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第4話 女騎士は「なぜ」と問う

推しが、目の前で俺を疑っている。

――いや、推しという言い方はよくない。二万時間、彼女が死ぬのを見続けた俺に、そんな軽い言葉を使う資格はない。

砦司令室。長い机の奥に白髪の砦司令官が座り、その隣にリーゼ・アーベントが立っている。壁際には、苦虫を噛み潰したような顔のベルント准騎士。そして俺の後ろには、腕を組んだマルタ隊長。

「第七歩兵隊、新兵トーマ」

リーゼの声は、ゲームのボイスより少し低かった。当たり前だ。ここにいるのは声優じゃない。生きた人間だ。

「昨夜、お前は当直指揮官に『敵は地下水路から来る』と報告した。そしてそのとおりになった。間違いないか」

「……はい」

「なぜ分かった」

来た。

「お待ちください、アーベント卿」

口を挟んだのはベルントだった。

「答えは明らかです。この男は、捕らえた料理番と同じく帝国の間者だ。仲間を切り捨てて手柄を立て、砦の奥深くに潜り込もうとしているのです」

マルタが語気を強めて何か言いかけたが、リーゼが片手を上げて制した。

「ベルント准騎士。あなたはその『間者』の報告を受けて、弓兵をすべて東壁に集めた。そうだな?」

「そ、それは……」

「間者が、味方の攻め筋をわざわざ教えて、それを潰させるのか。ずいぶんと勤勉な間者だ」

ベルントの顔が、赤から青へと色を変えた。

これだ。ゲームのリーゼは、いつもこうだった。身分ではなく理屈で判断する。平民兵を盾にする軍のやり方に、一人だけ本気で怒っていた。だから俺は、この女を二万時間も見ていられたんだ。

――そしてだから、峡谷で部下をかばって死ぬ。

「だが、疑問は残る」

リーゼの紫の瞳が、まっすぐ俺を射抜いた。

「配属三日の新兵が、水路の格子の細工も、使われていない堰の巻き上げ機も知っていた。どう説明する」

頭の中で、ありとあらゆる言い訳を並べる。

偶然です。――偶然で堰は上げない。

勘です。――勘で敵の人数まで当てる奴はいない。

前世でこの世界をゲームとして遊んでいました。――無理だ。頭がおかしいと思われて終わる。

結局、俺の口から出たのは、今朝ガイに言ったのと同じ言葉だった。

「……夢で、見ました」

司令室が静まり返った。

それから、ベルントが吹き出した。

「夢! 聞きましたか卿、夢ですよ! 平民はこれだから――」

「では」

リーゼは笑わなかった。

「その夢で、他には何を見た」

……え。

「本当に夢で未来が見えるなら、他にも何か知っているはずだ。言ってみろ」

まずい。これは試されている。下手なことを言えば嘘がばれる。かといって「一年後にあなたは死にます」なんて言えるわけがない。

何か。当たり障りがなくて、でも本人にしか分からないこと。

二万時間分の記憶が、頭の中を高速で流れていく。そして俺は、よりによって、一番どうでもいい情報をつかんでしまった。

「……アーベント様は、『甘味は体を鈍らせる』と公言されていますが」

「…………は?」

「本当は蜂蜜パンが大好物で、遠征のときは必ず、鞍袋の一番底に三つ隠して――」

がたん、とリーゼの剣の鞘が机に当たった。

見ると、女騎士の顔が、髪と同じ色になっていた。

ゲームでは、好感度を最大まで上げた二周目以降にしか見られない会話だ。野営の夜、彼女がこっそり蜂蜜パンをかじっているところを、従者が見つけてしまう。二万時間の中でも、数少ない幸せな場面だった。

「……ど、どこでそれを」

「夢です」

もう後には引けなかった。

ぶふっ、と堪えきれずに漏れたような音がした。砦司令官が口元を押さえて肩を震わせている。俺の後ろでは、マルタが天井を仰いでいた。

リーゼは咳払いを一つして、何事もなかったように姿勢を正した。耳はまだ赤い。

「……砦司令。昨夜の当直指揮については、王都への報告書に詳しく記します。ベルント准騎士は、調べが終わるまで当直から外してください」

「なっ……!」

「それと、新兵トーマ」

紫の瞳が、もう一度俺を捕えた。さっきまでの鋭さに、少しだけ別の色が混じっている。

「お前を第七歩兵隊から外さないように、私から伝えておく。この砦を勝手に離れるな。……私の目の届くところにいろ」

それは守るという意味なのか、見張るという意味なのか。

俺には、まだ分からなかった。

◇

【幕間 リーゼ】

宿舎に戻り、鞍袋の底を探る。

蜂蜜パンは、三つ。

誰にも話したことはない。従者にも、父にも。

「……夢、か」

あの新兵は、司令室にいる間じゅう、私を見ていた。でも、男が女を見る目ではなかった。部下が上官を見る目でもなかった。

あれは――もうすぐ失くすと分かっているものを見る目だ。

母が病に倒れた冬、鏡の中の私が、同じ目をしていた。

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