっていない。それが改善すべき点というか、致命的欠陥かなと思いますけれども。
それに関しては追々やっていけばいいかなと思ってますね。
第3部、作品と人間。
東方プロジェクトやるいりなど、長く好きでいる作品がありますよね。それらの作品は単なる娯楽として好きなのですか。それとも自分の考え方や創作のあり方にまで影響を与えているのでしょうか。
僕は基本的に作品から影響をとても受けるタイプで、作品をただ単に短期間で自分がちょっと感情を変動させる短期的な娯楽コンテンツとして接してるわけではなくて、自分の世界を広げる、別世界のものたち、物語っていうふうに捉えている。僕のこの人生も一つの物語であって、他の友達とかが見ている物語っていうのも別に存在していて、その一環としてアニメの中にある2次元の世界でのキャラクターたちの物語っていうのがある。
それぐらい平等に公平に見ているので、私自身としては。なので基本的にその作品で描かれている世界っていうものが美しいなと思った場合は、その美しさを自分の見ている世界に当てはめることにはなりますね。はい。怪とかそういったものが好きだなっていうのは昔からあったんですけれども、物語シリーズを見たときにやっぱりその、なんでしょうね。
現実世界の中に怪が侵入するという状況とか、そこで生まれる、なんだろう、シュール的な逆センス。あと、同じ狭い関係で追い込まれる人間関係みたいな深みみたいなところに関しては結構影響を受けたし、小説を書くきっかけとなった点で言えば、ひねくれた小説を書くきっかけになったものとしては俺ガイルですよね。小説に自白が多いっていうのも僕の小説の特徴ですけど、それはほとんど完品俺ガイルの原作の影響を受けてると思いますね。あれを読んで僕は小説の書き方を習ったというか、そのままなんかそんな感じの真似たようなものを書いてたので、そういう感じになりますね。
で、直近のものでいくとAIRとかいうのもありますね。キー作品に関してはすごい影響を受けていますね。特にエアっていう作品に関しては非常に影響を受けました。夏の物語、儚い物語、歴史の重みがある物語。僕はやはり、なんだろうね。基本的に物語としては切ない物語、感動系の物語、寂しい物語、悲しい物語っていうものは僕がよく書く物語で、それはやっぱりキーの作品に影響を受けているっていうのもありますし。その少女たちの少年たちの物語、オニャス物語っていうものの中に、ものすごく重い設定であったり歴史であったりが含まれているのねっていう。
その奥行きの深さっていうのはやっぱりキーに教えられたところはあると思います。正直なところロード・オブ・ザ・リングとかの緻密な舞台背景とか設定がすごく僕は好きだったので、そもそもそういうものが好きなのかもしれませんが、自分で創作をするときにやっぱりそういった背景までちゃんと考えて作り込みたいなっていうのはやっぱりありますね。
作品を楽しむとき、演出や構成、テーマなどを分析することが多いとのことですが、分析することによって失われる楽しさはありませんか。それとも分析することで初めて見えてくる楽しさの方が大きいですか。
基本的に楽しさというものは、何だろうな、いくつも種類があって、ご飯を食べるときの楽しさとか、ご飯を買ったときの楽しさとか、ご飯を人に食べさせてあげたときの楽しさとか、ご飯を作ったときの楽しさとか、ご飯の後を処理する楽しさとか、ご飯を届ける楽しさとか、ご飯ってだけでも、ご飯の楽しさってだけでも様々楽しみ方があるわけで。作品を楽しむっていう行為の中において、演出や構成、テーマなどを分析する楽しさもあれば、それによって失われる楽しさ。要は失われるというか覆い隠されて見えなくなる楽しさっていうのはまたたくさんありますよね。
例えば演出や構成、テーマを考えてるときっていうのは、そのアニメを見終わったときの余韻を感じる状況、状態を阻害する行いですから。別のことをしてるわけですから。だからそういう点では楽しみを失わせてるのかもしれませんね。でも逆に言えば、すべての行為がすべての楽しさ、どれか何かの楽しさは絶対に阻害した上で、その新しい楽しさっていうのが表面化してる。
つまり楽しさっていうのは大海原に浮いてるんですけれども、その中から自分が今楽しんでることっていうのは、その大海原から一本柱として飛び上がってるんですよ。でもその柱が飛び上がる瞬間にその波のしぶきが海の表面を覆ってしまうと。それで今まで楽しさが表面にちょっとうっすら見えてたのが、いくつか隠れてしまうというのが普通だと思うんですね、僕。だから何か楽しんでるときは別の楽しさが隠れてるよねっていう。聞いたわけじゃないと思います。はい。僕はそういうふうに捉えてます。
暮葉畏啓氏とって優れた作品とはどんな作品ですか。そして好きな作品と優れた作品は必ずしも一致すると思いますか。
作品という大きな主題に関して優れているとか楽しいとかいうのそもそも定義が難しいというふうに僕は思いますけれども、その中でも優れている作品というのを挙げるとするならば、どうでしょうね。やはり僕は決めたくないというか、決めたくないんですけれども。何でしょうね。
今僕がこのインタビューを受けているときに背景で流している曲がキーのカノンなんですね。なのでカノンが優れている作品と言いたいんですね、はい、今回に関しては。
でも僕はその作品に関して優劣をつけるつもりは一切なくて。よくその興行収入とかグッズでどれだけ売れているかとか、円盤の売り上げとか、なんかネットでの話題の出やすさとか。そういったものがいろいろと判断する材料になると思うんですけれども。それらは作品の打ち出し方とか作品の宣伝とかそういった技術の方だと思っていて、僕は。作品として優れているかどうかっていうのは、あまたもの判断基準があるわけですよ。さっきもたくさん言いましたけど、作品ってので絞れば演出効果とか、そもそも音響とか脚本とか。その脚本と作品がイコールってわけではないっていうのをちゃんと理解してほしいのと。
作画だけでなく声の演出面もあるわけで。すべてが正しい、すべてが優れているよねという作品は存在するんですけれども。だからといって、じゃあそれはなんだでしょうね。そうでない作品は優れていないのかって言われると違うと思うんですよ。だってそうでない作品にもそれら独自の世界観があって、それらだけの固有の世界があるわけで。その世界というものを比べること自体がおかしいんですよね。大金持ちの家の子供として生まれてきた人が見る物語と、僕みたいな普通の家庭で生まれた人間が見る物語と、すごい信仰宗教の親の中で生まれた子供が見る物語っていうのはすべて違いますけど。
じゃあどれが物語として優れていますか、作品として優れていますかってなったとき、誰にもわからないし、それは多分価値をつけられる存在、そういったものに価値をつける上位的存在っていうのは多分いないと思うんですよね。だから僕は作品というものをそれらと平等に扱っているので、優劣をつけること自体はおかしいのかなと思いました。はい。でも強いて言うなら今つけているからカノンですね。
第4部、人生について。
大学や将来の仕事について、世間で一般的に重視されることと自分が重視することには違いがあるように思います。この背景として将来どんな生活を送りたいですか。職業や年収だけでなく日常の過ごし方、創作に使える時間、人との関わり方なども含めて聞きたいですか。
基本的に僕は、社会的評価みたいなところを重視する人間ではなくて。僕、さっきも言いましたけど、個人の物語がどんどん歩んでいくっていう考え方をしているので。その物語の歩み方の中で納得できる人生であればいいかなと思ってます。どんな人生をたどるにせよ、優れている人生とか悪い人生とかそういったものを人生をたどっているときに考える必要はなくて。そういったものは結果論ですから。結果として僕たちの人生、物語が終わった後にそれを見た人が、これはバカな人間の人生だなとかいうふうに結果をつけるっていうのが普通だと思うんですよ。それでそれが正しい評価の仕方であって、まだ終わってないのにその評価を先につけてしまうっていうのは違うと思いますよ、と。
たとえ借金25億できたとしても、その後宝くじを当てて3億円ゲットして、その3億円を元手に借金全部返済できたんだったら成功した人って言われるかもしれないし。そういう人はそういう人でなく、俺の人生たくさんあったけどすごかったなと思うわけじゃないですか。でもそれ最後までやらないとわからないじゃないですか。借金25億、たまったときに人生終わった、思うのは当然なんですけど。じゃあそれを果たしてものすごく冷静に25億貯めた人生、俺の人生は最悪だったんだって思う必要はないんですよ。
最後までまだ見てないから。すごく冷静な状態で見るのであれば、そこまで考えるべきですよというところがあるので。僕に関してはやはり自分の物語として人生を見ているので。職業や年収っていうものに関しても社会的評価が高い方がいいのかという問いはいつもしてますね。それが正しいのかっていう問いはいつもしてます。
根本になるのは自分がやりたいことをやるということなので、年収とかに関しても自分がやりたいことを大きく阻害するようなことでなければ、いわゆる自分が納得できるものであればいいかなと思ってます。逆に納得できないし理解できないものは、自分が納得できていないのにそれをやらなければならないという環境に置かされることに関しては納得しませんので。それはすぐ解決させようとしますね、はい。具体的に言うと仕事に関しては理系ですので、サイバーセキュリティ系の方に働けたらいいかなと思ってますよと。また、そのソーサリング系の方でなんかつてがあるのであれば、そちらの方で働きたいとも思っていますと。
年収に関しては別にそこまで高くなくてよくて。一番大事なのは時間の余裕とつながりの余裕と空間の余裕が僕の中ではとても大事にしているので。お金がどれだけ余裕であっても時間がなければ意味がないと思っているので。最近は無料コンテンツが増えてきているので、別にそんなにお金が大事ってわけでもないような気もしているので。生活に必要なお金のためぐらいなら、別に今の僕であれば別にこのまま自由に生きればなんとかなると思っているので。だから過度な期待とかはせずに過ごしていけたらなと思います。
日常の過ごし方というのは僕は基本的に大人になったらある程度大きな家に住みたいから田舎に行こうと思っているんですよね。それはやっぱり静かな日常を送りたい、心の余裕とつながりの余裕と空間の余裕っていうところを満たすためにというところなんですけれども。なので日常生活としては別にそこまでなんだろうな。時間の流れるのが早いような世界、世間で過ごすというよりかは、ゆっくりな場所で自分の好きなことをしてやり続けられるっていう方がいいのかなと思ってますね。
そういうものをしたいと思ってます。創作に使える時間というものに関しては、創作をどれだけできるかどうかわからないので、今この時点で未来の自分に枷をつけるっていう必要はないと思ってるので。なのでやりたい分だけやってたらいいかなと思ってますね。人との関わり方に関しては、自分がそのとき関わりたいと思っている人間にちゃんと関わっていったらいいかなと思いますね。はい。まあでも、なんでしょうね。結婚はしたいかなというふうには思ってるので。
僕はちょっと思ったりもするんですけど、僕がその物語として作品を見るときに、その物語というものを自分とか他の周りの人の人生と同じぐらい平等に公平に考えてるんだって言ったんですけれども。それはそうとしてコンテンツであることには変わりはないよねという認識をしていまして。ですから、そのアニメとか漫画とかが短期的な刹那の快楽であるとすれば、永久の快楽ってのは何でしょうかと考えるんですけれども。
それは多分、家族を作るとか、人間という死が、遙か昔から続けてきた連綿感みたいなものをちゃんとやることっていうのが大事なのかなというふうに僕は思ってまして。その中で結婚とかそういったものはすごく重要な起点、節目なのかなと思ってて。
僕はまあそれができたらいいかなと思っておりますね。はい。はい。
今まで生きてきた中で自分の考え方が大きく変わった出来事はありますか。誰かとの出会いでも作品との出会いでも自分自身についての発見でも構いません。
自分の考え方が大きく変わった出来事はあんまりないと思うんですけど。まあでもやっぱり最初にアニメで泣いたっていうところ。やっぱアニメーションはやっぱり僕の人生変えたような気がしますよね。視点が広くなって、自分が本当にやりたいことは何だろうかって考えることにもなりますし。とはいえ、正直なところでいくと、僕が新池の新池っていう、学校の近くにある池があるんですけど、その新池を夕方眺めたっていう、その出来事が多分僕の人生を大きく変えたのかなと思ってます。高校1年生の頃なんですけど、僕は結構その最初の頃は結構活発で、周りの人と仲良くしてるタイプだったんですよ。
仲良くしようとしてたタイプだったんですけど。入学して1か月ぐらいしか経ってないときに、そのLINEをつなげたんですね。クラスの女子の人と。で、話してたんですけど、なんかその人の女子の友達がなんか僕のことを気に入らなかったみたいで。でなんか僕がちょっと後に新池をこう、新池の周りをね、帰り道ですから歩いてたんですよ。いつもは自転車なんですけど、その日だけは歩きで帰っていたんですけど。僕の前に僕LINEをつなげた女子の人とその女子の友達が歩いてたんですね。
でやっぱりまだ初対面というか、まだ会っても別にそこまで話したわけでもないから。なんかこう気軽に声をかけていいわけでもない。かといって僕は足が速い方なので歩いてたら多分追い抜かしちゃうんですよ。でも追い抜かしちゃうと、なんだろうな、話を聞いてたんじゃないかとか思われたりするかもしれないと思って。わざと遅く行ったんですよ。でもその二人がめちゃくちゃ歩くの遅くて立ち止まったりしてたから。もうこれ普通に歩いてても追い越しちゃうなと思って。でその新池の手すりにちょっとこう腰を置いて池の様子を見てたんですよ。その出来事が僕の人生を変えたと思います。それのせいでなんかその女の子の友達が僕のことをサイコパスだと認識するようになって。
なんかその一人で放課後に真剣に池の様子を見てるっていうのがおかしいよね、やばいよねっていうので。それがクラスに広まって1年間ぐらいは多分僕はなんか怖いやつっていうふうに認識されてて。真面目な人からは怖いと思われてるから避けられて。活発な人からすれば、なんだろう。僕はそもそもそういう人とするのは好きじゃなかったから話さなくて。なると居場所がなくなって。はい。
そういったことがあって、それで結局なんか今の自分が出来上がる下地。つまりその一人でいる時間が増えて、考えることが増えて。これだけ考えるようになって、いろいろこう考えたことを文章にするっていう習慣ができたきっかけになったのは多分そうですね。それがもしなかったらもしかしたら全然違った道になってたかもしれませんね。
もし今の自分が中学1年生の自分の中に一つだけ伝えられるとしたら何を伝えますか。反対に何も伝えず、今の自分が歩んできた道をそのまま歩ませますか。
中学1年生か。多分僕が話しても何もわかってくれないと思うんですけれども。基本的に言うと、僕がまだ高校3年生なので、今のその経験で何か言ってもなんかすごい意味になることっていうのを言える気がしなくて。こうすればいいんだよっていうのが、まだ僕にはまだ、結果がまだ出てないのでわかんないんですよね。ただ何とも言えないんですけれども。そうですね。自分のやりたいことをやればいいと思いますよ。まあでもそれ自体は僕がやってきた道の話なので、僕が何か言わなくてもいいと思いますけど。はい。そうですね。正直、僕はこれ以上の自分の楽しい生き方があるのかどうかさえ不明瞭で。今の生き方が一番楽しいですけれどね。はい。
第5部、革新。
黒背景一者。自分が将来何者になりたいと思っていますか。小説家、クリエイター、芸術者、あるいは何か肩書きだけでは表現できない存在でしょうか。
何者。僕、どっかのね、なんか小説かなんかで、何者っていう名前のキャラクターを作ったことがあるんですね。ああ、アトモスフェアのモノってやつかな。他にも多分ちゃんとそのまま何者っていうキャラクターを作ったことがあるんだけども。何者であるかっていうのを断定することはできない。基本的に主観的に思い込むことしかできなくて。で、いわゆる僕が言葉として自分を定義したときに、それが自分を表す仮の像になるかもしれないんですけど、自分が常にその像と一致してるわけではない。例えば、暴れん坊ですよって言ったら、その人が暴れん坊でないとき、つまり暴れていないとき、その彼が言った像とその暴れていない像、人間自体を比べたら違うじゃんってなるわけですよね。
だから像というのはその人の特徴を抽出して像を作ったとしても、その像とイコールに一致することはできないので。基本的に思い込んでいるとき、正しくない像だよねというのが前提にあるよねっていう。そういうのでもいいのであれば、僕が何者かと言われたときは遠くを見ている人ってなるかな。遠くを見てますね。はい。そのせいでよくこけるんですけれども。はい。単純に身長がでかいからっていうのもあるんですけど。遠くばかり見てますね。はい。遠くの世界も見てますし、遠くの時間も見てますし、遠くの関係も見てますし。いろいろ見てます。自分がこれまでに積み重ねてきた活動が将来どこかに到達するための手段ですか。
それとも活動している今この時間はそのままに価値があるんでしょうか。 価値はないと思います。価値というものは基本的に自分が作り出す幻想なんですけれども。僕は価値があるからやっているわけではないんですね。価値があるっていうのは、何か行動を行うときに、それがたとえ自分にとって不都合なものであっても、価値があるからやるかっていうふうなきっかけ作りになるんですけれども。すでに自分がしたいからやっているわけで。だからそのきっかけ作りのために価値を生み出す必要がないんですよね。価値を生み出してしまうと、それをしなかったときに悲しい感情になってしまったり。
その思っていた結果を出せないときに悲しい感じになるんですけど。価値を生み出しない場合はそれらがないので。きっかけがそもそもクリアされているのであれば、きっかけ作りがクリアされているのであれば、価値っていうものは想像しなくてもいいのかなと思ってます。
まあ僕のその創作活動が将来どこかに到達するための手段なのかというと、まずどこに到達するべきなのか、そもそもどこに到達しようと知れのかっていうところに関しては突き詰めないといけなくて。僕に関しては割と明瞭な未来っていうのがあるんですけど。そういう到達するために、なんだろう、そのままなんかこう僕の創作活動が助けになってるっていう感覚は何もなくて。
むしろなんだろうな。好きで続けることは好きってのは大事だと思うんですよ。それはすごい努力が必要なことなんですけれども。創作を実際にしてること自体、創作の中身というものは特に関係ないのかなと思うんですね。それはただ単に自分が好きなことをしているだけだから。
最後ですね。
あなたは自分の人生をどういうものにしたいですか。 誰かに認められる人生なのか、自分の好きなものを追い続ける人生なのか、何かを作り続ける人生なのか、あるいはまだ自分の答えがわからないのでしょうか。
自分の人生をどういうものにしたいかと言われたら、えっと、どうにもならないようにしたいっていうのがありますね。どうにかしたいとか、自分の人生を操作したいっていう人の思いが人間にはあるんですよ。それは自分の安心にもつながるから、そういうことをするかもしれないですけれども。自分がどうするべきかっていうのが分かってる状態っていうのが寂しくないですか。寂しいし、焦るし、なんか大変で忙しいんですよ。でも人生っていうのは長いわけで、基本的にその分かんないものだよねというふうに考えて取り扱うべきこと。そういうふうな前提を持っていたら予想外の事態に出くわしても、そこまでナイーブにならないと思うんですね。だって分かんないものだからさ。
未来はこうなるはずだったのにとか、こうなるはずだったのに、なんでこうなったんだってよく言う人がいるんですけど。そもそもなんでそうなると思ってたのっていう話なんですよ。ある程度その論理的に考えたら次こうなるよねみたいなのは、過去の経験談から予測できたりするもんなんですけど。それでも、それはやっぱり過去の体験談からの抽出した、簡易的な論理でしかないよっていうところで。
ラプラスの悪魔ほど、すべての原子状態、原子の動きみたいなのをすべて理解した上で、次のその世界の事象みたいなものをすべて理解してますって人間予測してるって人間じゃないのであれば。そういう存在でないのであれば、人間ですから無理ですから。そこまで自信を持って、なんかそうなるはずだったっていうふうに考えていて、それが外れたらなんで外れたんだっていうふうに怒って、世界は無常である、理不尽であるっていうふうに考えるっていうのは、すごくその世界を便利に扱ってるなっていうふうに思ったりもするので。
人生っていうのは塞翁が馬で、そもそもどうなるか分かんないよねっていうところから始まってるので。だから僕としては、人生っていうものに関しては、どういうものにしたいかというか、答えとしてはどうにもどのようにもならない人生を自分の足でたどっていきたいというふうに考えていますね。はい。




