第55話 聖女、砦に来たる
54話にてついにトーマが過去を自白。
これからの展開はどうなるのか!?
その馬車が正門に着いたのは、約束どおり、王都を出てちょうどひと月と三日後のことだった。
馬車の扉が開く。
白い法衣ではない。旅の外套に、丈夫そうな革の靴。背中には、薬草でぱんぱんに膨らんだ背負い袋。
それでも、白い髪を風になびかせて地面に降り立ったその少女を見て、中庭にいた兵たちが、一斉に動きを止めた。
「……せ、聖女様ぁ……?」
ピートが、槍を取り落とした。
「聖女様だぁぁぁ!」
中庭が、割れんばかりの大騒ぎになった。膝をつく者、拝む者、濁った声で泣き出す者。半年前の慰問で、癒やしの祈りを受けた兵たちだ。
セラは、その光景を、ちょっと困ったような顔で見回した。
それから、まっすぐに俺の前まで歩いてきた。
「……遅いって、言いに来たわ」
「俺が遅れたんじゃなくて、セラが三日遅れたんですよね」
「孤児院の屋根が、なかなか乗らなかったのよ。……それでも、言いたかったの」
セラは、つんと顎を上げた。
「遅い。……こんなところまで来るのに、ひと月もかかったわ」
馬車の後ろから、そばかすの娘が、大きな荷物を抱えて降りてきた。リタだ。こちらに向かって、うれしそうに片手を振っている。
◇
「――それで」
司令室。セラとリーゼが、机を挟んで向かい合っていた。
俺は、壁際で、なぜか直立不動の姿勢をとっていた。
「聖女殿は、この砦で何をされるつもりだ」
「『灯す』ことよ。……砦の中で、怪我をしたときの手当てを、一人残らず教える。血の止め方、骨の固め方、熱を下げる薬草。峡谷までに、全員が小さな聖女になれば、祈りなんて少しもいらないでしょう」
リーゼは、しばらく黙っていた。
それから、深く頭を下げた。
「……助かる。砦の全員に代わって、礼を言う」
「どういたしまして。……それと」
セラは、ちらりと俺を見た。それから、リーゼを見た。
その灰色の瞳が、少しだけ細くなった。
「……あら。隣になったのね」
「なっ……!」
リーゼの顔が、一瞬で真っ赤になった。
「な、何のことだ。私は――」
「声が、前よりちょっとだけ柔らかい。あの人の名前を呼ぶときだけ」
「…………」
「嘘をつくと、もっと分かるわよ」
リーゼが、口をぱくぱくさせた。そして――なぜか俺をにらんだ。
……俺は、何もしていない。
セラは、つんとすましたまま、立ち上がった。
「安心して。私は、半分だけでいいって言ったでしょう。……ちゃんと返したわ、半分」
そう言って、扉の前で振り返った。その口元が、少しだけ笑っていた。
「……でも、本当に返すのは、峡谷が終わってからにするわ。それまでは、半分、借りておく。……死なれたら、返せないでしょう」
扉が、ぱたんと閉まった。
しばらく、司令室には、沈黙だけがあった。
「……トーマ」
「はい」
「……私の声は、そんなに変わったか」
「…………答えなくていいですか」
「――答えなくていい!」
◇
その夕方。医務室の前を通りかかると、中からドーラ婆さんの声が聞こえてきた。
「――そうじゃない、その葉っぱは、すり潰してから使うんだよ」
「こう?」
「力を入れすぎだ。……ふん、聖女様も、薬草の前じゃただの小娘だねえ」
「……それは、嬉しい言葉だわ」
窓から覗くと、セラは薬草の汁で緑色になった手を眺めて、本当に嬉しそうに笑っていた。
だが、その笑顔は、窓の外を通りかかった一人の新兵の姿を見た瞬間、ふっと消えた。
短弓を背負った、そばかすの少年。ノエルだ。
「……トーマ」
窓越しに、セラが小声で俺を呼んだ。
「今の子。さっき、中庭で声を聞いたわ。……あの子の声、二つ混じってる」
「二つ……?」
「あの子自身の声と、もう一つ。……誰かの嘘が、あの子の中で、本当のような顔をして住み着いている」
セラは、緑色の指で、自分の胸元を押さえた。
「あの子が、あなたを懎んでいるのは本当。……でも、その懎しみの理由は、彼が自分で見つけたものじゃないわ」
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