第84話 帝都
帝都は、灰色の薄いヴェールをかぶっていた。
丘の上から見下ろすと、白い城壁に囲まれた巨大な都が、平野いっぱいに広がっている。その中央に、天を突くような尖塔をいくつも抱えた皇宮。
そしてその皇宮を、半球形の青白い光の膜が、すっぽりと覆っていた。
「……宮廷魔導師団の結界だ」
ルカが、苦い声で言った。
原作で、何度も見た景色だ。この結界の内側で、皇帝は息を引き取り、ルカは玉座の間で自らの剣を胸に突き立てる。その夜、帝都は三方から火の手が上がり、朝まで燃え続ける。
「――ルカ殿下!」
丘の陰から、白髪交じりの大柄な騎士が馬を駆ってきた。その後ろには、灰の峡谷でルカが率いた騎兵たちが並んでいる。
「ヘルマン。無事だったか」
「はっ。近衛騎士団三千、帝都の外に陣を張っております。しかし――城門はすべて反乱軍に押さえられ、結界のせいで皇宮には近づけません」
近衛騎士団長ヘルマンは、俺たち王国の救援隊を見て、一瞬だけ目を細めた。それから、まっすぐにリーゼの前へ進み出た。
「……峡谷の隘路で、機兵三体を食い止めた赤い髪の女剣士とは、あなたか」
「……食い止めたのは、私とこの男だ」
リーゼが、俺の肩を拳で叩いた。
ヘルマンは俺を見下ろし、それから、豪快に笑った。
「では、これが帝国じゅうの兵が噂する『王国の兵士C』か! もっと大男かと思っていたぞ!」
「……よく言われます」
◇
その夜、丘の天幕で作戦が立てられた。
「帝都の地下には、古い水路がある」
ルカが、地図の上に指を走らせた。
「幼い頃、宮廷を抜け出して、よく下町へ遊びに行った道だ。皇宮の奥の井戸へ通じている。結界は地上だけを覆っている――おそらく、地下までは届いていない」
「皇子が、下町へ……」
「父上には内緒だ。いや、たぶん、とっくに知られていただろうが」
ルカは、少しだけ笑った。
作戦は、三つの隊に分かれることになった。
一つ。ルカと俺とセラとドーラ婆さん。水路から皇宮に忍び込み、皇帝のもとへ向かう。
二つ。ガイとノエルと、第七の精鋭数名。北の丘のシオンの館へ向かい、リナを迎えに行く。
三つ。リーゼと第七の兵たち、そしてヘルマンの近衛騎士団。合図とともに帝都の東門を攻め、反乱軍の目を引きつける。
「トーマ」
リーゼが、地図から目を上げた。
「原作では、帝都はどこから燃える」
「――三か所です」
俺は、地図の上の三点を指差した。
「南の穀物倉。西の職人町。そして――東門のすぐ内側の、油屋の並ぶ通り。真夜中、鐘が三つ鳴ったら、反乱軍がいっせいに火を放ちます」
「なら、東は私の持ち場だな」
リーゼは、自分の指先を見つめた。峡谷の戦いから半年。溜め続けた炎は、もう十分に満ちているはずだ。
「火を放つのも、火を喰らうのも、炎の魔法だ。――父上から教わったことがある」
「喰らう……?」
「見ていろ。今夜、帝都の火は、一つ残らず私がいただく」
その横顔は、俺が知っているどのリーゼよりも、頼もしかった。
◇
出発の直前。天幕の裏で、俺はリーゼと二人きりになった。
「……水路は狭いぞ。頭をぶつけるな」
「副司令こそ、前に出すぎないでください」
「私は司令代理だ。前に出るのが仕事だ」
いつものやり取り。だが、リーゼはそこで言葉を切り、俺の左腕をそっと掴んだ。袖の下の、ひび割れた刻印の上を。
「……これを使うのは、本当に最後の最後だ。いいな」
「はい。使う時は――たぶん、もう決まってます」
「……そうか」
リーゼはそれ以上、何も聞かなかった。ただ、俺の額に、自分の額をこつんと当てた。
「生きて戻れ。――これは命令じゃない。願いだ」
「……はい。必ず」
夜の帝都は、静まり返っていた。
原作の「帝都陥落」まで、あと四刻。




