第40話 二つの新月
宰相府の正門の前には、もう人だかりができていた。
「――どけ!」
リーゼが、群衆をかき分けて前へ出た。俺とガイは、その後ろを追うのがやっとだった。
鉄の門の前に、白い鎧の騎士が並んでいた。その真ん中で、一人だけ兵が掲げた旗の下に立ち、一枚の布告書を読み上げている男がいる。
金髪。白い手袋。崩れない笑顔。
「――ハインリヒ・アーベント伯爵は、聖燈教会の秘儀を二十一年にわたり汚し、先代の聖女を儀の間より連れ去った罪。さらに帝国の間者と通じ、王都にて騒乱を企てた罪により――」
ヴィクトルは、そこでわざと一拍置いた。
そして、群衆の中にリーゼの顔を見つけて、心底嬉しそうに目を細めた。
「――新月の夜、真夜中。王城前広場にて、斬首に処する」
広場が、どよめいた。
新月の夜。真夜中。
聖女の儀と、同じ刻。
「……ヴィクトル」
リーゼの声が、低く鳴った。
「おや、アーベント副司令。……いや、もう副司令でもないか。反逆者の娘は、黒狼砦の役職を解かれるそうだよ。今朝、軍の方でもそう決まった」
ヴィクトルは、布告書を丁寧に巻き戻した。
「美しい趣向だろう? 同じ夜、同じ刻。大聖堂の地下では聖女が祈り、王城の前では反逆者の首が落ちる。……さて、あなたはどちらへ駆けつけるのかな。父親か、聖女か」
リーゼの右手が、剣の柄にかかった。
包帯の下で、焦げた手が白くなるほど握りしめられている。
俺は、その手の上に、自分の手を重ねた。
孤児院の庭で、ガイを止めたのと同じように。
「……リーゼさん。ここで剣を抜いたら、伯爵の罪が、本当になります」
「……分かっている」
「それが、あいつの狙いです」
「分かっている!」
叫んだ声が、割れていた。
それでも、剣は、抜かれなかった。
「……ふふ。本当に、よく身の程をわきまえた部下をお持ちだ」
ヴィクトルは、馬にまたがりながら、俺にだけ、ちらりと目をやった。
「あの方から、伝言だ。――『物語には、選択肢が必要だろう』、と」
白い鎧の列が、門の奥へ消えていった。
――選択肢。
ゲームの画面に、二つ並んで出てくる、あの四角い枠。
あいつは、この世界を、本当にゲームのように動かしている。
◇
その日、リーゼはほとんど口を利かなかった。
安宿の部屋で、大聖堂の地下の図と、王城前広場の図を、並べて床に広げたまま、ずっとそれを見下ろしていた。
大聖堂は丘の東の端。王城前広場は、丘を挟んだ西の麓。馬を飛ばしても、半刻はかかる。
同じ刻に、二つの場所にはいられない。
「……それなら、分かれればいい。俺が大聖堂。リーゼさんとガイさんは、広場へ」
「……儀の間の入り口は、誰が押さえるんだ」
「ルカに、頼んでみます」
「帝国の王子に、王国の聖女の命を預けると?」
「信用できます」
リーゼは、何も言わなかった。ただ、ずっと俺の顔を見ていた。
その目が、少しだけ、セラに似ていた。嘘を探す目だった。
◇
夜更け。
部屋に戻ると、燭台が一つだけ灯っていた。
その前に、リーゼが座っていた。
手に、数枚の紙を持っていた。
見覚えのある、母の手帳の紙。俺が、外套の内懐に隠していた――最後の数頁だった。
「……すまない。外套を、干しておこうと思っただけだった」
リーゼは、紙から目を上げなかった。
『三日目の夜明け。私の代わりに、祈祷台に膝をついた人がいた。』
『彼は「写し身」の刻印を持っていた。』
『彼は、祈祷台から、戻らなかった。』
「……『考えがある』、と言ったな」
リーゼの声は、不思議なほど静かだった。
「『当日までに、セラと詰める』、とも言った。……大聖堂には、一人で行くとも。……お前の左腕には、何の刻印があったかな」
燭台の火が、揺れた。
リーゼが、ゆっくりと顔を上げた。
泣いてはいなかった。怒ってもいなかった。
ただ、ずっと前からその答えを知っていた人の顔だった。
「――トーマ。お前、死ぬつもりか」
新月まで、あと十九日。
俺は、初めて、この人の前で嘘をつく言葉を探していた。
そして――そんな言葉は、どこにも見つからなかった。




