自己ログ倉庫141 「東方とクッキー⭐︎についての思索」
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確かになんかそれを見るとなんかわからんことでもないなというふうに思いましたよ。
その東方プロジェクトを好きな人とクッキーを好きな人がどっちもいるんだけど、クッキーというものは東方プロジェクトのキャラクターを利用してるから、その好きなもの自体、そのもの自体は共通点が多いんだけど、それを好きな人たちの前提知識とか考え方とかが全然違うから、そこで摩擦が生まれるってことなんだと思うんだよ。
で、まあなんか簡単な内容、簡単な例に例えるとするならば、お寿司が好きですっていう少年がいたとして、そのお寿司、その少年が思い浮かべるお寿司っていうのが海鮮のお寿司、日本料理のお寿司なんだけど、その隣の席にいた少女がそのお寿司というものに対して、なんかハンバーグ料理の一種であるっていうふうな認識をしてた場合、じゃあお寿司というもので会話をするとなると、いろいろ認識が違いが生まれる。
でもそのお寿司、日本料理としてのお寿司とハンバーグとしてのお寿司は名前が同じだから日常会話ではどっちのこと言ってるかわかんなくて。本来のお寿司を好きな人、いわゆる日本料理のお寿司を好きな人はそのお寿司の話してるのに急にお寿司だよね、ハンバーグだよねって言って入られると困るっていう感じなのかな。
あとはそのハンバーグ好きな人たちはそのお寿司の話をするときに、いわゆる元のお寿司の話を全然しないみたいな。いわゆるアレンジ文化をした結果、そのアレンジの話しかしなくなるみたいなタイプか。
有名なところをアレンジでいくとクール&クリエイトがあるけど、クール&クリエイトは作り出した学園エイリンとかいうやつを二次創作として制作してるサークルもあるんだけど。それを見て好きになった人がそれしか好きじゃないみたいな。ゆっくり実況でゆっくりしか好きじゃないみたいな。多分そういう感じなのかな。
それで東方プロジェクト原作に興味とか敬意を払わずにそういうゆっくり解説動画が好きでしてて、そういうグッズを買ってるだけみたいな。確かにそれは東方ファンとして、同じ東方ファンとしては見たくないっていうふうにもなる。で、あとは東方の動画に対してクッキーネタを持ち込まれると、いわゆる、なんだろうな、妨害工作というふうに取られるっていうのも理解できる。
例えば学園エーリンっていうクール&クリエイトさんの二次創作で作られた世界観に登場するチルノが何歳とかチルノがこの学校に通ってるみたいなものを東方プロジェクトの原作とかの話をしてるときに、あ、このキャラクターって学園エイリンのキャラクターだよねみたいな感じにされると困るってことだよな。
つまりその言いたいことは東方プロジェクトというのはZUNさんという原作者一人の構築した世界観というのがまず第一にあって、それをファン活動としてそれぞれの作家さんとか制作者が自分なりの解釈を込めて作ったっていうものであって。
ファンが作ったファン作品を公式だと思わないでほしいっていうところはやっぱりあると思うんだよな。あとは単純にネットミーム化して、そのネットミーム化した結果、そのネットミーム化した東方関連のものがそのまま他の良くないネットミームと結びついてしまって、つまり風評被害ってことか。
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それはわかったんだけどさ。そのクッキーっていうのが例外的に肥大化したからものすごく嫌われているだけで。正直その学園A輪とかも肥大化してるじゃないですか。
その、まあクッキーがそのなんかレベルが違うほどに拡大しているのであれば、まあなんとか理解はするけどさ。東方プロジェクト知ってる人間なら多分クール&クリエイターの助けてA輪の曲ぐらいわかると思うんですよ。
あの右手をね、上げて下げてする曲。ニコニコでめっちゃ有名だった曲。ナイトオブナイツとか。でそれらってあまりの人気ゆえに独特の世界観があるじゃないですか。フラワリングナイツを聞いたときにナイトオブナイツの曲を感じたり、フラワリングナイツの曲を原曲ね、流してるときに東方好きな人があ、それナイトオブナイツの原曲じゃんっていうふうに言うやんか。
でも原曲が大好きな人間からすると、いやナイトオブナイツは東方の二次創作であって、ナイトオブナイツではなくこれはフラワリングナイツなんだよと。
フラワリングナイツってナイトオブナイツの原曲だよね、がそんな発言が好きじゃなくて、ナイトオブナイツはフラワリングナイツの二次創作である。の方が多分すっきりするんですよ。つまりその一次創作が常に、まあ一番上に存在しなければならないっていう考え方がやっぱり多分原作が好きな人はあるはずなんですよ。
だからファン活動をすること自体には誰も嫌だとは言わないけど、ファン活動として人気になったコンテンツ、いわゆる二次創作のとあるコンテンツがそのまま一次創作よりも人気になってしまうっていうのが一番良くないパターンなのかな。
多分。それの中でクッキーっていうのは有名であったことと、深かつ、まあたくさん量があったからっていうので、頭下品であるからとかそういう理由で特に嫌われたというか、同一視されたくないという思いが強かったのかなと思う。でも二次創作のレミリアは原作のレミリアと全然違うし。
二次創作のさなえさんとか、いわゆるキャラクターに対してとある属性をつけるみたいなのは二次創作で発達していて。それってなんかこのキャラクターはこういう性格だよねみたいなのが割と今の東方の方にはだいぶあると思うんですよ。いわゆるYouTubeとかニコニコとかで、ニコニコはまだちょっとまだあれかもしれない。
YouTubeとか特にね、二次創作の設定がかなり取り入れられてたりしてて。元の一次創作がだいぶ忘れ去られてる感じはする。それは正直俺も感じてはいた。うん。だから。クッキーを好きな人を総叩きするっていうのは、東方原作ファンなら、まあ全然そういうことするのは自然なことなんだろうけど、その行動を普遍的に客観的に見たときに正しいとは言えない。俺は。俺はそう言いたくない。
でも俺が東方ファンなんだったら、東方という原作を基調としたいからクッキーを批判するかもしれないけど、その批判は間違ってると俺は思う。思いながら批判するよ、たぶん。批判するなら。俺はしたくないけど。影響力が大きいのと、あとネタが下品に寄ってるっていうところがあるのかもしれない。
他の良くないネットメディアと絡まったせいで触れたくない存在になってるんだよな、クッキーってのは。それが東方と結びつけられると困るっていうのでそうしてるのかもしれないけど。
じゃその触れたくないっていう性質がなかった場合、つまり学園永琳とかナイトオブナイツとかクーランドクリエイトネタばっかりになっちゃうけど、まあ別にあれでもいいじゃないか。Silver Forestさんのさ、ケロQ Destinyとさ、ネイティブフェイス聞いてたらなんかケロQ Destinyの曲に聞こえてしまうっていうのは、ネイティブフェイスよりもなんかケロQ Destinyが頭に残りやすいからなのかもしれないけどさ。
そういうのがあるわけじゃないですか。
で、それらが別にそこまでなんか良くないネタになってるわけではないより盛り上がるネタになってるからまだ許容されているかもしれないけど、構造上はほとんど同じなんだよ。一次創作よりもその二次創作の色とかが強くなった結果、一次創作が霞むっていう状態になってるんだよ。フラワリングナイト聞いたときに、たぶんナイトオブナイツの曲絶対思う浮かべるし、もしかしたらそれを口にしてしまうかもしれないし。ネイティブフェイス聞いたときにケロQ Destinyだねって思っちゃう人もいると思う。
正直、色は似てる、血の色とか、そこらんリューフェイサテライア有名な曲聞いたら、そっちの曲、その曲の原曲聞いたらなんかあ、この曲やんって思うことはあると思う。それ純粋なファン活動すべて間違ってないけど、それと東方のクッキーに関して構造上は同じなんだよな。結局二次創作がメインになりましたって話だから、自分の中で、彼らの中で、ファンの中で。
それを嫌うっていうのであれば、なんで嫌ってるのかっていうのを一回ちゃんと考えた方がいいと思う。一次創作絶対主義っていうのであれば、その他のファン活動に関しても懸念点は持っとくべきだし。逆にその二次創作では別にいいんだけども、その中で東方プロジェクトを悪く扱うような言い方はしてほしくないって言い方なのであれば、別にそれはいいと思うよ。
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別にそのクッキーがやってる行い自体が違法なわけではないし。別にじゃあその東方が好きでした。
だからドラマCD作りました。それがまた面白かったです。それに対してのファン活動として新たな世界観が付加されましたっていうわけで。で、それを好きになりましたって。
その好きになる別にことになんか悪いこともなんもないじゃん。ただそういうネットミームがあって、それに触れてたらなんかちょっと好きになりましたっていう。とクッキーが好きですっていう。
別になんかそのクッキーが好きだから東方の原作を知らないといけないという義務は別に個人にはないから。
別にクッキー好きなままで、クッキーネタを普通に話す。なんも悪くないやん。でもそれを東方ファンの前でするとすごく叩かれる。東方ファンはそれはするべき、東方というコンテンツ自体原作を守るためにするべきなんだけど。でもそれ自体は間違ってるんだよ。だって叩く理由ないもん。
別に彼らが好きなようにすればいいんだよ、本来はね。でもその個人のその東方の原作を守りたいという意志とか、クッキーとは違うと思いたいという自分の思いとか、その他諸々個人的な感情で批判するわけよ。なんかクッキーが超巨大である。確かになと思うけど。
もう一つ東方から派生した二次創作として有名なのはゆっくりだよね。ゆっくりに関しても僕は思うんだけど。その今現在多くの一般人はゆっくりを知ってるんですよ。
で、東方って何って聞かれたときに、ゆっくりに出てくるキャラクターだよって言ったら、ゆっくりのやつねってわかるわけじゃないですか。ゆっくり知ってる人間からすると、シューティングゲーム原作を見るときに、ゆっくりのキャラクターじゃんって思うわけじゃないですか。で、ここが面白いところで、ゆっくりって別になんか今悪いイメージがあるわけではないじゃないですか。
別に普通に解説用のキャラクターとして存在してるわけだし。
でももしそれが政治用の政治の解説をする動画にたくさん使われるようになって、今ちょっと問題になってたりするけど、大きなすわこっていうキャラクターが政治系の方で悪口を言うキャラクターとして使われることが多くなっているっていうことを僕はどっかで聞いたことあるんだけど。じゃあそれでなんかそういうふうなものに使った人が、この口が悪いカエルのやつでしょみたいな感じで大きなすわこ、原作の大きなすわこを捉えたりすると、それは良くないよねってなるし。
それがもっと拡大して、ゆっくりに出てくるキャラクターの全体の多くが政治利用されて、政治の解説動画で使われるようになって、政治のキャラクターでしょって思われるようになってしまったら、それは原作ファンからするとゆっくりっていうのはもはや東方ではないと思いたいし、原作と切り離したいと思うから。ゆっくりを好きなやつは東方じゃない、ゆっくりを叩けってなるんですよ。
多分これがクッキーと同じなんだ。多分インム系とかあんまり良くないネットミームに行ってなかった場合、別にその東方二次創作として作られたドラマCDを好きな人たちがそのドラマCDについてた演者とかのネタを利用してるだけで別に良かったじゃないですか。
別にそれでなんか悪いことないし。別にだからといってなんか怒られるわけでもないし、東方の一つだよねっていうふうになってたと思うんだけど。それが良くない。
逆の他のネタが入っちゃったせいで、あんまり扱いづらくなってしまった。東方ファンとして使いづらくなったから切り離すっていうふうな考え方になったから。
それを言うのであればゆっくりももし政治解説の動画でめちゃくちゃ利用されるようになって、印象がめっちゃ悪くなったら切り離すことになると思うんですよ。で、実際になんでじゃあこれクッキーが悪いのって言ったら、結局は切り離す判断をしたから、それ以降はもうそれは悪いものとして扱わないといけないよねっていうふうな行動になってるわけで。
じゃあそもそもそれが悪いのかって言ったら別に悪くないと思うんですよ、僕は。だからXでクッキーの商品、アクリルスタンドを頒布してるサークルさんがあったんですよ。で一つ3,000円で、そこまで大きくないけどアクリルスタンドを頒布してたんですよ。
でなんかふもふもちるのみたいなんで、チルノとかのアイコンで別にそのキャラクターもなんかすごいグロテスクとかでもなくて普通に可愛い系のキャラクターのイラスト描いてて、それで頒布してるのにコメント欄とか返信欄見るとめちゃくちゃ叩かれてるんですよ。そんな高い値段誰が買うと思うんですかとか金もくすんなよとか3,000円という値段が高すぎるよねとか。
なんかダイソーの方が安いよとかなんかよくわからんことを言ってるやつが多くて。
そもそもよくわからないやつらが多いと思うんだけど。アクリルスタンドってたくさん作ったら安くなるし少なかったらめちゃ高いんですよ。
ダイソーとかってめちゃくちゃ大きな企業で大量に一気に作るから安く作れるんです。単価が安くなるから500円でもでっかいの売れるんだけど。個人が作ります。でしかも別にそこまでなんだろう、有名なサークルさんでもありませんと。でも好きだから作りたいですって言ったときにアクリルスタンド作りました。
アクリル系っていうのはめっちゃ高いから単価高いの基本的に少数で作ると。そしたら3,000円ね。3,000円は確かにちょっと高いかもなと思うけど、アニメイトとかでアクリルスタンドとかって2,000円ぐらいするやんか。あんだけの企業で作ってても2,000円ぐらいするのに。
じゃあその個人で作ったやつが3,000円で金ぼったくりなのかって言ったら違うやんか。そんな考えたらすぐわかることなんだけど返信欄でそういうことをすぐにな批判するやつが多くて。何がこいつらしてんかなってふうに俺はちょっと思ってしまった。
でそれがなんで悪いのかっていうとクッキーというものを叩くべきだっていう思い。
もしくはクッキーに東方を汚されたと思った、汚されたという過去を持ってる人がめちゃくちゃ叩いてるのかっていう話なんだけど。みんなだからクッキー、別に俺も別に好きじゃないし見たこともないんだけど。別にだからといってじゃあクッキーが好きで、でそのためにアクリルスタンド自分で作って製作して、自分でそれを売ってるのに。じゃあその売ってるその頒布しましたっていうお品書きの画像貼ってX投稿してるものに対してリニオリプ欄とかでなんかそういう罰字造語を吐くのはちょっと違うだろって俺はそういうふうに思った。
ファン活動だから別にそこまでする必要はないし。嫌ならお前が買わなければいいだけの話だって。それをなんか擁護したらまだなんか言われるのかもしれないけど批判しまくるのはちがうよね。
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ただファンである。東方の原作のファンであるということで中立的な立場にないことは明白だから。
だから原作のファンだからこそ東方のファン、原作を守りたいという、いわゆる偏った思想っていうのはあるんですよ。中立的な立場からしたら、別に原作を守る必要もないし、別にその二次創作を擁護する必要もないし、叩く理由もない。何もしなくていいっていうのが中立なんだけど。
その東方のファンからすると、すでに東方のファンという性質自体が偏った思想を持っているってことを証明している要素なので。
東方ファン自体は東方原作もちろん守りたいだろうから。だから正当防衛というか、彼らなりの防衛をするっていうことの範囲としてそういう防御の理由っていうのは筋道が立ってるのかなというふうに僕は思いますけど。でもだからといって、さっきも言ったように中立的に見たときにその行為が正しいのかと言われると、いや違うだろうと僕は思うので。というかそうなので。だから僕はどっちかというとその東方プロジェクトという作品自体は好きだけど。
だからといってじゃあ他の二次創作擁護したらって擁護してるって言ったらなんか、なんかまた、俺も反発したりそうだからちょっと嫌なんだけど、何も言いたくないよねっていう。でもそもそもそのクッキーを擁護するイコール東方原作ファンとは、なんだろう、絶縁関係になるみたいな感じの風潮になってるから。
どうしようもないんだけど。でもちょっとその風潮自体に対して良くないんじゃないのっていうふうに僕は思ったりもします。正直そのXの人が Undertaleとかもちゃんとプレイしてて、東方の原作もちゃんとやって、なんか普通に好きな人なんだろうなっていうのは僕は思ったんですよ。
で、なんかちゃんとそのリプ欄ちょっとサーって見てても、なんかもうちょっと安くしてくれたら買いたいですとか。なんか別に東方原作が好きな人ではないかもしれないけど、その東方に由来したそのクッキーっていう文化に対して好きな人がいるわけで。そういう人たちがアクリルスタンド買いたいですよねっていうのがあるんだったら、買わないのがおかしい。
なんだろう。それを買うなっていうのは意味がわからないし。一応その場所が霊体祭っていう東方プロジェクトのオンリーイベントの場所だったから、コミケとかなら別に何も言われないかもしれないけど。東方プロジェクトオンリーイベントだよねっていうところにそういうネットミームに深く通ずる二次創作、東方の二次創作文化のクッキーをさらに創作して自分で作ったアクリルスタンドとかを売り出すっていうのは確かに良くないかもしれないけど。知らないけど。迷惑を受けるかもしれないけど。ちょっとそれはなんかな。
彼らも思ってると思うよ。だって東方の原作のファンが集まる場所に、リムとかのそういう他のネットミームと絡んだクッキーっていうののアクリルスタンドを出すっていうことに対して、どういうふうな反響が来るかっていうのは多分わかってると思うんだよ。でもそれでも好きだから作るんだろう。
それをなんで批判するんだよって話なんだよ。東方っていうのはすごい二次創作文化が活発なんだろう。なら作り手の思いもわかるだろう。なんでそれ反対するんだよっていうのがちょっと思う。
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結局は気楽とかの問題になるのかなというふうに思うんですけど。
それを理解してない人間が多すぎるっていうのと、正直その、なんだろうな。人気があるから自分たちの考えが正しいんだとか、それがエスカレートして、自分たちの考えとは違う相手を完全に間違ってるというふうに捉えて、常に暴言を言うっていうのも間違ってる。で、これなんでこんな増えてんのっつったら、やっぱり東方プロジェクト自体が人気出てきてるからなんだとは思うんですよ。
クッキー自体ももう十何年も昔からの話だろうけどさ。それでもやっぱり人気だからそういうネットミームが出るわけで、誰かが好きだからそういうものが発展するわけで。誰も嫌いなものは誰も生まれないんですよ。それがあるから救われたとか、それがあるから笑えたとか。
そういう要素があるからそういうものが存在するわけで。
なんかそれをすべて批判する。個人として批判するのは別にいいんだけど。社会的におかしいよねとか、一般的におかしいよねとか、絶対あなたの考えは間違ってるよとか。誰がそれを言ってるのっていうその大きな主語として、それはもう世界では認められてないんだとか、それ誰も認めてないよとか。
そういうふうに僕は思ってるって話であって。誰がそれを思ってるのか、誰がそれを言ってるのか、誰がそれを感じてるのかっていうのは、もうちょっと明確にした方がいいと思う。自分の後ろに多くの人たちが集まって、大きな背中が、大きなものが背中に乗っかってるから何を言ってもいいんだっていうのはそもそもおかしいし。
そもそもその背中にたくさんの人が乗ってるのか自体あやふやだし。そう思ってるのも全部自分の中の話でしかなくて。だからもう少し謙虚さっていうのをつけるべきだと思うし。そもそもそれはオタクというもの自体、文化自体にも波及できるんだけど、この論理というか考え方は。
そもそも大多数の人に受けるようなものではなかったし。これを言うとすごい介護主義ですねとか、古臭いですねって言われるかもしれないけど。もともとの基盤を理解してないままで、上のハリボテの城で遊んでても、地盤が緩んで落ちちゃうよ、液状化現象で潰れちゃうよって話で。
もともとオタク文化っていうのは別にすごいとも思われてなかったし、こうあるべきだとも思われてなかったし、尊敬の対象でもなかったんだよ。逆に侮辱の対象だったし。本当に90年代はやばかったし。別に俺は生まれてないからわかんないけど、そういうふうに証言してるわけで。
最近じゃ生まれたそういうひよっこが、なんか最近流行ってるコンテンツに手出して、それをたくさん言って、そのコンテンツのなんかところで言われてる、ささやかれてるクッキーはダメなんだとかいうのを飲みにしてクッキー好きな人に対して十分な知識も知らないのに、それをものすごく罵倒する。
これはおかしいよねって話で。だからやっぱりその十分な知識を持つことっていうのは、まあ不可能なところはあるんだよ。僕らがじゃあ2009年に発売されたなんかCDとか、田村ゆかりのCDとか2019年の田村ゆかりのライブとかを、じゃあ見てなかった、行けてなかったから、じゃあそのツアーとかライブとかの記録に残されてない会話とかを知らないから、じゃあそれを知らない文脈で、その文脈で話されてもわかんないよねっていう。
それは仕方がないし、すべてを網羅することは不可能なんだよ。だから自分が知らないことに対しては知らないよねっていうことをちゃんと捉えた上で。自分が何か言うときはそれは自分の考えですってことを示すべきで。事実と自分の考えと相手の考えと世間の考えっていうのを分けて考えること。
これが大事だと思う。僕はそう考えてる。それちゃんとやったなら個人としてこう思いますっていうふうに前置きをつけて、前置きをつけなくてもこいつのこの発言は誰の意見なのかっていうのを無意識的に考えられるようになると思うから割といいんじゃないかなとは思います。
はい。結局だからみんな違う文脈だから対立は絶対生まれるし完全に分かり合うこともないし。みんなが賛成できることもないんだけれども。だから妥協しましょうよっていう話で。妥協もそうだね、妥協しようねって話。
だからそのなんかさ、二次元のロリっていうのがなんかいわゆる一般層の主婦からしたら嫌なものじゃないですか。もともと嫌なものだったんだけど。嫌なもので侮辱されてきて差別まられてきた人たちが作ったものっていうふうに考えることができるわけで。じゃあそれをオッピラに公表しても大丈夫かって言ったら大丈夫じゃないと思うんだけど。でもじゃあそれを批判してそれを根絶させよう。
そこまでは行く必要はないんだよ。
住み分けっていうのも言ってるけど、でも住み分けをしましょうって言ったとしても批判する人はそもそも存在することが嫌だ。
存在が嫌だっていうふうに言うんだよ。だから住み分け議論も失敗するんだけど、でもそれは妥協する必要がある。そこは妥協しようねっていうふうに僕は思ってる。はい。
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でもまあ、存在していること自体が不快であるっていう感情が存在するのは、まあ理解できるじゃないですか。
そりゃその、なんだろう。自分でその、なんか自分の子供育てている主婦からしたら、なんか自分よりちょっと若い20代ぐらいの男とかが、なんか自分が育てているような子供と同じぐらい年代のこの2次元の、2次元の非実在少女のやつでなんかいろいろやってたり、そういうものを代代的に商売としてやってるっていうのを見たときに嫌な気分になるし。それが存在していると、
じゃあ自分の子供にも悪影響がどっかの関係でかかるんじゃないのかっていう思いは絶対当然持ってたろうし。そういうふうに考えると、存在すら認めたくないっていう人たちは一定数いる。
でもそれをらを実際に起こっている人たちからすると、彼らなりの論理があって、別に、なんだろう、実質的に影響は与えてないですよねっていう言い方になる。
でも実質的に影響を与えていないことと、じゃあ将来未来永劫影響を与えないのか、一切与えないのかって言ったら別の話になるし。そこが難しいわけ。
そこが対立の基盤になって。
じゃあどっちの意見が認められるのって言ったときには法律で判断するとか。さらに第三者のより公平であると言われているもので、言われている判断基準を用いて判断するっていうのが今行われてるやり方なのかな。
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そしてそれらを基本的に解決するもの自体がない。
いわゆる正解がないから、常に堂々巡りして繰り返し行われるっていう構造なんなのかなと僕は思ったりもします。正直その、特にというかね。だからこそなんか法律で結局こう判断されましたって言っても、それを認めない人がいたり、それで反逆したりする人が多いけど。
だから結局それは仕方がないって行動というか。多分防ぎようがないんだよなっていうのはちょっと感じたりもします。
具体的になんかこういうふうに構成させようとかこういうことをしましょうとかあるかもしれないけど。
人間の感情サイクルとしては、法律とかいうのは社会として機能をさせる、社会として維持する、大多数の人間の意思を集約して合理的な解決に導くという。
およそ生物、個人の生物として見たときに納得できないもの、いわゆる外部から来るものだから。いわゆる個人としてこういう意思を持っていましたと。じゃ、その意思が簡単に変わることはないと。でも法律は外部の感情のない物差しで結果が決まりましたと。それに納得できなかった場合に絶対に自分の考えを改めるとかそんな簡単にできないから、人間だからね。
だから反発するよねっていうこと自体。その個人って考えると法律っていうのは外部から来る物差しでしかないから。それで一気に壊される。
もしそれがなかったら自分の中で解決する可能性もあるし、自分の中でそれを押し通したら、それで自分の中ではその問題解決するわけで。それをその途中でその社会的判断、外から見たらそれで解決するんだけど、内側の個人からしたら急に横やりを入れられたって感じになるから。
っていうところなのかなというふうに思う。だから結局法律とかあっても人間のその個人のなんか葛藤とかいうのが完全に解決することはないよねっていうところ。中ぶらりんというか中途半端に切られる感じがするよね。




