第37話 孤児院の火
その夜から、俺たちは交代で孤児院の見張りに立った。
初日はガイ。二日目は俺。三日目は、俺とリーゼ。
「……一人でいいと言ったんですけど」
「砦でも、一人で大丈夫と言って、大丈夫だったことはないだろう」
反論はできなかった。
孤児院の裏の、壊れかけた物置の陰。外套にくるまって並んで座ると、肩と肩が、少しだけ触れた。
「……寒くないですか」
「砦の東壁よりはマシだ」
「そうですね」
それきり、しばらく二人とも黙っていた。黙っていても、不思議と居心地は悪くなかった。
◇
その匂いに気づいたのは、夜半を少し過ぎた頃だった。
油の匂い。
「――リーゼさん」
「ああ」
立ち上がった瞬間、孤児院の表側で、ごうっという音がした。
炎だった。
表の壁一面に、水を撒くように油が垂らされていたのだろう。火はあっという間に屋根まで駆け上がり、古い木の窓枠を飲み込んでいく。
闇の中を、黒い外套の人影が三つ、路地の奥へ駆け去っていくのが見えた。
「……追うな。子どもが先だ」
「はい!」
◇
裏口を蹴破って飛び込むと、建物の中はもう煙で白かった。
「起きろ! 火事だ! 裏口から出ろ!」
一階の大部屋で寝ていた子どもたちが、泣き叫びながら飛び起きた。院長の老婆が、小さい子を両脇に抱えて裏口へ走る。
「二階は! 二階には誰が!」
「年少の子が四人と……ミアが!」
階段を見上げた。
炎が、もう踊り場の手すりを舐めていた。
「――トーマ、下がっていろ」
リーゼが、剣を抜いた。
刃に、赤い刻印が走る。炎の刻印だ。けれど、今度は炎を放つのではなかった。
リーゼが剣を横に払うと、階段の炎が、引き寄せられるように刃へと流れ込んでいった。
「……炎は、放つことも、吸うこともできる。ただし……長くはもたない」
リーゼの額に、汗が浮かんでいた。剣を握る手が、赤く焦げ始めている。
「行け、トーマ!」
俺は、炎の消えた階段を駆け上がった。
◇
二階の奥の部屋の扉は、開かなかった。
熱で歪んだのか。それとも、誰かが外から粗く釘を打ち込んでいたのか。
扉の向こうで、子どもたちの泣き声がした。
「――ガイさん、借ります」
ここにいない親友の名前を呼ぶ。
左腕の刻印が熱を持った。「写し身」。何度も隣で見てきた、あの怪力が、肩から拳へ流れ込んでくる。
拳で、扉の蝶番ごと壁を打ち抜いた。
部屋の中は、煙でほとんど何も見えなかった。
床に伏せていた小さな影が四つ。そして――窓際で、四人に覆いかぶさるようにしている、もう一つの影。
ミアだった。
「……兵隊さん」
「来たぞ。もう大丈夫だ」
「……お姉ちゃんに、約束したの。小さい子は、わたしが守るって」
煙に咽せながら、ミアはそう言った。白い花の人形を、一番小さい子の胸に押しつけたまま。
――この子も、セラと同じだ。
俺は、怪力の残った両腕で、五人をまとめて抱え上げた。
◇
全員が外に出たのと、屋根が焼け落ちたのは、ほとんど同時だった。
子どもたちは、二十一人。院長を入れて二十二人。煙を吸って咳き込んでいる子はいたけれど、誰一人、欠けていなかった。
騒ぎを聞きつけた下町の人たちが、バケツを提げて集まってきた。ガイも、安宿から下着のまま駆けつけてきて、一人で井戸と火の間を何往復もしていた。
俺は、石塀にもたれて座り込んでいたリーゼの前に、膝をついた。
剣を握っていた右手が、赤く焦げていた。
「……見せてください」
「大したことはない」
「見せてください」
リーゼは、しぶしぶ右手を差し出した。
俺は、自分の服の袖を裂いて、井戸の水で濡らした。それを、そっとその手に巻いていく。
「……砦でも、こういうこと、よくやってたのか」
「第七では、怪我したら自分でやれ、でしたから」
「そうか」
リーゼは、包帯を巻かれていく自分の手を、じっと見ていた。
「……お前の手は、温かいな」
「……リーゼさんの手が、熱いんですよ」
「ちがう。……いつも、そう思っていた」
焦げた屋根の向こうで、空が白み始めていた。その光の中で、リーゼの頬が赤いのは、たぶん、火のせいだけではなかった。
◇
朝。焼け跡の前に、一台の馬車が止まった。
降りてきたのは、伯爵邸の、あの初老の執事だった。
「子どもたちのことは、ご心配なく。旦那様の別邸で、しばらくお預かりいたします」
「……伯爵が?」
リーゼが、信じられないという顔でおうむ返しにした。
執事は、それには答えず、俺の方を向いて、深く頭を下げた。
「それと、トーマ様。――旦那様が、今夜、お一人でお越しください、と」




