第46話 新月の夜(二) 広場の灯
【幕間 マルタ】
王城前広場には、月の代わりに、松明が並んでいた。
広場の真ん中に組まれた木の台。その上に、首を据える台と、刃の厚い斧を担いだ処刑人。台を囲むのは、宰相府の兵が五十ほど。その外側を、王都の見物人がぎっしりと埋めている。
台の上には、縛られた男が一人、膝をついていた。
赤みがかった髪。背筋だけは、まっすぐに伸びている。
――あの子の親父さんだね。
ひと目で分かった。黙って前を見ているときの顎の線が、副司令さんと同じだ。
「……隊長。本当に、一番前まで行くんですか」
ピートが、あたしの袖を引っ張った。鼻水は、さすがに今夜は出ていない。
「行くさ。見物に来たんだ。いい場所で見なきゃ損だろ」
あたしは、第七の二十人を引き連れて、人ごみを割って進んだ。槍は持っていない。鎧も脱いできた。どこから見ても、ただの日に焼けた平民の群れだ。
ただし――あたしらの後ろには、もっと大きな群れがついてきていた。
バケツを提げた下町のおかみさんたち。鍛冶屋の親方。パン屋の夫婦。火事の夜、孤児院の前で水を運んだ連中だ。その真ん中で、小さな女の子が、伯爵様の家の年寄りの執事の手を握っていた。
ミアだ。
「……兵隊さんの、仲間のおばちゃん?」
「おばちゃんじゃない、隊長だよ」
「たいちょう」
「そう。いい子だね」
◇
真夜中の鐘が鳴った。
大聖堂の鐘と、王城の鐘が、重なって王都に響いた。
台の上で、宰相府の役人が布告を読み上げ始めた。反逆。聖女の秘儀を汚した罪。帝国の間者との密通。並べられた言葉は、どれも立派で、どれも中身がなかった。
処刑人が、斧を持ち上げた。
――今だね。
「―――待ちなぁっ!!」
あたしの声は、砦で百人の新兵を怒鳴りつけてきた声だ。広場の端から端まで、きっちり届いた。
処刑人の斧が、宙で止まった。
「なんだ、貴様は!」
「見物人さ。ただし、ちょっと口うるさい見物人でね」
あたしは、台の前の柵に手をかけた。宰相府の兵たちが、一斉に槍を向けてくる。
第七の二十人が、黙ってあたしの両脇に並んだ。武器は持っていない。持っていないまま、一歩も退かない。
その後ろに、下町の連中が並ぶ。その後ろに、さらにその後ろに。
兵たちの槍先が、少しずつ、少しずつ、下がっていった。
五十本の槍で、数百人の平民は刺せない。それを分からせるのは、殴り合うより、ずっと手っ取り早い。
「――監察院のエーリヒ殿! 出番だよ!」
人ごみの中から、痩せた中年の男が、震える足で前に出てきた。
監察院の監察官。再審問の日、トーマが地下牢から出された時、気まずそうに目を逸らした男だ。
あたしは懐から、革紐の帳簿を取り出して、その手に押しつけた。
「読みな。大きな声でね」
◇
エーリヒ殿は、最初は蚊の鳴くような声だった。
けれど、三頁目あたりから、声が変わった。
「……王国暦四百十二年、秋。北部穀倉より徴収の小麦、八千袋。……帝国国境の倉にて、受け取り。受取人、ヴァルガ帝国東部方面軍。……仲介、宰相府――」
広場が、ざわめいた。
「――同年、冬。王都にて、小麦の値上がり。原因、帝国の侵攻による流通の途絶、と布告」
ざわめきが、どよめきに変わった。
「それ、おれたちが冬に、パン一個に銅貨三枚払わされた時の……」
「帝国が攻めてくるから仕方ないって……」
「宰相様が、売ってたのか! 帝国に!」
怒りは、火事よりも早く燃え広がった。
台の上の役人が、青ざめて逃げ出そうとした。広場の奥の、王城の露台の上で、灰色の髭の痩せた男が、身を翻すのが見えた。
宰相オズワルド。
「――監察院の名において、命ずる!」
エーリヒ殿が、帳簿を高く掲げた。もう、震えてはいなかった。
「アーベント伯爵の処刑を差し止める! 本件、監察院が預かる! ……宰相オズワルドを、召喚する!」
広場に、割れるような歓声が上がった。
◇
縄を解かれた伯爵様は、しばらく台の上で、ぽかんとあたしを見下ろしていた。
「……平民の兵が、なぜ、私を」
「あんたの娘さんに、借りがあるのさ」
あたしは、台の柵越しに肩をすくめた。
「あの子はね、うちの坊やたちを鞭の前で庇ってくれた。頬に傷までつけてね。……それに、あたしの部下が、あの子の背中を守るって約束してるらしいから。隊長としては、その親父さんくらいは守ってやらないと、格好がつかないだろう?」
伯爵様は、何か言いかけて、口を閉じた。
それから、東の丘のほうを見た。大聖堂の、白く光る尖塔のほうを。
「……娘は」
「大聖堂さ。あたしらの坊やと一緒に、聖女様を迎えに行ってる」
東の空は、まだ暗い。けれど、その暗い空の下で、大聖堂だけが、いつもより白く――まるで内側から燃えるように光っていた。
――トーマ。
あたしの名前を、消すんだろう?
なら、こんなところで、あんたの名前が増えるんじゃないよ。




