第20話 断罪
夜が明けた。
黒狼砦の中庭には、縛られた男たちが並べられていた。格子の内側に取り残された帝国兵が四十二人。ダンケル家の私兵が十八人。
そして、その先頭に――泥の中に跪かされた、二人の貴族。
ヴィクトル・ダンケルと、ベルント。
たった一か月前、この中庭で第七を泥の中に跪かせた男が、今は同じ泥の中にいる。金髪は乱れ、鼻はガイの拳で曲がり、香水の匂いはもうしなかった。
台の上に立つのは、リーゼだ。その隣には、駐屯地から騎兵を率いてきた白髪の老騎士、ローデン卿が、立会人として並んでいる。
「――これより、昨夜の件について尋問を行う」
リーゼの声が、朝の中庭に響いた。
「尋問?」
ヴィクトルが、血のこびりついた口で笑った。その笑顔は、もう崩れかけていた。
「砦司令の私を、副司令の小娘が尋問だと? 笑わせるな。昨夜は、私は――そう、敵の奇襲を受けて、王都へ救援を求めに行こうとしていただけだ」
「金貨の箱を三つも荷馬に積んで、か。ずいぶんと重たい救援要請だな」
リーゼの一言で、中庭を囲む平民兵たちの間から、押し殺した笑いが漏れた。
「それに、正門を内側から開けたのは、ダンケル家の紋章をつけた私兵だった。それを見た兵は、百人を超える」
「ち、違う! それは私の知らぬことだ! 私兵どもが勝手に――」
「――全部、ダンケル様の命令です!」
叫んだのは、隣で跪いていたベルントだった。
「な……ベルント、きさま……!」
「新月の夜に正門を開け、帝国に砦を引き渡す。引き換えに、帝国からは金を、王都からは地位をもらう。第七歩兵隊は東壁でまとめて始末し、アーベント副司令は――『戦死したことにすればいい』と……全部、全部ダンケル様が! 私は従っただけです!」
中庭が、しんと静まり返った。
「アーベント副司令は戦死したことに。」
その一言を聞いた瞬間、俺の中で何かが、音を立てて切れそうになった。それを、隣に立っていたガイが、黙って肩をつかんで止めた。
「裏切り者がっ……! この……この美しくない屑めがっ!」
ヴィクトルが、縛られたままベルントに飛びかかろうとして、泥の中に顔から転んだ。
……あの崩れない笑顔は、もうどこにもなかった。
◇
ヴィクトルの私物の中からは、一通の手紙が見つかった。
宛先は「ヴィクトル・ダンケル殿」。差出人は、ただ一文字。
『S』
封蠟は、天秤と剣。宰相府の紋だ。
「……トーマ」
司令室で、リーゼがその手紙を俺に差し出した。
「本文は王国語だ。砦の引き渡しの手筈が書いてある。だが――最後の一行だけが、読めない」
俺は、その一行を見た。
『黒狼砦は、シナリオどおり陥落させること。例の新兵は、必ず処分せよ』
日本語だった。
あの壁の文字と同じ筆跡。「壊」の字はないが、「陥」の字の画数が、やはり少しだけ略されている。
「……古代文字……みたいですね。俺の帳面のと、似てます」
俺は、そう答えるのがやっとだった。
リーゼは、しばらく俺の顔を見ていた。そして、何も言わずに手紙をしまった。
「……そうか。……お前が話せるようになったら、聞かせてくれ」
その一言が、どんな問い詰めよりも、胸に刺さった。
◇
その日の午後。
鉄の枷をはめられたヴィクトルが、王都へ向かう護送車に押し込まれていた。王都の監察院で、裁きを受けることになる。
車に乗る直前、ヴィクトルが、俺を振り返った。
鼻は曲がったままだった。それでも、その男は、久しぶりにあの笑顔を作ってみせた。
「……覚えておきたまえよ、平民」
「……」
「あの方は、もうお前の名前を知っている。……あの方の『物語』に、お前の居場所はないよ」
護送車の扉が、重い音を立てて閉まった。
◇
「……なあ、トーマ」
夕方。兵舎の裏で槍を磨いていると、マルタが隣に腰を下ろした。
「昨夜。ベルントが後ろから来るって、なんで分かったんだい」
「……夢で」
「そうかい」
マルタは、それ以上は聞かなかった。ただ、夕焼けの空を見上げて、何でもないように言った。
「……あの日記に書いてある私の名前。あれ、消しといてくれるかい」
俺は、槍を磨く手を止めた。
「……ないって、言ったじゃないですか」
「下手な嘘だって、言ったじゃないかい」
……。
「……まだ、消せません」
俺は、本当のことを言った。
「でも、必ず消します」
マルタは、一瞬だけ目を丸くして、それから声を上げて笑った。
「……そうかい。そうかい。……なら、私もそれまでは、なんとしてでも生きてなきゃならないね」
こつん、と、頭を一つ叩かれた。
◇
王都からの早馬が砦に駆け込んできたのは、三日後だった。
「王命である! 黒狼砦副司令リーゼ・アーベント、及び第七歩兵隊、トーマ! 両名は一月以内に王都へ出頭し、監察院にて証言すべし!」
中庭にいた全員が、俺を見た。
王都。
アシュレクの第二章の舞台だ。宰相がいて、聖燈教会の大聖堂があり、そして――半年後に「聖女の儀」が行われる場所。
そしてたぶん、「S」がいる場所。
◇
その夜明け。
東壁の稽古の後で、リーゼは朝日を見ながら言った。
「王都には、父がいる。縁談の話も、自分の口できちんと終わらせてくるつもりだ」
「……はい」
「だから――お前も、ついて来い」
「……部下として、ですよね」
リーゼは、しばらく黙っていた。
それから、頬の細い傷を朝日に光らせて、小さく笑った。
「……今は、それでいい」




