第18話 酔いどれの密告
第18話 酔いどれの密告
「……落ち着いて、最初から話せ。ピート」
俺は、震えるピートを寝台に座らせた。ガイが水を汲んできて、その手に握らせる。
ピートは一気に水を飲み干して、ようやく話し始めた。
「……俺、麦畑のエルザに会いに、砦の外の酒場に行ってたんすよ。あそこ、エルザの叔父さんの店なんで」
「そこはどうでもいい」
「どうでもよくないっすよ! ……いや、今はいいんすけど。……そしたら、奥の個室にベルントがいたんす。一人で、もうべろんべろんで」
ピートは、苦いものを飲み込むような顔をした。
「で、店の娘に絡んでたんす。『新月の夜を過ぎたら、俺は王都の大貴族様だ。今のうちに愛想よくしとけ』って。……俺、なんか嫌な予感がして、そのまま隣の席の机の下に潜ったんす」
「……よくやった」
「へへ。……そしたら、あいつ、娘に自慢し始めたんすよ」
ピートは、記憶をたどるようにゆっくりと言った。
「『新月の夜、正門の当直は全部ダンケル家の私兵だ。扉は内側から開く。帝国の連中が入ってきたら、俺たちは裏門から抜けるだけだ』」
兵舎の空気が、凍りついた。
「『邪魔な第七は、東壁に配置しておく。逃げ場のない東壁で、まとめて死んでもらう。あの占い師も、親切な女騎士もな』……」
ガイの拳が、寝台の柱を殴った。古い木が、みしりと悲鳴を上げる。
「それと……『王都からの文には、シナリオどおりに砦を落とせ、だとよ。シナリオってなんだよ、笑える。宰相府のお偉いさんは、劇場でもやってるつもりか』って。……トーマさん。シナリオって、なんすか」
俺は、答えられなかった。
分かっているのは、一つだけだ。
「黒狼砦の陥落」。俺が一度壊したプロローグを、誰かが、後からやり直そうとしている。
あの壁に日本語を書いた、「S」が。
◇
「新月は、三日後だ」
武器庫の奥。ランプ一つの灯りの中に、六人が集まっていた。リーゼ、マルタ、ガイ、ピート、オルグさん、そして俺。
リーゼの声は、押し殺したように低かった。
「問題は、証拠がないことだ。酔っ払いの戯言と、影も形もない『S』。それだけで砦司令を告発すれば、反逆で裁かれるのは、私たちの方だ」
「地図の封蠟は?」
「宰相府の紋だ。ヴィクトル個人のものじゃない。あの男は、『知らない』と言えばそれで済む」
つまり――現行犯で押さえるしかない。
正門が開き、帝国兵が入ってきて、ヴィクトルが裏門から逃げようとする。その瞬間を。
「……正門の上には、落とし格子がありますよね」
俺は、砦の見取り図を指でなぞった。
ゲームの中で、正門の上の落とし格子は「調べる」とこう表示された。『巨大な落とし格子。留め金を外せば一瞬で落ちるようだ』。ただそれだけの、背景の説明文。
でも、ここは現実だ。背景も、使える。
「帝国の先頭を中に入れたところで、格子を落とします。外の本隊と、中の先頭を切り離す。留め金は重いですが……」
「俺がやる」
ガイが、即答した。
「裏門には、私とオルグだね」とマルタが言った。「逃げようとする司令様を、丁重にお出迎えしてやろうじゃないか」
「私は今夜のうちに、近くの駐屯地に使いを出す。副司令の名でな。新月の夜、後詰めとして砦の外に伏せておくように」とリーゼ。
「俺は……その……平民兵の仲間に、こっそり声をかけて回るっす」とピート。「噂を広めるのは、得意なんで」
それは、痛いほど知っている。
全員の視線が、最後に俺に集まった。
「……俺は、東壁に行きます。元々そこに配置されるはずですし。東壁からなら、正門の外の敵の動きが全部見えます。合図は、俺が出します」
そう言いながら、俺は気づいていた。
これは、ゲームの絵をなぞる作戦じゃない。アシュレクには、「新月の夜」なんてイベントはない。敵が何人来るのかも、誰が率いているのかも、俺は知らない。
「……敵の数は、分かるか」
リーゼが、まるで俺の心を読んだように聞いた。
「……分かりません。今回は、夢を見ていないんです」
武器庫が静まり返った。
それを破ったのは、リーゼの、少しだけ緩んだ声だった。
「そうか。……なら、私たちが知っていることだけで戦うしかないな。普通の兵士は、いつもそうしている」
――ああ、そうか。
未来を知らないまま戦う。この世界の人たちは、みんなずっとそうしてきたのだ。
◇
会議が終わり、みんながそれぞれの持ち場へ散っていった後。
武器庫を出ようとした俺の袖を、リーゼがつまんだ。
「……昼間は、悪かった」
「……え?」
「手紙のことだ。……第一、私には関係がないのだから、あんな言い方をする必要もなかった」
「いえ、あの、セラ様とは、そういうのじゃなくて……」
「……『そういうの』とは、どういうのだ」
紫の瞳が、真剣に俺を見つめていた。
……この質問には、夢でも答えられない。
俺が口をぱくぱくさせていると、リーゼは小さく吹き出し、それから袖を離した。
「……新月の夜、お前は東壁、私は正門だ。……死ぬなよ」
「……あなたもですよ、リーゼ様」
◇
新月の前日。
夕方の廊下で、俺は金糸の後れ毛とすれ違った。
ベルントは、何も知らない。自分が酒場で何を喋ったのかも、たぶん覚えていない。
だから、いつものように、口の端だけで笑った。
「明日の夜、第七は東壁の夜番だそうだ。……居眠りするなよ、占い師」
俺も、笑って答えた。
「……しませんよ。二度と」




