第62話 同郷の茶会
「……許可する」
リーゼは、苦虫を三匹まとめて噛み潰したような顔で言った。
「ただし、場所は中庭の東屋の前。ガイと第七を、話が聞こえない距離に置く。……それと、あの女が少しでもおかしなことをしたら、私が焼く」
「……焼かないでください。和平の使節です」
「保証はできない」
◇
春の午後の日差しの中で、シオンは、小さな木の卓に、持参した茶器を丁寧に並べていた。
「帝国の南の方の紅茶。こっちに来てから見つけた中で、一番、前の世界の味に近いんだよ」
湯気の立つ杯を、俺の前に置く。
……毒を入れるような人じゃない。それは分かっていた。この人は、物語を大事にする。第三章の前に、こんなところで俺を殺したりはしない。
一口だけ飲んだ。
――懐かしい味がした。悔しいほどに。
「……君、何時間やったの? 地下牢で聞こうとしたら、答えてくれなかったよね」
「……二万時間です」
「あ、やっぱり。帳面の一頁目の隅に、小さく書いてあったもん。『二万時間でも見つからなかった道』って」
シオンは、自分の杯を両手で包んだ。
「僕は、三万二千時間。……ただし、半分くらいは、自分で遊んだんじゃないけどね」
「……どういう意味ですか」
「弟がいたの」
シオンは、帝国の紅茶の水面を見つめたまま言った。
「湊っていうの。七つ下で、生まれつき心臓が弱くて、小学校の半分は病院のベッドの上だった。……そのベッドの上で、あの子はずっとアシュレクをやってたの。僕はその隣の丸椅子で、画面を覚き込んでた」
「……」
「湊は、全滅エンドが大好きだったよ。『姉ちゃん、これは悲しい話じゃないんだよ』って。……『全員が死んだ後で、灰の王が目を覚ますでしょう。あれは、死んだ人を全部還してくれるんだ。だから、本当の結末は、あの後にあるんだ』って」
――灰の王は、死者を呼び戻す。
ローデン卿が、地下牢で言った言葉。あの老騎士に、それを吹き込んだのは、この人だ。
「ゲームには、そんなことは一行も書いてない」
「うん。書いてないね。……でも、湊はそう信じてたの」
シオンは、一口、紅茶を飲んだ。
「湊は、十四で死んだよ。……最後の夜、あの子は『姉ちゃん、真ルート、見つけたら教えてね』って言った。それから一年、僕は毎日、ただ一人で、あの子のセーブデータで遊び続けた。……それで、気がついたら、ここにいたの」
春の風が、中庭を渡っていった。
「だから、僕は分かったんだ。……これは、湊がくれた続きなんだって。僕がこの物語を、正しく終わらせられたら――灰の王は目を覚まして、死んだ人を還してくれる。そしたら、たぶん、湊にもう一度会える」
シオンは、心の底から幸せそうに笑った。
「だから、君は邪魔なの。……一人生かすたびに、物語は正しい結末から遠ざかる。灰の王は、目を覚まさなくなる」
◇
俺は、杯を置いた。
「……そのために、何万人が死ぬんですよ」
「その何万人も、灰の王が還してくれるよ」
「誰も、それを見たことがない」
「君は、見たの?」
答えられなかった。
全滅エンドの後に何があるのか。二万時間遊んでも、俺は一度も見たことがない。
「……見てない。でも、俺は、全員生きたまま、その先を見る。『真ルート」があるなら、たぶん、そっちにある」
「そっか」
シオンは、訝しむでもなく頷いた。
「君は、二万時間の自分を信じる。僕は、湊の言葉を信じる。……うん、いいね。とっても物語っぽい」
そう言って、シオンは外套の懐から、一冊の帳面を取り出した。
手垢で黒ずんだ表紙。俺の、帳面だ。
「これは、峡谷で返すね。勝ったほうがもらう。……君が勝ったら、好きなだけ線を引けばいい。僕が勝ったら、全部の名前に、きれいな線を引いてあげる」
シオンは、帳面をしまって、立ち上がった。
「――灰の峡谷で、答え合わせしよう。同郷の人」
「あ、そうだ」
数歩行ったところで、シオンは一度だけ振り返った。
「ローデンさんのことは、残念だったね。……あの人にも、娘さんに会わせてあげたかったのに」
本当に、悲しそうな声だった。
それが、この人の一番恐ろしいところだと、俺は思った。




