第25話 王都
丘を一つ越えた瞬間、世界が開けた。
白い。
最初に思ったのは、それだった。
平野の真ん中を大河が蛇行し、その両岸に、白い石の街がどこまでも広がっている。幾重もの城壁。無数の尖塔。そして中央の小高い丘の上に、陽の光を受けて輝く巨大な建物が二つ。王城と、聖燈教会の大聖堂だ。
王都リオネール。
アシュレクの第二章のタイトル画面に、毎回映っていた景色だ。
「……おい、トーマ。泣いてんのか」
「泣いてません」
「鼻水出てるぞ」
「出てません」
ガイの軽口に言い返しながら、俺は袖で目元をこすった。
二万時間。画面越しに何千回と見た景色が、今、本物の風の匂いと一緒にそこにある。それが、どうしようもなく胸に来た。
――ここで、セラは死ぬ運命を背負う。
――ここに、たぶん「S」がいる。
分かっていても、綺麗だと思ってしまうのだから、どうしようもない。
◇
王都の大門をくぐると、大通りは人で埋め尽くされていた。
「なんだ、祭りか?」
「聖女様の行列だよ! 大聖堂へお戻りになるんだ!」
道端の果物売りが、興奮した声で教えてくれた。
大通りの向こうから、鈴の音が近づいてくる。白い法衣の司祭たちが列をなし、その中央に、白い輿が担がれていた。輿の上には、薄い紗の帳。その奥に、小さな人影が座っている。
人々が次々と膝をつき、祈りの言葉を口にした。
「聖女様……!」
「どうか、灰の病を……!」
輿の脇を、太った司祭が歩いていた。グレゴール司教補だ。砦に慰問に来た時と同じ、脂ぎった笑顔を群衆に振りまいている。
輿が、俺たちのすぐ前を通り過ぎようとした、その時。
帳の奥の人影が、ふと、こちらを向いた。
風が吹いて、紗が揺れる。
白い髪。透きとおるような肌。少し痩せた頬。
そして――まっすぐに俺を見つめる、灰色の瞳。
セラの唇が、小さく動いた。
声は聞こえなかった。けれど、何と言ったのかは分かった。
『――遅い』
輿は、そのまま大聖堂へと続く坂を上っていった。
「……トーマ」
隣で、リーゼの声がした。いつもより、半音低い。
「今、聖女様と目が合っていなかったか」
「……気のせいだと思います」
「そうか。私の気のせいか。お前の顔が赤いのも、気のせいか」
「それは日差しのせいです」
「……ふん」
ガイが、空を見上げて口笛を吹いた。下手くそな口笛だった。
◇
ローデン卿の屋敷は、王城に近い古い貴族街の一角にあった。
石造りの、質素だが手入れの行き届いた館だ。門をくぐると、庭に白い花が一面に咲いていた。
「さあ、遠慮はいらん。部屋はいくらでも余っておる。……わし一人には、広すぎる家でな」
老騎士は、そう言って笑った。
「リーゼ嬢も、ここに泊まるとよい。アーベント家に戻るのは、心の準備ができてからでよかろう」
「……感謝します、卿」
リーゼは、深く頭を下げた。父親の屋敷に帰らないで済むことに、ほっとしているのが分かった。
通された部屋は、俺には広すぎるほどだった。寝台に、窓に、本棚まである。砦の兵舎の二段寝台と比べたら、宮殿だ。
廊下の突き当たりに、一枚の肖像画が掛かっていた。
十歳くらいの、金色の髪の少女。白い花を一輪、両手で胸に抱いて、はにかんだように笑っている。
「……孫娘さんですか」
通りがかった年配の使用人に聞くと、彼は少しだけ悲しそうな顔をした。
「旦那様の、お嬢様でございます。……もう、三十年も前に」
それ以上は、言わなかった。
俺は、肖像画の少女をもう一度見上げた。庭に一面に咲いていた白い花と、同じ花を抱いていた。
『わしにもな、変えたい過去がある』
焚き火の前で聞いた老騎士の声が、耳の奥で蘇った。
◇
その夜、ローデン卿が監察院からの知らせを持ってきた。
「審問は五日後だ。監察院の大広間で、宰相閣下も臨席される」
「宰相、閣下が」
リーゼの顔が、引き締まった。
「ヴィクトルの件は、ダンケル家と宰相派の問題でもある。向こうも黙ってはおらんだろう。……だが案ずるな。わしも証人として立つ。あの夜、砦で何が起きたかは、わしがこの目で見ておる」
老騎士は、俺とリーゼの肩に、片手ずつ手を置いた。
「お前たちは、真実を話せばよい。あとは、わしに任せておけ」
その手は、大きくて、温かかった。
◇
夜更け。
与えられた部屋の窓から、王都の夜景を眺めた。無数の灯りが、星のように瞬いている。
丘の上の大聖堂だけが、ひときわ白く光っていた。
――『遅い』
セラの唇の動きを思い出す。
砦で約束した。「もう祈らなくていい」と。あれから三か月あまり。聖女の儀まで、もう二か月あまりしかない。
懐の帳面を開いた。
『聖女セラ――聖女の儀で衰弱。一年後に死亡』
その行を指でなぞってから、帳面を閉じた。
第一章、黒狼砦の夜は、終わった。
――第1章 砦の夜 完――
これにて第一章は終わりです!
希望あれば、二章以降も続けようと思います!




