第94話 それぞれの持ち場
『三つ子の燭台』は、掌に乗るほどの、小さな銀の燭台だった。
三つとも同じ形。台座には、三人の人が手を取り合う姿が、細かく彫り込まれている。
「一つは、王都の大聖堂へ」
皇帝が、燭台の一つをヘルマンに手渡した。
「帝国の早馬の中継所を、すべて使え。二日で王都に届け、アーベント伯爵に手渡すのだ」
「はっ。この命に代えても」
「命には代えるな。――今回は、誰も死なないことが勝利の条件だそうだ」
皇帝が俺のほうを見て、口元だけで笑った。ヘルマンは一瞬目を丸くし、それから豪快に笑いながら部屋を飛び出していった。
王都の伯爵には、すでに伝令鳥を飛ばしてある。砦のマルタさんにも。
二つ目の燭台は、俺が受け取った。灰の峡谷へ持っていく。
そして三つ目は――セラの手の中にあった。
◇
「……帝都は、私に任せてください」
皇宮の中庭で、セラは灰色の空を見上げていた。その隣では、二つ結びの赤いリボンを揺らしたリナが、セラの裾をそっと掴んでいる。
「皇宮の前の大広場に、帝都の皆さんに集まってもらいます。一人一本ずつ、灯りを持って。――私は、もう一人では祈りません。皆さんと一緒に、灯します」
「……ああ」
「ルカ殿下も、こちらに残ってくださるそうです。柱の扉を開けられるのは、皇家の方だけですから。ゼノン殿下も、『俺にも何かさせてくれ』って」
セラは、少しだけ笑った。
「あの方の声も、もう濁っていませんよ」
それから、セラは俺のほうへ向き直った。
「トーマさん」
「はい」
「大聖堂の地下で、あなたは私に『一人で背負わなくていい』と言ってくれました。――今度は、私が言います」
セラは、俺の包帯だらけの手を、両手でそっと包んだ。
「写し身の最後の一回を、一人で背負わないでください。あなたが分けてくれる祈りは、必ず、私たちが受け取りますから」
「……はい」
「それと――」
セラは、俺の後ろに立つリーゼを、ちらりと見た。
「必ず、二人で帰ってきてくださいね。私、結婚式で祈りの言葉を読むのを、ずっと楽しみにしてるんですから」
「けっ――」
「結――」
俺とリーゼの声が、同時に裏返った。
セラとリナが、顔を見合わせてくすくすと笑った。
◇
【幕間 アーベント伯爵】
王都の空も、灰色だった。
日が昇らない朝。人々は扉を閉ざし、窓の内側で震えていた。「世界の終わりだ」と叫ぶ声が、どこかの路地から聞こえてくる。
大聖堂の前の広場で、アーベント伯爵は、帝国から届いた伝令鳥の手紙を、もう一度読み返していた。
「……三日目の黄昏時。大聖堂の柱の前で、皆で祈りを灯せ。――祈りを、灯せか」
伯爵は、手紙をたたんだ。
その隣で、教会の小さな聖女たちを引き連れたミアが、伯爵の袖を引いた。
「……伯爵さま。わたしたち、ちゃんとできるかな」
「できる。君たちの先輩の聖女が、そう書き残したのだ」
伯爵は、広場に演台を置かせた。そして、生まれて初めて、自分の声を張り上げた。
「――王都の民よ! 扉を開けてくれ!」
窓のいくつかが、おそるおそる開いた。
「私はアーベントだ。一年半前、この広場で処刑されかけた男だ。――あの夜、君たちは、灯りを持ってここに集まってくれた」
パン屋の女将が、後ろで鼻をすすった。
「もう一度だけ、頼む。三日目の黄昏時、一人一本ずつ、蝋燭を持って、ここへ来てくれ。――灰の空の向こうで、私の娘と、娘の大切な男が、戦っている」
伯爵は、上り台の上で、深々と頭を下げた。
広場に、一つ、また一つと、扉の開く音が響き始めた。
◇
【幕間 マルタ】
黒狼砦の中庭に、伝令鳥が舞い降りた。
その足に結ばれた手紙を読んだ瞬間、マルタは、左肩の布を自分で引き剥がした。
「――長いこと待たせてくれたもんだねぇ」
立てかけてあった槍を、両手で掴む。左肩がきしむ。それでも、槍は、まっすぐに前を向いた。
「ピート! 鐘を鳴らしな! 第七の野郎どもを叩き起こせ! バルドの旦那にも伝えろ!」
「は、はいっ! でも隊長、肩は――」
「腰で突くんだよ! 肩なんか関係あるかい!」
砦の鐘が、灰色の空に鳴り響いた。
◇
帝都の西門。
俺とリーゼ、ガイ、ノエル、ドーラ婆さん、そして救援隊の五十騎が、馬上で並んでいた。
「灰の峡谷まで、一日半。三日目の黄昏時には、間に合う」
リーゼが、手綱を握り直した。
「トーマ」
「はい」
「……『結婚式』と、セラは言っていたな」
「……言ってましたね」
「約束の言葉は、全部終わってからだぞ」
「わかってます」
リーゼは、前を向いたまま、少しだけ頬を赤くした。
「――なら、さっさと終わらせに行くぞ」
五十の蹄が、灰色の大地を蹴った。




