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第88話 帝都炎上(一) 炎を喰らう

【幕間 リーゼ】

鐘が三つ鳴った瞬間、リーゼは剣を抜いた。

「――東門、突破!」

ヘルマンの近衛騎士団が鬨の声を上げ、城門へ殺到する。反乱軍の兵は、内側で上がった火に気を取られ、ほとんど抵抗らしい抵抗もできなかった。

門が破られた。

その向こうは――火の海だった。

油屋の並ぶ通りが、端から端まで燃え上がっている。樽が爆ぜ、屋根が崩れ、火の粉が雨のように降ってくる。その中を、寝巻姿の人々が、泣き叫びながら逃げ惑っていた。

「……これは、もう……」

ヘルマンが、馬上で絶句した。

だが、リーゼは馬から飛び降り、その火の海の前に、まっすぐに立った。

「第七。住民を門の外へ。老人と子どもが先だ。――ヘルマン殿。騎士団の半分を南と西へ。水桶を持っていけ。王国の王のご命令だ」

「……しかし、この東の火は」

「私がやる」

リーゼは、両腕を広げた。

◇

炎の魔法には、二つの面がある。

幼い日、父はそう教えてくれた。「火を放つこと」と、「火を喰らうこと」。放つことは誰にでもできる。だが、喰らうことができるのは、自分の炎を、心の底から信じている者だけだと。

――お前の母は、それができた。

父は、一度だけそう言った。

リーゼは、目を閉じた。

窯の口を開けたような熱が、肩を、頬を、髪を焼く。その熱を、拒まない。受け入れる。吸い込む。

――来い。

通りを包んでいた炎が、一瞬、揺らいだ。

そして――まるで飼い主に呼ばれた獣のように、いっせいにリーゼのほうへと流れ出した。

「な……!」

ヘルマンが目を剥いた。

屋根から、壁から、樽から、焼けた石畳の隙間から。あらゆる火が、細い帯となって空中を駆け、一人の女剣士の周りで巨大な渦を巻いていく。

炎の竜巻が、天へと昇る。

そして――その全てが、リーゼの掌の中へと、吸い込まれていった。

通りに、静寂が戻った。

焼け焦げた柱と、白い煙だけが残っている。その真ん中で、赤い髪の女剣士が、肩で大きく息をしていた。

逃げ惑っていた人々が、足を止めて、その背中を見つめていた。

「……火が……消えた……」

「あの人が、食べちゃった……」

幼い子どもの一人が、母親の裾を掴んだまま、ぽかんと口を開けていた。

◇

「――次だ」

リーゼは、剣を鞘に収めた。

「副司令……大丈夫ですか!」

第七の兵士が駆け寄る。リーゼの指先は、まだ熱を帯びて赤く光っていた。

「大丈夫だ。峡谷から半年、溜めてきた炎の器が、まだ半分空いている。――南の穀物倉へ行く。馬を」

南の穀物倉は、帝都の民の一冬分の食糧だ。あれが燃えれば、この都は、あの飢えた村と同じになる。

馬を駆る。煙の中を、南へ。

穀物倉は、屋根の半分が燃え落ちかけていた。その前で、ヘルマンの騎士たちと帝都の民が、列をなして水桶を回している。帝国の騎士と、王国の第七と、帝都のパン屋と、鍛冶屋と、老人と子どもが。

――王国の掟ではない。人の掟だ。

王の言葉が、胸の奥で響いた。

リーゼは、再び両腕を広げた。

二度目の炎の竜巻が、帝都の南の空に立ち昇った。

◇

西の職人町の火を喰らい終えた時、リーゼは、ついに膝をついた。

指先から、煙が立ち昇っている。器は、もう溢れる寸前だった。

「……は、はっ……」

それでも、帝都に上がった三つの火の手は、一つ残らず消えていた。

「……どうだ、トーマ」

リーゼは、一人で笑った。

「お前の知っている『帝都陥落』では、朝まで燃え続けたのだろう。――まだ、夜半を少し過ぎただけだぞ」

その時だった。

遠くで、何かが砕けるような音がした。

顔を上げる。皇宮を覆っていた青白い結界が、ひび割れながら、光の粒になって崩れ落ちていく。

そしてその下から――灰色の霧が、柱のように、ゆっくりと天へ立ち昇り始めていた。

「……トーマ」

リーゼは、震える膝を拳で叩いて、立ち上がった。

「――馬を。皇宮へ行く!」

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