第59話 仮面の手紙
冬が来た。
黒狼砦の東壁には、朝ごとに白い霜が降りるようになった。稽古の後、リーゼと二人で吐く息が、白く並んで、朝日の中に溶けていく。
そんな朝に、一人の行商人が砦を訪ねてきた。
帝国訛りの、気のよさそうな男だった。米と塩と、砦ではめったに手に入らない甘い干し果物を、相場よりずっと安く売ってくれた。
そして俺にだけ、果物の袋の底を指さして、片目をつぶってみせた。
袋の底には、銀の仮面の形の封蠟が押された手紙が、一通入っていた。
◇
『――王国の兵士トーマへ。
父帝は、寝床から起きられるまでになった。王国の伯爵が送ってきた穀物は、飢えた東部の村々に届いている。……一つだけ、礼を言っておく。
だが、悪い知らせがある。
第一王子ゼノンが、峡谷の戦で帝国軍の先鋒を率いる。そして、ゼノンの後ろに、一人の魔導師がいる。王国の宰相が倒れた、その翌月に、帝都に現れた女だ。
名を、シオンという。
王国では名も顔も隠していたそうだが、帝都では隠しもしない。帝都の貴族たちの前で、未来を言い当ててみせ、一つ当てるたびに、ゼノンの周りに人が集まっていく。
――お前と同じだ、トーマ。あの女も、未来を知っている。
だが、お前とは逆だ。あの女は、人が死ぬ未来ばかりを、楽しそうに言い当てる。
ゼノンとシオンは、峡谷で、王国軍と帝国軍の両方を潰すつもりだ。峡谷の西の崖に、古い坑道がある。そこに魔導機兵を伏せ、戦いが最も混じり合った時に、敵味方の区別なく谷底へ放つ。……そして、その罪を俺に着せ、帝位を奪う。
俺は、父帝に忠実な兵を集めている。峡谷には必ず行く。ただし、ゼノンに気づかれぬよう、後からだ。
――鐘が鳴ったら、俺が来る。
追伸。
シオンの帝都の館に、九つくらいの少女が一人、暮らしている。赤いリボンで髪を結んだ、そばかすの娘だ。館の外には一歩も出されていないようだが、声を上げて笑うのを聞いた者がいる。……お前の砦に、心当たりのある者がいるのではないか』
◇
「……リナだ」
窓のない物置。手紙を読んだノエルの手が、小刻みに震えていた。
「そばかすも、赤いリボンも。……笑うとき、声が大きいんだ、あいつ。母ちゃんによく叱られてた」
「……生きてる」
「ああ。……生きてる」
ノエルは、手紙をそっと胸に押し当てた。三日前に司令室で泣いた時とは、まるで違う顔だった。
「……トーマ。俺、決めた」
「何をだ」
「あの連中には、これからも砦のことを流す。……ただし、全部嘘をな」
ノエルは、初めて、年相応の少年のように、にやりと笑った。
「狩人は、獣を罠に誘い込むもんだ。峡谷のどこに第七がいて、どこで鐘が鳴るのか。……あの連中が一番騙されたい形で、教えてやるよ」
「……危ないぞ。バレたら、リナが」
「バレないようにやる。……それに、あんたが約束したんだろ。『次』じゃなくて、必ずって」
ノエルは、赤いリボンを、自分の短弓の弦の端に、きゅっと結びつけた。
「……だから、俺も必ずだ」
◇
その夜、リーゼが司令室で、王都から届いた書状を俺に見せた。
「……春先、帝国から和平の使節が、この砦を通って王都へ向かうそうだ。第一王子ゼノンからの使節だ」
「……和平。峡谷で両方を潰すつもりの男が、ですか」
「そうだ。……そして、使節の一行には、一人の魔導師が同行するとある」
リーゼの指が、書状の一行をなぞった。
『帝国宮廷魔導師 シオン』
――第三章で会おう。
あの手紙の一行が、頭の中で、楽しそうな若い声になって響いた。




