第33話 大聖堂の地下
「――許可できない」
リーゼは、腕を組んだまま言い切った。
「大聖堂に忍び込むだと? 捕まれば、今度こそ罪人だ。地下牢では済まんぞ」
「分かってます」
「分かっていない」
「でも、儀が何をするものなのか、この目で確かめないと、止める方法も分からないんです」
それに――と、俺は心の中で付け足した。
大聖堂の地下は、アシュレクの第二章に出てくるダンジョンだ。通称「聖燈の回廊」。先に進むための隠し通路も、宝箱の位置も、閉じた扉を開ける仕掛けも、全部覚えている。
二万時間は、伊達じゃない。
「……せめて、私も行く」
「リーゼさんは顔が知られすぎてます。監察院で、王都中の貴族が見てる」
「……」
「それに、伯爵家の娘が教会に忍び込んだなんてことになったら、今度はお父さんまで――」
言いかけて、俺は口をつぐんだ。懐の紙きれが、少しだけ重くなった気がした。
リーゼは、長いこと俺をにらんでいた。それから、深い溜め息をついた。
「……夜明けまでに戻らなかったら、迷わずに正面から乗り込む。いいな」
「はい」
「ガイ。こいつを頼んだ」
「……へい」
マルタと同じ言い方だった。ガイが、少しだけ口の端を上げた。
◇
大聖堂の裏手。丘の斜面を下ったところに、古い下水の排水口がある。
錆びた鉄格子の、右から三本目。そこだけが、根元から腐っている。ゲームでは、「怪力」持ちのキャラを編成に入れていると、ここで「曲げる」という選択肢が出た。
「ガイさん。これ、曲げられますか」
「……何で知ってんだよ、こんなところ」
「夢で」
「便利だな、その夢」
ガイは文句を言いながら、鉄の棒を片手でつかんだ。みしり、と嫌な音がして、人一人がやっと通れる隙間が開いた。
◇
回廊は、記憶のとおりだった。
湿った石の通路。壁に等間隔で空いた小さな燭台の穴。右、右、左。行き止まりに見える壁の、下から二段目の石を押すと、重い音を立てて壁が回る。
「……お前、本当に何者だ」
「ルカと同じこと言わないでください」
回り扉の先は、聖堂の奥の院に通じる階段だった。
階段を上りきったところに、小さな扉が一つ。そっと開けると、白い帳の下りた寝台があった。
セラが、眠っていた。
白い頬。こけた肩。枕に広がった白い髪の中に――一房だけ、灰色が混じっていた。
原作で、儀の後にセラの髪は灰色になる。その始まりが、もうここにある。
「……セラ」
寝台の脇に膝をつき、小声で呼ぶ。
白いまつ毛が、わずかに震えた。唇が、少しだけ動く。
「…………遅い」
目は開かなかった。それでも、その口元は、ほんの少しだけ緩んでいた。
「……すみません。もう少しだけ、待っててください」
俺は、布団の上に出ていた細い手を、そっと布団の中に戻した。氷のように冷たかった。
◇
奥の院からさらに下へ。
回廊の最深部に、「儀の間」はあった。
円形の大きな広間だった。床一面に、細かい刻印が何重にも円を描いている。その中心に、聖女が祈るための白い祈祷台。
そして――祈祷台の真下に、黒い石の柱が一本、床を突き破るように立っていた。
「……これ、なんだ」
ガイが、息を潜めて呟いた。
俺にも、分からなかった。
ゲームの儀の間には、こんな柱はなかった。画面の中の儀の間は、もっと明るくて、祈祷台の周りに花が飾られていた。
――ゲームには、描かれていなかっただけだ。
黒い柱に、そっと手を当てる。
冷たい。それなのに、奥の方で、何かがゆっくりと脈打っている。
どくん。……どくん。
心臓の音だった。
柱の表面には、古い文字が刻まれていた。王国語よりもずっと古い、灰の王の伝承に出てくる文字だ。ゲームの設定資料集で、一度だけ見たことがある。
『聖なる灯を、灰に捧げよ』
背筋が、凍りついた。
聖女の儀は、灰の疫病を祓う儀式じゃない。
灰の王に、聖女の命を食わせる儀式だ。
「――そこで何をしておる!」
背後から、怒鳴り声が飛んだ。
振り返ると、広間の入り口に、白い鎧の騎士が六人。教会騎士団だ。槍の穂先が、燭台の火を受けて光った。
「トーマ、下がれ」
ガイが大剣を抜いた。けれど、六人。しかも、狭い入り口を塞がれている。
――まずい。
その時だった。
騎士たちの背後の闇から、銀色の光が一閃した。
一人、二人、三人。騎士たちが、声もなく床に崩れていく。残りの三人が振り返るより早く、その光は空中で弧を描いて、槍の柄をまとめて叩き折った。
見覚えのある剣筋だった。
尾根道で、写し身で写し取った、あの剣。
最後の騎士が倒れた後、闇の中から、一人の男が進み出た。
粗末な旅人の外套。けれど、その顔には、美しい銀の仮面。
「……また会ったな」
仮面の奥の声が、少しだけ笑っていた。
「――お前は、何者だ」




