第43話 刻印師の記憶
新月まで、あと六日。
王都の西門に、見覚えのある一団が現れたのは、昼過ぎのことだった。
日に焼けた革鎧。泥だらけの長靴。槍を担いだ、二十人ほどの平民兵。先頭を歩くのは、白髪まじりの短い髪を風になびかせた、がっしりした女だった。
「――トーマぁぁぁっ!」
一番に駆け出してきたのは、ピートだった。
「生きてたぁ! 牢屋に入れられたって聞いて、俺、俺ぇ……!」
「ピート、鼻水」
「出るに決まってんだろぉ!」
抱きついてきたピートの後ろで、片目のオルグが黙って片手を上げた。その隣で、杖をついた小柄な老婆が、ふん、と鼻を鳴らす。
「……騒々しいねえ。年寄りを十日も馬車に揺らしといて、出迎えがこれかい」
軍医のドーラ婆さん。
そして――
「よう、トーマ」
マルタが、俺の前に立った。
「手紙は読んだよ。ガイの字は相変わらず汚くて、三回読み直した」
「……隊長」
「隊長の許しもなく王都で死にかけるなんざ、いい度胸だね」
こつん、と、頭を一つ叩かれた。
砦の兵舎の裏で叩かれたのと、同じ強さだった。
「……すみません」
「謝るのは後だ。で、何をすりゃいい」
◇
安宿の一室は、第七で足の踏み場もなくなった。
俺は、全部を話した。儀のこと。伯爵の処刑のこと。同じ刻に、二つの場所で。
「――つまり、こういうことだね」
マルタは、床に広げた王都の地図の、西の麓を拳で叩いた。
「伯爵様のほうは、あたしら第七が引き受ける。あんたらは大聖堂だ」
「でも、隊長。相手は宰相府の兵です。下手に手を出せば、第七まで反逆者に」
「誰が手を出すって言ったよ」
マルタは、にやりと笑った。
「あたしらは平民兵だ。王都の広場に、処刑を見物に来るだけさ。……ただし、二十人で、一番前の列にね。それに、下町の連中も、だいぶ集まりそうだって聞いたよ。孤児院の子どもらを、火の中から抱えて出てきた兵隊さんがいるってね」
リーゼが、驚いたように目を見開いた。
「……隊長」
「副司令さん。あんたの父親を、平民兵が守っちゃいけないって法はないだろう?」
リーゼは、しばらく何も言えずにいた。
それから、深く、深く頭を下げた。
◇
夜。ドーラ婆さんが、俺の左腕を取った。
灯りの下で、写し身の刻印をじっと見つめる。皺だらけの指が、刻まれた線を一本ずつなぞっていく。
「……二十一年前の儀の話、だったね」
「はい」
「その身代わりの騎士の名前はね、ユリウスっていうんだよ」
息が止まった。
「あんたのその刻印を彫ったのが、あたしだってことは、前に話したね。……ユリウスの刻印を彫ったのも、あたしさ」
ドーラ婆さんの声は、静かだった。
「あの子は、あたしの弟子だった。刻印師になりたいって言ってた子でね。剣より、細かい線を彫るほうが好きだった。……なのに、自分の腕に、影武者の刻印を彫ってくれと頼みに来た」
「……」
「あたしは彫った。止められなかった。だから、王都を出たんだよ。砦の軍医になって、二度と刻印には触れないつもりだった」
「でも、俺には彫ってくれた」
「あんたが、あの子と同じ目をしてたからさ」
ドーラ婆さんは、俺の刻印の端を、とん、と指で叩いた。
「いいかい、トーマ。写し身ってのは、ハズレの刻印なんかじゃない。……誰かの技を写すってことは、その誰かの重さを、自分の体に半分移すってことだ。だから影武者に使われた」
「半分……」
「だけどね。半分移せるってことは、半分返せるってことでもある」
灯りの火が、小さく揺れた。
「ユリウスは、聖女様の重さを全部引き受けようとした。だから戻れなかった。……あの子に、教えてやれなかったことがある。写し身には、『返し』って使い方があるんだよ」
「返し」
「写したものを、持ち主と分け合う。全部背負わずに、半分ずつにする。……昔の刻印師の書物に、一行だけ書いてあった。あたしも、試したことはない」
――二人で祈れば、半分ずつよ。
セラの声が、頭の中で重なった。
「ただし、刻印に二人分の祈りを流すことになる。……焼き切れるかもしれない。焼き切れたら、二度と写し身は使えない。それどころか、腕ごと持っていかれるかもしれない」
「……」
「それでも、やるかい」
俺は、自分の左腕を見下ろした。
居眠りをしないために、目をこすった腕。ガイの怪力を写した腕。リーゼの剣を写した腕。
「……やります。戻れない方法より、戻れるかもしれない方法のほうが、ずっといい」
ドーラ婆さんは、しばらく俺の顔を見ていた。
それから、ふん、と鼻を鳴らした。
「……あの子も、それが言えればよかったのにね」
婆さんの目の端が、灯りに光った気がした。




