第81話 講和会議
春。王都の街路樹が、いっせいに白い花を咲かせていた。
「……うわあ、すげえ人だ」
王城へ続く大通りを見下ろして、ピートが口をあんぐり開けた。
通りの両側を、王都の民が埋め尽くしている。その真ん中を、双頭の鷲の旗を掲げた帝国の使節団が、ゆっくりと進んでいた。
その先頭に、仮面をつけていない皇子がいた。
「――ルカ殿下だ!」
「峡谷で王国軍を助けてくれた皇子さまだ!」
民衆から、言葉にならないどよめきが上がる。一年前なら、帝国の皇子が王都の大通りを歩けば、石を投げられていただろう。
それが今は、花を投げられている。
◇
講和会議は、王城の「青の間」で開かれた。
長い卓の片側に帝国の使節。反対側に王国の代表団。その中央に座るのは、宰相代理に任じられたアーベント伯爵だ。
そして、なぜか俺は、その伯爵のすぐ後ろに立たされていた。胸には、灯守の徽章。
「……伯爵閣下。兵士がここにいるのは、さすがにおかしくないですか」
小声で尋ねると、伯爵は前を向いたまま答えた。
「帝国の代表が、君を席にと名指しした。王もそれを許された。――それに」
伯爵は、ほんの少しだけ、声を落とした。
「娘の隣に立つ男がどういう男か、この目で確かめておきたかった」
「…………」
背中に、嫌な汗が流れた。
卓の向こうで、ルカがこちらを見て、口元だけで笑っていた。絶対にたくらんだだろう、あの皇子。
◇
会議は、拍子抜けするほど順調に進んだ。
国境の線引き。捕虜の交換。戦で焼かれた国境の村々を、両国が共同で再建すること。
そして――王国の穀物を、飢えに苦しむ帝国の村々へ送ること。
「……それは、我が国にとって、あまりにもありがたい申し出だ」
ルカが、少しだけ声を詰まらせた。
「だが、王国に何の得がある」
「得など、計算しておりません」
伯爵が、静かに答えた。
「ただ、我が国の宰相が、民の口から奪った穀物を帝国へ横流ししていたという帳簿を、殿下が私にくださった。あの帳簿がなければ、私は今ここにいない。それを、正しい形でお返しするだけのことです」
ルカは一瞬目を見開き、それから、深々と頭を下げた。帝国の使節たちが、慌ててそれに倣う。
「――帝国第二皇子ルカの名において。この恩を、帝国は永久に忘れない」
青の間に、拍手が起こった。王国の貴族たちも、帝国の使節たちも。
俺は伯爵の背中を見つめながら、思っていた。
この人は、原作では第二章で処刑されていた。「帝国と内通した反逆者」として。
その人が今、帝国との和平を結んでいる。
◇
調印の儀は、三日後と決まった。
その夜、王城の中庭では、両国の使節を招いた宴が開かれていた。
「――兵士C。少しいいか」
ルカに呼ばれ、俺は宴の輪を抜けて、人気のない回廊へ出た。
「伯爵のこと、私が仕組んだと思っているだろう」
「違うんですか」
「半分は私だ」
ルカは、いたずらっぽく肩をすくめた。だが、すぐにその笑みを消した。
「……父帝の容態が、良くない」
「片翼の鳥の痣ですね」
「ああ。日に日に、翼が広がっている。宮廷魔導師団は『心配はいらない』と繰り返すばかりだ。――私が帝都を空けるのを、彼らは待っていたのかもしれない」
その時だった。
回廊の奥から、騒がしい足音が近づいてきた。泥だらけの帝国の伝令が、衛兵に支えられながら、よろめくように駆けてくる。
「殿下――ルカ殿下!」
伝令はルカの足元に崩れ落ち、息も絶え絶えに叫んだ。
「帝都より急報! 皇帝陛下、危篤! 宮廷魔導師団が皇宮を封鎖し、ゼノン殿下の残党が帝都の各所で蜂起! そして――」
伝令は、青ざめた顔で続けた。
「帝都の地下から、灰色の霧が――!」
俺とルカは、顔を見合わせた。
原作の「帝都陥落」が、始まったのだ。




