第61話 和平の使節
帝国の使節は、二十騎ほどの小さな一行だった。
先頭には、帝国の老伯爵。その後ろに、美しい灰色の馬にまたがった、一人の女がいた。
黒い髪を、肩のあたりでまっすぐに切りそろえている。二十二か三くらい。帝国の宮廷魔導師の、深い藍色の外套。目尻の下がった、人の良さそうな顔立ちだった。
女は、砦の正門をくぐるなり、物珍しそうに中庭を見回した。そして、東壁の上、地下水路の入り口、兵舎の裏――一つひとつを、実に嬉しそうに目でなぞっていった。
まるで、何度も来たことのある場所を、久しぶりに訪ねた人のように。
――俺と同じ目だ。
王都の大通りを初めて見た時の、俺と同じ目。
◇
その夜、司令代理のリーゼは、使節を食堂でもてなした。
「――王国と帝国の間に、ようやく和平の兆しが見えて参りましたな」
帝国の老伯爵は、人の良さそうな笑顔で杯を掲げた。この人はたぶん、本当に和平のために来ている。何も知らずに。
「第一王子ゼノン殿下は、穀物の取引を大変喜ばれておられる。そこで、秋に予定されている峡谷での……いや、形ばかりの対陣は、早々に切り上げようと――」
「ご配慮、感謝いたします」
リーゼは、穏やかに微笑んだ。
けれど、その目は、老伯爵の隣に座る女から、一瞬も離れていなかった。
「――そちらが、灯守の徽章の方ですね」
女が、不意に俺の方を向いた。
王国語だった。柔らかく、落ち着いた、よく通る声。
その声を聞いた瞬間――背筋が、凍りついた。
『はじめまして、同郷の人』
監察院の地下牢。青白い光を纏ったフードの影。
同じ声だった。
「帝国宮廷魔導師、シオンと申します。……王都でのご活躍は、帝都にも聞こえておりますよ。宰相を倒し、聖女を救い、処刑台から伯爵を取り戻した――夢で未来を見る、という少年のお話」
シオンは、杯を口元に運びながら、楽しそうに目を細めた。
「まるで、物語の主人公のようですね」
「……俺は、ただの兵士です」
「ええ。そうでしょうとも」
シオンは、心の底から同意するように頷いた。
「物語の主人公は、他にちゃんといますからね。……例えば、そちらの、炎の剣の司令代理殿とか」
リーゼの指が、杯の脚を握りしめた。
◇
食事の後。兵舎へ戻る廊下で、背後から軽い靴音が追いついてきた。
こつ、こつ。監察院の地下牢の階段で聞いたのと、同じ音。
「――ねえ」
振り返ると、シオンが、燭台の灯りの外で、壁に背を預けて立っていた。
そして、今度は、日本語で言った。
「久しぶり。……元気そうでよかったよ。地下牢で会った時は、もう少し死にそうな顔してたもんね」
「……何をしに来た」
「それ、地下牢でも聞かれたなあ」
シオンは、くすくすと笑った。普通の、少しだけ年上の女の人の笑い方だった。それが、何よりも不気味だった。
「答えは同じだよ。顔を見に来たの。……それと、ちょっとだけ話がしたくてさ。この世界で、この言葉で話せるの、君しかいないんだもん」
シオンは、壁から背を離した。
「明日の午後、お茶しない? 二人きりで。……あ、もちろん、君の大切な司令代理さんには、ちゃんと許可をもらってね」
そして、すれ違いざま、俺の耳元で囁いた。
「――君のリスト、持ってきてあげたからさ」
軽い靴音が、廊下の向こうへ遠ざかっていった。
俺は、その場に立ち尽くしたまま、動けなかった。
――居眠りをしないために、二万時間分の知識を詰め込んだ頭が、ただ一つのことだけを繰り返していた。
あの人は、俺と同じだ。
同じ世界で、同じ画面を見て、同じ物語を愛した人間だ。
それなのに――どうして、あんなに楽しそうに、人が死ぬ未来を話せるんだ。




