第一章 partー9
楽しい夕食のはずだった。
母のお手伝いをして、自分が包丁を入れて料理の下ごしらえをしたのだ。
それはそれでいいとして、問題はここにいる……。
「ヴィーナス! なんでおまえが夕食の席に並んでいるんだよ! それもお父さんの席に陣取りやがって」
「ん?」
ヴィーナスの前には、酒瓶が並んでいる。
しかもすでにできあがっている。
「いまなんかいったかろー」
酔っ払ってるじゃんか。
人の家に勝手に上がり込んで勝手に酒飲んで酔っ払って、こいつは一体なに考えてんだか。
「弘美ちゃん、いいのよ。わたし達の願いをかなえてくれたんだもの。これくらいのことしなくちゃね」
「そうらろ……しなくたいかぬのらろ」
なに言っとるんじゃ。ろれつが回ってない。
「うらうらいってっと、ぶたにしちまうぜよ」
げっ!
豚にされたらたまらん。この酔っぱらい状態じゃ、ほんとにやりかねないぞ。
ここはおとなしく持ち上げていたほうがいいみたいだ。
「はい。ヴィーナスさまには感謝しています。今後ともよろしくお願いします」
「うむ。よろひい!」
と納得して再び酒をのみはじめる。
ほんとにこれでも女神なの?
確かに、女の子にしたり戸籍を改竄したり、関係者を洗脳したりと超人的な能力を持ってはいるようだけど、人格というか神の資質に問題があるんじゃない?
きっと男女の生み分けの際にも酔っ払ってたとか?
ありうる!
ひとしきり飲んで酒がなくなった後にヴィーナスは帰っていった。
この調子だったら、酒にありつこうと毎晩やってくるんじゃないだろうか。ただでさえお母さん達は、感謝感激雨霰ってかんじだもんな。
「ねえ、お母さん。大丈夫なの?」
「なにが?」
「酒代だよ」
「心配いらないわよ。弘美ちゃんが女の子でいられるなら、全財産を食い潰されても構わないくらいよ」
おいおい。それはないよ。
「それより、今夜は一緒にお風呂に入りましょうね」
「ええ! なんでえ?」
「これから女の子として暮らしていくには、いろいろと避けて通れないこともあるじゃない。たとえば修学旅行や社会人になれば慰安旅行と、共同浴場に入ることもあるわよね。当然自分の裸体をさらけ出すことになるし、他人の裸も目に入るわ。そんな時のために今から経験しておかなければいけないでしょ? お母さんを相手にね」
「そりゃそうだけど……」
「それに女の子の肌や髪はデリケートだから、それなりの身体の洗い方とかも教えてあげる必要があるの」
「そ、そんなの適当でいいじゃない」
「だめ! ちゃんとできるようになるまで一緒に入るわよ」
言い出したら利かない母の性格だった。
というわけで、今一緒に風呂に入っている。
母とはいえ生の女性の裸を目の当たりにするのははじめてだった。そりゃあ、子供の時は一緒に入っていた記憶があるにはあるが、異性を意識する年頃になってからはまだ一度もない経験だった。
あたりまえだ!
この歳でまだ母と一緒に入っていたとしたら常識を疑う。
それがいきなり女の子になって、自らの裸をさらすことも重なって、恥ずかしさの極みだった。
とにかく入浴は、裸と裸のぶつかり合い、じゃなくて……ちょっとエロチックな状態にあるといえた。生身の女性の裸体をさらけ出し合って身体を洗いっこしたりして、
「いやーん。そこ、くすぐったい」
「あらん、ここが感じるのね」
とか言いながら……。
ちがう! ちがう!
なに考えてんだよ。
…………。
胸もあそこも隠すわけにはいかないから恥ずかしくて、見られるくらいならずっと湯船に浸かっていたいくらいだ。
それじゃあ、のぼせちゃうって。
でも母はまるで気にもかけていない。そりゃまあ、これまでにも公共浴場に入ったことは数知れないだろうし……。身を分けた実の娘だもんな。
「いい? 女の子の肌はソフトに洗わなければいけないの。特にお顔は念入りに専用の洗顔フォームを使わなくちゃだめよ。普通の石鹸はアルカリ性で肌を傷めちゃうのよ。だから中性か弱酸性タイプの洗顔フォームが必要なの。洗うときはよーく泡立ててから使うのよ。泡で汚れを落とすかんじよ」
とにかく一から十まで、噛んで含ませるように丁寧にレクチャーしてくれる。
「ああ……。やっぱり女の子はいいわよねえ。こんなにも色白で柔肌で、もちもちっとした感触が最高よ。それに何より一緒に入れるのがいいわよね。これからも一緒に入りましょうね」
あ、あのねえ……。
「弘美ちゃん、いいわよね?」
なんて目をじっと見つめられて真剣に尋ねられたら、
「う、うん」
と、答えるしかないじゃないか……。
しようがない、お願いを聞いてあげよう。親孝行の一貫ということで、母親だし。
「だめだめ、だめよ!」
風呂から上がって身体を拭っている時だった。
「身体はともかく、お顔はそんなにごしごしやったらだめじゃない。刺激には一番敏感な肌なのよ。いい? そっとタオルで押さえるようにするの。押さえるようによ」
とにかく、一つ一つの動作にチェックが入る。
なんて面倒なんだ。
さらにはドレッサーの前に座らされて、就寝前のお肌の手入れだった。
「中学生に化粧は必要ないとは言うけれど、お肌を常に最高の状態に保つためには、やはり手入れは絶対よ。アルカリに傾き加減の肌を弱酸性にするためのローション。入浴で失ったお肌を覆っていた脂肪を補って、水分の蒸発を避けるための乳液。ちゃんと毎晩しっかりと手入れをしなくちゃ」
もう……うんざり。
「聞いてるの?」
「聞いてるよ」
「はい! これで完璧よ」
母から解放されたのはそれから三十分後だった。
女の子としての在り方のうんちくをさんざん聞かされた。
こんなことが毎日繰り返されるのだと思うと……。
頭が痛い!
「だから、わたしがあなたのそばに付き添っているのよ」
ヴィーナスの声が聞こえたような気がした。
いや、確かに脳裏に語り掛けてきたようだ。
いついかなる時も、ヴィーナスの庇護下にあるようだ。
パジャマに着替えようとタンスを開けてみると。
ない!
以前着ていた男物の衣類が一切なくなっていた。
捨てられた?
学校に行っている間にだろう。
女の子になったからには、もう必要のないものとはいえ、愛着のある服もあった。それを無断で処分されては気分を害された感じ。
「いつまでもうだうだ言ってんじゃないよ。いい加減あきらめな」
ヴィーナスの声だ。
四六時中監視されているというところかな。
ところで女神も寝るのだろうか?
酒なんか飲んで酔っ払っているところをみると、いかにも人間臭いからやはり寝るんだろうな。
しようがねえな……。




