第21話 旅立ち
出発の朝は、よく晴れていた。
黒狼砦の正門の前には、旅支度を終えた馬が三頭。リーゼの栗毛と、俺に貸し出された年寄りの葦毛と、もう一頭。
「……で、なんでガイさんまで」
「隊長命令だ」
ガイは、いつもどおりの仏頂面で鞍の具合を確かめていた。
「あんた一人を王都にやったら、三日で迷子になって、五日で揉め事を起こして、十日で誰かに刺される。……ってのが、隊長の見立てだ」
「ひどくないですか」
「おれもそう思う。三日はかからねえ」
◇
見送りには、第七の全員が来ていた。
「トーマぁ……」
ピートが、鼻水を垂らしながら俺の袖をつかんで離さない。
「王都の飯、うまいって聞くけどさぁ、食いすぎんなよぉ……それと、帰ってくるよなぁ? ちゃんと帰ってくるよなぁ?」
「帰ってくるよ。一月かそこらだ」
「約束だぞぉ……」
その後ろで、オルグが黙って干し肉の包みを押しつけてきた。ドーラ婆さんからは、厨房の残り物で焼いた堅パンが一袋。重い。たぶん石が入っている。
最後に、マルタが前に出た。
「トーマ」
「はい」
「生きて帰ってきな。……あんたは、あたしの名前を消す約束があるんだからね」
「……はい」
マルタは、拳で俺の胸を軽く叩いた。それから、ガイに目をやった。
「ガイ。こいつを頼んだよ」
「……へい」
二人の間で交わされたのは、それだけだった。それだけで、十分だったのだと思う。
◇
砦を出て半日。街道の分かれ道で、騎馬の一団が俺たちを待っていた。
先頭にいたのは、白髪の老騎士――ローデン卿だ。
「おお、来たか来たか」
深い皺の刻まれた顔が、孫を迎える祖父のようにほころんだ。
「王都までは長い。峠には賊も出る。わしの手の者を十騎つけよう。わしもちょうど、王都に戻るところでな」
「ローデン卿、しかしそれでは、駐屯地が――」
「なに、留守は副官に任せてある。それに、リーゼ嬢」
老騎士は、少しだけ目を細めた。
「わしは、お前の母上を知っておった。お前の母上が嫁いでくる前、わしはあの方の護衛騎士でな。……その娘が、ようやく王都に胸を張って戻るのだ。見届けさせてはくれんか」
リーゼが、小さく息を呑んだのが分かった。
「……母を、ご存じだったのですか」
「よう笑う方だった。お前は、母上によう似ておる。……笑うと、な」
リーゼは何も言わなかった。けれど、手綱を握る指に、少しだけ力が入っていた。
◇
その夜、野営の火の前で。
「――お前が、トーマか」
ローデン卿が、湯気の立つ杯を二つ持って、俺の隣に腰を下ろした。
「あの夜、正門の裏切りを読んでいたのは、お前だと聞いた」
「……読んだ、というほどのものでは。夢で見た、というか」
「夢、か」
老騎士は、面白そうに笑った。
「わしの若い頃にも、おったよ。先のことを夢に見るという男がな。そういう男は、たいてい戦場で長生きした。……その帳面も、夢の覚え書きか」
俺の胸元に、皺だらけの指が向けられていた。いつの間にか、懐から帳面の角がはみ出していた。
「あ……はい。ただの、落書きです」
「ほう。いつか、わしにも見せてくれ。年寄りは、若い者の夢の話が好きでな」
ローデン卿は、杯の中身を一息に飲み干すと、よっこらせと立ち上がった。
「よい夜だ。……よい旅になるとよいな、トーマ」
焚き火の向こうで、老騎士の背中が闇に溶けていった。
俺は、その背中を見送りながら思った。
アシュレクのゲームに、ローデンという名前の騎士は、出てこなかった。
……出てこなかった、ということは。
この人は、たぶん、ゲームの外で死ぬはずだった人なのだ。名前もつかないまま、どこかの戦場で。
だとしたら、俺が変えた未来の中で、この人も生き延びたのかもしれない。
そう思うと、少しだけ、胸が温かくなった。




