第11話 灰の中の告白
俺は、壁の文字を帳面に写し取った。
一字ずつ、筆跡の癖まで。「壊す」の「壊」の字だけ、少し画数が略されている。書き慣れた人間の字だ。
それから、外套の袖で、壁の炭をごしごしと擦り消した。
「……なぜ消す」
振り向くと、リーゼが立っていた。籠手が煤で黒く汚れている。彼女も今まで、焦げた柱の下から村人を引きずり出していたのだ。
「……読めない文字が残っていると、村の人たちが怖がるので」
リーゼは何も言わなかった。嘘だと分かっている顔だった。でも、それ以上は追及しないで、狩り小屋の方へ戻っていった。
◇
リンデ村で死んだのは、十七人だった。
マルタの帳簿を、俺は結局見てしまった。見ないという選択肢は、俺にはない気がした。
十七人。補給隊の四十人よりは少ない。そうやって数を比べようとした自分に、吐き気がした。
狩り小屋の前で、七つくらいの女の子が、大人用の帽子を抱えて座っていた。つばの焦げた、男物の帽子だ。
俺が通りかかると、女の子は顔を上げた。
「……兵隊さん。どうして、もっと早く来てくれなかったの」
責める声じゃなかった。ただ、不思議そうに聞いていた。
俺は、答えられなかった。
だって俺は、早く来るどころか――この村に騎兵を向かわせた当人なのだから。
◇
その夜、第七は村の外れで野営をした。
俺は一人、少し離れたところで焚き火を起こしていた。ガイは何度か俺を呼びに来たが、俺の顔を見て、黙って毛布を一枚置いていった。あいつはそういう奴だ。
火が小さくなった頃、足音がした。
「……隣、いいか」
リーゼだった。甲冑を外し、簡素な上着に外套を羽織っただけの姿だ。赤い髪が、火の色を映している。
俺が頷くと、彼女は丸太に腰を下ろした。しばらく、どちらも何も言わなかった。
先に口を開いたのは、俺だった。
「……俺のせいです」
「何がだ」
「鴉の谷の騎兵は、補給隊を待ち伏せていました。獲物を逃して、手ぶらで帰る途中に、この村を……。俺が尾根道を進言しなければ、この村は――」
「無事だったかもしれない。その代わりに、補給隊の四十人が谷で死んでいた。そして騎兵は、麦を積んだ帰り道で、やはりどこかの村を焼いていたかもしれない」
リーゼは火を見つめたまま言った。
「村を焼いたのは帝国の騎兵だ。お前じゃない。……と言っても、お前は納得しないだろうが」
そのとおりだった。
「……初めて小隊を持たされたとき、私は上官の命令どおりに兵を動かした」
リーゼの声が、少しだけ低くなった。
「その命令が間違っていると分かっていたのに、だ。三人死んだ。全員、平民の歩兵だった。……私は今でも、その三人の名前を全部言える」
知っている。
それは、ゲームの第二章で語られる、リーゼの過去だ。俺はその三人の名前も、知っている。
でも、画面の中で読んだときと、隣で本人の口から聞くのとでは、まるで重さが違った。
「だから、一つだけ言っておく。お前が数えるべきなのは、自分のせいで死んだ数じゃない。救った数でもない」
リーゼは、ようやく俺を見た。
「これから救う数だ」
焚き火が、ぱちりと鳴った。
それから、ふいに、肩に重みがかかった。
リーゼが、自分の外套を半分、俺の肩に掛けていた。当然、そうするには距離を詰めるしかない。肩と肩が、触れている。
「……あの、リーゼ様」
「震えていた。寒いなら、もう少し寄れ。……命令だ」
震えていたのは、寒さのせいじゃなかった。
でも、俺は何も言わずに、命令に従った。
二万時間、画面越しに見ていた横顔が、肩の触れる距離にある。その横顔は、俺が知っているどの一枚絵よりも疲れていて、どの一枚絵よりも優しかった。
「……トーマ。お前が何を隠していても、構わない」
火を見たまま、リーゼは言った。
「だが、一人で背負うな。私は、お前の上官だ」
――一年後。
灰の峡谷で、この人は部下をかばって死ぬ。一人で全部を背負って、笑いながら。
その人に「一人で背負うな」と言われて、俺は何と答えればいいのか分からなかった。
だから代わりに、心の中でだけ決めた。
――この人にも、一人では背負わせない。
◇
翌朝。
野営地に、砦からの伝令が駆け込んできた。
「アーベント副司令に報告! 王都より、新しい砦司令が着任されました! ただちに帰還せよとのことです!」
「新しい砦司令? 今の司令はどうした」
「高齢を理由に、退任が決まったと……。後任は、ダンケル伯爵家のヴィクトル様です」
その名前を聞いた瞬間、リーゼの顔から、すっと表情が消えた。
「……よりによって、あの男か」
そして俺の頭の奥でも、何かが、嫌な音を立てて引っかかっていた。
ダンケル。
どこかで、聞いたことのある名前だった。




