第6話 死亡予定リスト
リーゼは三日後に王都へ帰っていった。
「一月後に戻る。それまで勝手に死ぬな」
それが、馬上から俺に投げられた最後の言葉だった。こちらの台詞だ。一年後に死ぬのは、あなたの方なんですよ。
◇
第七歩兵隊の兵舎は、ここ数日で妙によそよそしくなった。
いや、正確に言うと、俺に対してだけ、妙に丁寧になった。
「トーマさん、明日は雨っすか? 洗濯物、干していいっすか?」
そう聞いてきたのは、同期のピートだ。小柄で、口がよく回る。第七の噂の半分はこいつから出ている。
「俺は天気占い師じゃない」
「じゃあ、麦畑のエルザは俺のこと好きっすか?」
「それは夢で見なくても分かる。諦めろ」
「ひどっ!」
兵舎中が笑った。古参のオルグさんまで、片方しかない目を細めて肩を揺らしている。
平和だ。
この部屋にいる十二人のうち、一年後に生きているのは、ゲームどおりなら二人だけなのに。
◇
その夜、俺は、砦の売店で買った安物の帳面を開いた。
記憶は、薄れる。
この三日間で、それを思い知った。プロローグの細部は覚えている。でも、第二章のある戦闘で「敵の伏兵は左の森か右の森か」を思い出そうとして、俺は一晩悩んだ。前世の記憶は、この体の脳に無理やり押し込まれたものなのかもしれない。
だから、書いておく。
この世界の誰にも読めない文字で。日本語で。
『死亡予定リスト』
一、新兵ガイ。初日の夜、北の水門。
――二重線を引く。絶対に消えないように、強く。
二、補給隊四十名。二か月後、鴉の谷。
三、――
そこで、ペンが止まった。
三行目の名前を書くとき、前世のモニターの光が、まぶたの裏で明滅した。血の気のない白い顔。『……もう、祈れないんです』という、最後の台詞。
三、聖女セラ。半年後の『聖女の儀』で衰弱、一年後に死亡。
四、マルタ隊長。一年後、灰の峡谷。
五、リーゼ・アーベント。同じく灰の峡谷。
六、第七歩兵隊。灰の峡谷で、二名を残して全滅。
七、ルカ・ヴァルガ。一年半後、帝都の玉座。
書き終えてから、しばらく動けなかった。
たった七行。その七行の向こうに、何千人もの名前のない死がある。
◇
翌朝。
帳面がなかった。
「あ、これトーマさんのっすか? 床に落ちてたっすよ」
ピートの手の中で、俺の帳面が開かれていた。しかも、その周りには第七の半分が集まっている。
血の気が引いた。
「……読んだのか」
「読めるわけないっすよ、こんなミミズみたいな文字」
……そうだった。日本語だった。
安堵したのも束の間だった。
「で、書記官のファビアンさんに見せたんっすよ。そしたら、古代レムリア文字に似てるって」
「……は?」
「千年前に滅んだ王国の、予言者だけが使えた文字だって。すげえっすよトーマさん、やっぱり本物だったんすね!」
本物じゃない。日本語だ。コンビニのレシートにも書いてある文字だ。
だが、弁明する前に、兵舎の入口で「予言書」という言葉がもう飛び交っていた。昨日までは「夢見の新兵」だった俺は、昼には「古代の予言書を読む新兵」になり、夕方には「予言者の末裔」になっていた。
……俺の家は、三代続けて麦を作っている農家だ。
◇
その夜。
帳面を返しに来たのは、マルタだった。
「ピートから取り上げておいた。……大事なもんなら、床に落とすんじゃないよ」
「……すみません」
受け取ろうとした俺の手を、マルタはすぐには離さなかった。
「一つだけ聞く。この紙に、人の名前が書いてあるね」
……。
「私の名前は、あったかい」
線を引いた一行目。そして、四行目。
俺は、笑おうとした。
「……ありませんよ。ただの、日記です」
マルタは、しばらく俺の顔を見ていた。
それから、帳面から手を離した。
「そうかい。……下手な嘘だね、あんたは本当に」
そう言って、俺の頭を一つ、こつんと叩いた。
「なら、その日記を書いた奴に伝えときな。こっちも、そう簡単には死んでやらないってね」
扉が閉まっても、俺はしばらく、その場を動けなかった。
◇
伝令が兵舎に飛び込んできたのは、その直後だった。
「明日、聖燈教会の聖女様が負傷兵の慰問にいらっしゃる! 各隊、兵舎を磨き上げておけ!」
俺は帳面を開いた。
三行目の名前が、ランプの火に揺れていた。




