第26話 聖女との再会
審問を明日に控えた夜。
部屋の窓を、小石が叩いた。
こつん。こつん。少し間を置いて、こつん。
窓を開けて見下ろすと、庭の白い花の中に、黒い外套を頭からかぶった小柄な人影が立っていた。
フードの奥から、灰色の瞳がこちらを見上げている。
「……遅い」
今度は、声が聞こえた。
◇
「どうやってここが分かったんですか」
裏口からそっと招き入れた部屋で、俺は小声で聞いた。
セラは外套のフードを下ろし、当然のように俺の寝台に腰を下ろした。
「行列から、あなたたちが白髪の騎士と一緒にいるのが見えた。白髪の騎士で、砦から来た人。侍女に聞けば一日で分かる」
「……押し掛けてきたんですね」
「あなたが来ないからでしょう」
セラは、つんと顔を背けた。
「砦で、もう祈らなくていいって言った。それから三か月。手紙を書いたのに、返事は一通だけ。しかも、元気です、だけ。……ほんとうに、つまらない人」
「すみません」
「謝れば済むと思ってるでしょう」
「……思ってません」
「嘘」
――そうだった。この子の前では、嘘はつけない。
◇
セラは、外套の裾を握りしめて、しばらく黙っていた。
やがて、ポツリと言った。
「……あの後も、祈ったの」
「……」
「グレゴールが、祈れって言うから。祈らないと、孤児院の子たちへの配給を減らすって言うから。……祈るたびに、体の奥から何かが、少しずつなくなっていくのが分かる」
セラは、俺をまっすぐに見た。
「あなたは、それが何なのか知っている。……そうでしょう」
逃げ場はなかった。そして、逃げたくなかった。
「……聖女の祈りは、祈る人の命を削ります」
セラの肩が、ぴくりと震えた。
「そして、二か月後の『聖女の儀』。あれは、祈りを何十倍にも増やす儀式です。……あなたは、あの儀式で衰弱して、一年後に死にます」
言ってしまった。
けれど、全部ではない。ここがゲームの世界だということも、俺が二万時間、画面の向こうでこの子の死を何度も見送ったことも、言えなかった。
セラは、しばらく何も言わなかった。
それから、小さく息を吐いた。
「……今のは、本当。でも、全部じゃない」
「……はい」
「いいわ。全部は、また今度で」
セラは、自分の膝の上で両手をぎゅっと組んだ。祈りの形だった。けれど、それは神に向けた祈りではないように見えた。
「……なら、助けて」
灰色の瞳が、少しだけ潤んでいた。
「私、死にたくない。……そう思っていいんだって、あなたに会って初めて思えたの。だから、助けて」
「……助けます」
答えるのに、迷いはなかった。
「必ず。あなたの名前も、あの帳面から消します」
セラは、俺の顔をじっと見ていた。
そして、ふっと口元を緩めた。
「……今のも、本当。じゃあ、信じてあげる」
◇
その時だった。
扉が、叩かれもせずに開いた。
「トーマ、まだ起きているなら、審問の打ち合わせを――」
燭台を手にしたリーゼが、そこで固まった。
夜更け。俺の部屋。俺の寝台に腰かけた、白い髪の少女。
部屋の温度が、三度くらい下がった気がした。
「……トーマ」
「はい」
「これは、どういうことだ」
「これは、その、聖女様が――」
「――あなたが、女騎士様ね」
俺の言い訳を遮って、セラがゆっくりと立ち上がった。
「手紙に、あなたのことも書いてあったわ。……毎朝稽古をつけてくれる上官がいる、って。たった一行だけ。それ以外は、天気とご飯の話だったのに」
「……一行だけ、か」
リーゼが、なぜか少しだけ胸を張った。
「リーゼ・アーベントだ。黒狼砦の副司令を務めている。……聖女様が、こんな夜更けに、部下の部屋で何を」
「助けて、って頼みに来たの。この人に」
「……助けて、だと」
「そう。そしたら、助けるって言ってくれた」
セラは、俺とリーゼの間を、すたすたと横切って扉に向かった。すれ違いざま、リーゼの顔を下から覗き込む。
「……あなた、今、ちょっと嫌な気持ちになったでしょう」
「なっ? なっていない!」
「嘘」
セラは、初めて年相応の少女のように、くすりと笑った。
それから、扉の前で振り返った。笑顔は、もう消えていた。
「それと、トーマ。……この屋敷の、あの白髪のおじいさん」
「ローデン卿ですか」
「門のところで、一度だけ声を聞いた。……悲しい声。ずっと、何かを抱えたままの声だった」
「……」
俺は、廊下の肖像画を思い出していた。白い花を抱いた、金色の髪の少女。
「……そうですね。あの人には、二十年も三十年も抱えているものがあるんだと思います」
セラは、少しだけ首を傾げた。何かを言いたそうに唇を開きかけて――やがて、閉じた。
「……そう。なら、いいけど」
黒い外套の背中が、夜の庭に消えていった。
◇
扉が閉まった後。
しばらく、俺とリーゼは黙って立ち尽くしていた。
「……リーゼさん。審問の打ち合わせ、でしたよね」
「……ああ」
「やりましょうか」
「……明日の朝でいい」
リーゼは、燭台を持ったまま踵を返した。そして、扉のところで、背中を向けたまま言った。
「……嘘だからな」
「はい?」
「嫌な気持ちになど、なっていない。…………少ししか」
扉が、いつもより少しだけ強く閉まった。
俺は、寝台に倒れ込んで天井を見上げた。
セラが最後に飲み込んだ言葉が何だったのか。その時の俺は、考えもしなかった。




