第89話 帝都炎上(二) 玉座の間
鐘の音が消えないうちに、寝所の扉が乱暴に叩かれた。
「――殿下! ルカ殿下でございますね!」
飛び込んできたのは、皇宮に仕える若い侍従だった。顔は煤で汚れ、息は上がりきっている。
「反乱軍の将軍ブラントが、玉座の間を占拠しました! 北の離宮からゼノン殿下を拉し、夜明けとともに新帝として立てると――!」
ルカの顔が、表情を失った。
「……兄上は、それを望んでいるのか」
「わかりません。ただ、鎖に繋がれたままでした」
ルカは、眠る父の顔を一度だけ見下ろした。
「――セラ殿、ドーラ殿。父上を、頼む」
「はい。任せてください」
セラは皇帝の手を握ったまま、まっすぐに頷いた。それから、俺を見た。
「トーマさん」
「わかってます」
玉座の間。
原作でルカが死ぬ場所だ。
◇
皇宮の回廊を、俺とルカは駆けた。
窓の外では、帝都の三方に上がった火の手が、夕焼けのように空を焦がしている。だがそのうちの一つ――東の火が、巨大な渦となって天へ昇り、そして完全に消えたのが見えた。
「……今のは」
「副司令です」
俺は、走りながら笑っていた。
「あの人は、約束を破らないんです」
「……君たちは、本当に……」
ルカも、少しだけ笑った。
玉座の間の扉は、巨大な青銅の一枚扉だった。その前に立つ反乱軍の兵士を、ルカが二人、俺が一人、打ち倒す。
扉を押し開けた。
◇
天井の高い広間だった。
左右に並ぶ巨大な石の柱。その奥に、段の上に掲げられた玉座。原作のスチルと、寸分違わない。
その玉座の前に、二人の男がいた。
一人は、鎖に繋がれたまま、段の下に膝をつかされた第一皇子ゼノン。もう一人は、片目に傷のある初老の将軍だ。
「――来たか、第二皇子」
将軍ブラントが、大剣を肩に担いで笑った。その周りには、二十人ほどの反乱兵が控えている。
「王国に尻尾を振った皇子に、帝国は渡さん。負け犬の兄を飾りにしてでも、帝国の剣を、帝国の誇りを取り戻す」
「……ブラント。やめろ」
鎖に繋がれたまま、ゼノンが掠れた声で言った。
「俺は、もう……」
「黙っておられよ、殿下。あなたは玉座に座っていればよい」
ブラントが大剣を構える。反乱兵たちが、じりじりと距離を詰めてくる。
俺とルカは、背中合わせに剣を構えた。
「二十対二か。峡谷の機兵よりはマシだな」
「殿下、その台詞、ちょっと第七に毒されてますよ」
「君たちのせいだ」
反乱兵が、いっせいに斬りかかってきた。
◇
一人目の剣を弾き、二人目の足を払う。マルタさんの槍と、リーゼの剣と、ガイの踏み込み。この一年半、砦で叩き込まれた全部が、体を動かしている。
背中の向こうでは、ルカの剣が流れるように輝いていた。
十人が倒れた頃、異変が起きた。
玉座の間の床の、石の継ぎ目から――灰色の霧が、じわりと滲み出してきたのだ。
「……これは」
峡谷で嗅いだ、あの焦げた紙の匂い。
皇宮の地下にある、二本目の柱が、目を覚ましたのだ。
霧は、みるみるうちに広間を満たしていく。反乱兵たちが、咳き込みながら後ずさる。
その時だった。
背中合わせのルカの剣が、ぴたりと止まった。
「……殿下?」
振り返る。
ルカは、玉座を見上げていた。その目が、どこか遠くを見ている。焦点が合っていない。
そして――彼の右手が、ゆっくりと、剣の切っ先を自分の胸へと向け始めた。
「……体が……勝手に……」
ルカの唇から、掠れた声が漏れた。
そしてその唇が、俺の知っている言葉を、紡ぎ始めた。
「――父上。無力な息子を、お許しください」
原作の、ルカの最後の台詞だった。




