第83話 飢えた村
国境を越えて二日目。俺たちは、帝国の小さな村に立ち寄った。
いや、立ち寄らざるを得なかった。
村の入り口で、痩せた少年が一人、道の真ん中に倒れていたからだ。
「――止まってください!」
セラが荷馬車から飛び降りた。少年を抱き起こし、口元に耳を寄せる。
「……息はあります。でも、もう何日も食べていない」
村の中は、静まり返っていた。
家々の扉は閉ざされ、煙突から煙は立っていない。井戸端には、空の桶が転がっている。畑は灰をかぶったように白っぽく、芽を出した麦が、どれも黄色く萎んでいた。
「……灰の疫病だ。いや、灰の霧のせいか」
ドーラ婆さんが、畑の土を指でつまんで呟いた。
「帝都の地下から漏れた霧が、風に乗ってここまで来てる。この三年、帝国の作物が育たなかったのは、たぶんこれだね」
ルカが、唇を強く噛んだ。
◇
「――王国の兵だ!」
叫び声とともに、村の奥から、鎌や棒を握った男たちが現れた。痩せこけた顔に、恐怖と憎しみが入り混じっている。
「出ていけ! この上、何を奪う気だ!」
「その子を離せ!」
第七の兵士たちが、反射的に剣の柄に手をやる。
「――抜くな!」
リーゼの声が飛んだ。
そして、ルカが馬から降り、村人たちの前に進み出た。
「私は帝国第二皇子、ルカだ」
村人たちが、息を呑んだ。
「この者たちは、私の友だ。帝国を助けるために、王国から来てくれた。――そして、すまない。皇家が、君たちをここまで放っておいた」
皇子が、農民に頭を下げた。
鎌を握った男の手が、だらりと下がった。
◇
それから半日、救援隊はその村に留まった。
荷馬車の保存食を開き、大鍋で麦粥を炊く。セラが「いきなりたくさん食べさせちゃだめです、薄く、少しずつ」と指示を飛ばし、リタが子どもたちに匙で粥を配っていく。
倒れていた少年は、三匙目で目を開けた。
「……あったかい」
その一言で、母親らしい女が地面に泣き崩れた。
ガイは、壊れた村の水車を一人で担ぎ上げ、村の男たちと一緒に修理していた。最初は遠巻きにしていた男たちが、いつの間にか「あんた、どうなってんだその腕は」と笑いながら肩を並べている。
ノエルは、村の裏山で野兎を三羽も射止めて帰ってきた。
「……俺の村も、焼かれる前は、こんな感じでした」
ノエルは、粥をすする子どもたちを眺めながら、ぽつりと言った。
「王国も帝国も、関係ないんだな。腹が減れば泣くし、温かいものを食えば笑う」
「……そうだな」
「あの人――シオンさんも、前はそうだったんですかね」
俺は、すぐには答えられなかった。
◇
日が傾きかけた頃、西の街道から、地鳴りのような音が近づいてきた。
「――敵か!?」
「いえ……車輪の音です。山ほどの」
ノエルの言葉通りだった。
夕日を背に、何十台もの荷馬車が列をなしてやってくる。先頭の車には、アーベント伯爵家の紋章。そして――王国の紋章と並んで、双頭の鷲の旗が掲げられていた。
「……父上。本当に、調印を待たなかったのか」
リーゼが、呆れたように、そして嬉しそうに笑った。
荷馬車を引いていた御者の一人が、帽子を振った。王都の下町で見たことのある、パン屋の親父だった。
「よう、兵士の兄ちゃん! 下町の連中で、余ってる麦をかき集めてきたぞ! 伯爵さまの荷に、ちょいと乗せてもらったんだ!」
村の人々が、呆然とその列を見つめていた。
やがて、さっき鎌を握っていた男が、震える声で尋ねた。
「……あれは、俺たちにか。王国の連中が……俺たちにか?」
ルカが頷いた。その目に、光るものがあった。
「そうだ。――友からの、贈り物だ」




