第35話 聖女の目覚め
セラが目を覚ましたという知らせが届いたのは、大聖堂に忍び込んだ夜から三日後だった。
知らせを持ってきたのは、監察院の使いだった。
「聖女の審問によって無実を証された者には、古の法により、聖女への謝意を伝える権利がある――とのことです」
使いの男は、書状を読み上げながら、自分でも不思議そうな顔をしていた。
「そんな法、あったんですか」
「昨日、どなたかが法典の奥から探し出して、申し立てられたそうで。……誰とは、申し上げられませんが」
俺は、懐の紙きれのことを思い出していた。書斎の壁一面の、古い本。
◇
大聖堂の奥の院。三日前には忍び込んだ部屋に、今日は正面から通された。
扉の前では、グレゴール司教補が苦虫を噛み潰したような顔で待っていた。
「……半刻だけですぞ。聖女様はまだお弱りであられる」
「分かっています」
「そちらの女騎士殿も、ですかな」
「私は、ここで待つ」
リーゼは、扉の脇の壁に背を預けた。一緒に来ると言い出したのは、リーゼの方だったのに。
「……いいんですか」
「いい。……礼を言いたいのは、お前だろう」
◇
セラは、寝台の上で上半身を起こしていた。
顔色は、三日前よりは少しだけよかった。けれど、白い髪の中の灰色の一房は、そのままだった。
「……遅い」
「それ、二回目ですよ」
「……二回?」
「いえ。なんでもありません」
セラは、不思議そうに眉を寄せた。それから、黙って寝台の端を、とんとんと叩いた。座れ、ということらしい。
「……ありがとうございました。助けてくれて」
「どういたしまして」
「……でも、もう二度と、あんな祈りはしないでください」
「それは、あなた次第ね」
セラは、つんと顔を背けた。
「あなたが二度と牢に入らなければ、私も祈らないで済むでしょう」
「……努力します」
「嘘。あなたは、また無茶をする顔をしている」
――この子には、本当に何も隠せない。
◇
「……トーマ。聞いて」
しばらくして、セラが声を落とした。
「眠っている間も、ときどき、耳だけは起きていたの。……夜になると、グレゴールが来て、私の口に何かを流し込む。『聖水ですよ、聖女様』って」
「……聖水」
「あれを飲むと、体が重くなるの。頭に霧がかかるみたいに。……それで、祈りを強いられても、まともに押し返せなくなる」
俺は、拳を握りしめていた。
原作のセラが、なぜあれほど素直に儀に臨んだのか。二万時間遊んでも分からなかったことが、一つ分かった。
「それと、もう一つ」
セラの声が、さらに低くなった。
「昨日の夜、グレゴールが誰かをこの部屋に連れてきた。……その人、香水の匂いがしたの」
背中に、冷たいものが走った。
「その人は、寝ている私を見下ろして、こう言った。『全く、美しい。この美しさが、もうすぐ灰になるとはな』――って」
――美しい。
あの男の口癖の、裏返し。
「……ヴィクトル」
「知っている人?」
「黒狼砦を帝国に売ろうとして、逃げた男です」
「そう。……その人のこと、グレゴールは『新しい団長殿』って呼んでいたわ」
「団長……?」
「教会騎士団の。……儀の夜に、儀の間を守る人たちの」
◇
半刻は、あっという間だった。
「……そろそろ、行きます」
立ち上がろうとした俺の袖を、細い指がつまんだ。
「……私が眠るまで、いて」
「でも、司教補が」
「眠るまで。……一人で眠ると、あの人たちの足音ばかり聞こえるの」
俺は、もう一度寝台の端に腰を下ろした。
セラは、俺の袖をつまんだまま、目を閉じた。しばらくすると、小さな寝息が聞こえ始めた。
そっと指をほどいて、扉を開ける。
廊下の壁に、リーゼが、さっきと同じ形でもたれていた。
この前のように怒ってはいなかった。ただ、少しだけ寂しそうな目で、眠るセラの方を見ていた。
「……眠ったか」
「はい」
「そうか」
リーゼは、壁から背を離した。
「……あの子は、一人でここにいるんだな」
それは、問いではなかった。
「……トーマ。儀のこと、全部話せ。地下で何を見たのかも。……ガイが、何やら口を滑らせてルカとかいう名前を出したこともだ」
……ガイさん。




