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第45話 新月の夜(一) 白い鎧の壁

新月の夜は、本当に暗かった。

大聖堂の裏の斜面には、星明かりしかない。曲がった鉄格子の前で、リタが手燭に布をかぶせ、ほんの少しだけ光を漏らしていた。

「……正門のほう、始まりました」

リタの言うとおりだった。丘の向こうから、怒号と、鉄のぶつかる音と、警鐘が聞こえてくる。ルカの手の者たちだ。

「行くぞ」

リーゼが、短く言った。

俺、リーゼ、ガイ、リタ。四人だけの隊だった。

◇

回廊は、今夜は静かではなかった。

遠くで駆け回る足音。号令。正門の騒ぎに、教会騎士たちが吸い寄せられていく。右、右、左。回り扉。リタが鍵束の中から迷いなく一本を選び、奥の院へ抜ける扉を開けた。

「……すごいですね、リタさん」

「三年、毎晩この扉の鍵を掛けてきましたから」

リタは、震える手で、それでも笑った。

奥の院のセラの部屋は、空だった。

寝台の上に、白い花の人形が一つだけ置かれていた。ミアの人形だ。火事の後で、ミアがセラに届けてほしいと言って、俺が預けたもの。

「もう、儀の間へ連れていかれたあとです」

「急ぐぞ」

◇

儀の間へ続く最後の長い廊下に出た瞬間、足が止まった。

白い壁があった。

――いや。白い鎧の、人の壁だ。

教会騎士が、二十人以上。槍を揃え、廊下の幅いっぱいに隙間なく並んでいる。正門の騒ぎにも、まったく動じていない。

そしてその中央で、一人だけ兜をかぶらずに、金髪をなびかせている男がいた。

「――待っていたよ、平民」

ヴィクトル・ダンケルは、崩れない笑顔のまま、白い手袋の手を広げた。

「正門で騒いでいる下賤な連中が、本命でないことくらい分かるさ。君たちは、いつも裏口から来る。美しくないやり方でね」

「……どけ、ヴィクトル」

リーゼが、剣を抜いた。刃に、赤い刻印が走る。

「おや、元副司令殿。ご心配なく。父君の首なら、今頃、西の広場で――」

「――黙れ」

リーゼの声は低かった。だが、その手は震えていなかった。

「私は、父を仲間に任せてきた。お前に心配される筋合いはない」

ヴィクトルの笑顔が、ほんの一瞬だけ固まった。

◇

その時、騎士たちの列の後ろで、悲鳴が上がった。

一人、二人。白い鎧が、背後から崩れていく。廊下の向こうの闇から、銀色の光が一閃して、槍の穂先がまとめて床に落ちた。

「……遅れた。正門の連中が、思ったより頑張ってな」

銀の仮面の騎士が、騎士たちの列の向こう側に立っていた。

「挟み撃ちだ。……さて、お前たちの番だぞ、王国の兵士」

「――言われるまでもない!」

リーゼが、炎とともに飛び込んだ。

炎の刻印が、廊下を真紅に照らす。槍衾が崩れ、白い鎧が次々と壁に叩きつけられていく。その隙間を、俺とリタが駆け抜ける。

――そして、一人だけ、まっすぐにヴィクトルへ向かっていく大きな背中があった。

「……ガイさん!」

◇

ヴィクトルが、腰の剣を抜いた。

細身の、美しい剣だった。刃に、青い刻印が浮かび上がる。貴族だけが持つ、刻印の剣。

「平民が。貴族の刻印に、素手で勝てるとでも――」

ガイは、何も答えなかった。

ただ、大剣を両手で振りかぶった。

青い刻印の剣が、それを受け止める。火花が散る。一合、二合。ヴィクトルの剣は、確かに速かった。

けれど、三合目。

ガイの大剣が、真上から振り下ろされた。

刻印の剣が、根元から、ぽきりと折れた。

「――なっ」

ヴィクトルの崩れない笑顔が、初めて、完全に崩れた。

ガイは、大剣を床に投げ捨てた。

そして、右の拳を握った。

「これは――」

一発目。ヴィクトルの曲がった鼻が、反対側に曲がった。

「――ミアの分だ」

二発目。白い鎧ごと、ヴィクトルの体が宙に浮いた。

「これは、第七の分。東壁で死ぬはずだった、全員の分だ」

三発目は、なかった。

ヴィクトルは、廊下の壁に叩きつけられ、そのまま白目をむいてずるずると崩れ落ちていた。

「……あと一発は」

ガイは、拳をほどいて、ふう、と息を吐いた。

「副司令の分は、副司令が自分で取っとくだろ」

炎の向こうで、リーゼが、一瞬だけ笑った気がした。

◇

廊下の突き当たりに、儀の間の大扉があった。

扉の前に、仮面の騎士が立ちふさがった。俺たちの方ではなく、廊下の向こうから押し寄せてくる新手の教会騎士たちの方を向いて。

「ここは俺が持つ。……行け、トーマ。お前の言う、潰す未来とやらを見せてみろ」

「……はい!」

大扉に手をかけた、その時。

大聖堂の鐘が、鳴った。

一つ。二つ。三つ――

真夜中を告げる、十二の鐘。

扉の隙間から、白い光が溢れ出していた。

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