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第80話 知らない未来(第3章完)

新しい年の最初の朝、俺は東壁の上で見張りに立っていた。

「……灯守の徽章をもらった英雄が、なぜ元旦に夜番をしている」

背後から、呆れた声がした。リーゼだ。湯気の立つ木の杯を二つ、両手に持っている。

「第七の当番表に、名前が書いてあったので」

「誰かに代わらせればいいだろう。皆、喜んで代わるぞ」

「ここが好きなんですよ」

俺は杯を受け取った。温めた葡萄酒に、蜂蜜と肉桂の香り。

「一年ちょっと前、俺はこの壁の上で居眠りしそうになって、前世を思い出したんです。あの夜、居眠りをしてたら、俺は原作通りの兵士Cのまま、何も知らずに死んでた」

「…………」

「だから、ここで目を開けているのが、好きなんです」

リーゼはしばらく黙っていたが、やがて俺の隣に並んで壁にもたれた。

「では、私も付き合おう」

「副司令が夜番ですか」

「司令代理だ。自分の砦の壁にいて何が悪い」

二人で、白む空を眺めた。

◇

「――なあ、トーマ」

杯の中身が半分ほどになった頃、リーゼが口を開いた。

「お前の知っている物語では、この先はどうなる」

「……春に、帝都が燃えます。ルカ殿下が玉座の間で死に、帝都の地下の柱が満ちる。そして夏の終わりに、黄昏の日が来る」

「黄昏の日とは、何だ」

「灰の王が、目を覚ます日です。空が灰色に染まって、三日間、日が昇らない。原作では、最後の聖女が――セラが、自分の命を全部捧げて、灰の王をもう一度眠らせる。それで、あの物語は終わりです」

「……それで、だれかは生き残るのか」

「王都の半分は。でも、王国軍も帝国軍も、もう残ってない。主要な人物も、ほとんど。展開が重すぎて、『全滅エンド』って呼ばれてたんです」

リーゼは、杯を握る手に力を込めた。

「……だが、もうその物語とは、違うのだろう」

「はい」

俺は頷いた。

「原作では、王国と帝国の講和なんて一度もなかった。ゼノンは帝都で反乱を起こす側だったし、セラは大聖堂の奥から一歩も出なかった。マルタさんもガイさんもピートも、第七は峡谷で消えてた」

そして、リーゼも。

「――だから、ここから先は、俺にもわかりません」

口に出してみて、俺はその言葉の重さに驚いた。

二万時間の知識。それだけを武器に、ここまで歩いてきた。だが今、その地図は、もう半分以上が役に立たない。

「……怖いか」

リーゼが尋ねた。

俺は、少し考えてから、首を振った。

「いいえ。――たぶん、少し楽しいです」

「楽しい?」

「前世では、結末を知ってる物語を、何度も何度も遊んでました。でも今は――次のページに何が書いてあるのか、誰も知らない。俺も、シオンさんも」

俺は、隣の彼女を見た。

「それでも、隣に誰がいるかは知っている。――それだけで、十分です」

リーゼは、形のいい眉を少しだけ上げた。それから、小さく笑った。

「……途中から、口説き文句になっていないか」

「そんなつもりは――」

「約束の言葉は、全部終わってからだぞ」

「……はい」

その時、東の地平線から、新しい年の最初の日が昇った。

◇

その日の午後。砦に、一通の手紙が届いた。

差出人の名はない。封蠟もない。ただ、宛名の字だけが――この世界の文字ではなかった。

『兵士C さまへ』

日本語だった。

俺は一人、自分の部屋でその封を切った。中には、便箋が一枚だけ。前にも見た、丸みを帯びた、女の子らしい字。

『第三章クリア、おめでとう。』

『でも、ここから先は、わたしも知らない物語。』

『だから、最後の章は――どちらが正しかったか、自分たちの手で確かめよう。』

『黄昏の日に、灰の峡谷で待ってる。』

『――誰も死なない結末が本当にあるなら、その時、ちゃんと見せてね。』

最後の一行だけ、字がわずかに滲んでいた。

俺は便箋を丁寧にたたみ、帳面の一番後ろのページに挟んだ。

「――見せますよ。必ず」

窓の外では、第七の連中が雪合戦をしていた。ガイの投げた巨大な雪玉がピートを直撃し、マルタさんの笑い声が響く。ノエルが物陰から正確無比な狙撃を繰り返し、セラとリタが左右から挟み撃ちするように参戦している。

その中で、赤い髪の副司令が、大人げなく全力で雪玉を握っていた。

この光景は、どの攻略本にも載っていない。

俺は帳面を閉じ、部屋を飛び出した。

――知らない未来は、もう始まっている。

これにて第三章完結です!

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