↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
105/105

最終話 兵士C

一年後。「灯の日」。

黒狼砦の中庭は、砦ができて以来初めてというほど、人であふれ返っていた。

第七中隊の連中は、全員が一張羅の軍服を着込み、しかし朝からそわそわと落ち着かない。バルド将軍は、「わしの娘の式より緊張するのう」と酒樽を抱えて笑っている。ドーラ婆さんは、新しく取った弟子に花飾りの彫り方を教えている。

王都からは、伯爵と、セラと、リタと、ミアたち小さな聖女。監察官エーリヒまで、なぜか花束を持って来ていた。

帝国からは、皇太子ルカと、近衛騎士団長ヘルマン。皇帝からは、『兵士Cの婚礼に、余の花壇の花を』という手紙を添えて、車いっぱいの花が届けられた。

そして――灰の峡谷からは、二つ結びの赤いリボンの少女が、一通の手紙を持って来た。

「トーマさん。シオンさまからです」

宛名は、日本語だった。

『冬馬くんへ。

結婚、おめでとう。峡谷からは出られないけど、今夜、灯の日の火は、ちゃんとここで灯すから。

――湊も、きっと喜んでる。『結婚エンドなんて、公式にはなかったよ、姉ちゃん』って。

こんな幸せなエンディングは、三万二千時間遊んでも、一度も見られなかったよ。

シオン』

俺は、その手紙をそっとたたんで、胸の内ポケットにしまった。

「……リナちゃん、シオンさんに、ありがとうって伝えてくれるかな」

「うん! ――兄ちゃんも、『仕方ないから伝えてやる』って言ってた!」

少し離れたところで、ノエルが「言ってねえよ」とそっぽを向いた。

◇

式は、砦の中庭で、東壁を背にして行われた。

俺は、一張羅の騎士の礼服を着て、祈祷台の前に立っていた。祈祷台の向こうでは、白い髪の聖女が、微笑んでいる。

「……緊張してますね、トーマさん。声でわかります」

「まだ何も喋ってませんよ」

「心臓の音が、ここまで聞こえます」

セラがくすくすと笑った。

その時、中庭が、しんと静まり返った。

振り向く。

後ろの回廊から、伯爵に手を引かれて、一人の花嫁が歩いてくる。

白い婚礼服。その上を流れる、燃えるような赤い髪。式のために、帝都の花壇の花が、そこに編み込まれている。

俺は、息をするのを忘れた。

二万時間。どのスチルにも、こんな彼女はいなかった。

「…………何だ、その顔は」

祈祷台の前まで来たリーゼが、小声で俺を睨んだ。その頬は、髪と同じくらい赤かった。

「……すみません。綺麗すぎて」

「――っ」

第七の席から、口笛と歓声が上がった。マルタさんが「静かにしな!」と怒鳴り、その声が一番大きかった。

◇

セラが、祈りの言葉を読み上げた。

それは、古い教会の文句ではなかった。セラが、この日のために自分で書いた言葉だ。

「――祈りは、捧げるものではなく、灯すもの。二人の灯した火が、この先もずっと、隣にある人を温め続けますように」

そして――誓いの言葉。

「……リーゼさん」

俺は、彼女の手を取った。

「俺は、物語の結末を知っていました。でも、あなたと歩くこれからの道は、何も知りません。――だから、一日ずつ、隣で確かめさせてください。一生、居眠りせずに」

「……最後の一言は要らんだろう」

「一番大事なところですよ」

その瞬間だった。

「――ふっ」

参列者の席の最前列から、奇妙な音がした。

「ふっ……ふふっ……はっ……」

皆が、そちらを振り向いた。

アーベント伯爵が、口元を押さえて、肩を震わせていた。

「……はっ……ははっ……ははははははっ!」

笑っていた。

あの、いつも生真面目で、二十二年間一度も笑ったことがないと言われた伯爵が。顎を上げて、目に涙を浮かべて、自分でもどうしていいかわからないという顔で。

「……『一生、居眠りせずに』、か……ふっ……エレオノーラ、聞いたか……ははっ……この男は、本当に……」

リーゼの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

「……父上が……笑った……」

中庭に、笑い声が広がった。第七も、王都の客も、帝国の使節も。ガイが大声で泣きながら笑い、マルタさんがその背中をばしばし叩いている。

セラが、祈祷台の向こうで、そっと目元を拭った。

「――それでは。誓いの口づけを」

俺は、泣いている花嫁の頬に手を添えた。

リーゼが、泣きながら、笑った。

◇

その夜。砦の中庭で、「灯の日」の火が灯された。

王国が預かる三つ子の燭台に、リーゼが、指先の小さな炎を移す。

その瞬間、帝都の皇宮でも、灰の峡谷の守り人の小屋でも、同じ火が灯ったはずだ。

中庭を埋めた人たちが、手に手に小さな蝋燭を掲げる。砦の壁の外では、近くの村の人たちが、同じように灯りを掲げている。

王国じゅうで。帝国じゅうで。

――祈りは、灯すものだった。

◇

宴が終わったあと。

俺は、一人で東壁の上に立っていた。

「……結婚式の夜に、夜番を入れる花婿がどこにいる」

背後から、呆れた声がした。

振り向くと、婚礼服の上に軍の外套を羽織ったリーゼが、湯気の立つ杯を二つ、両手に持って立っていた。

「第七の当番表に、名前が書いてあったので」

「書いたのはお前だろうが」

「……バレましたか」

リーゼは、年始のあの朝と同じように、俺の隣に並んで壁にもたれた。

「――では、私も付き合おう。これから先、何度でも」

二人で、星空を見上げた。

西の空の彼方、灰の峡谷のあたりに、小さな灯りが一つ、瞬いているような気がした。

◇

俺は、懐から、あの帳面を取り出した。

すべての名前に線の引かれた、灰まみれの帳面。

その一番最後の、白いページを開いて、俺は新しい一行を書き足した。

この帳面に、初めて書く、線を引かなくていい一行を。

『黒狼砦東壁 ―― 兵士C。と、その妻。(今日も、生きている)』

「……何を書いた」

「内緒です」

「見せろ」

「司令命令でも、だめです」

リーゼが、小さく吹き出した。

俺は帳面を閉じて、夜風の向こうを見つめた。

砦の向こうには、眠る野と森と、その向こうで穏やかに眠る、白い守り手。そして、そのもっともっと向こうで、今夜も灯りを掲げている、たくさんの人たち。

誰も知らない、結末のその先。

その一日目を、俺は今、隣にいる人と一緒に、見張っている。

――そうだ。この物語は、全滅エンドを知っている、あるモブ兵士の物語だ。

そして今はもう、誰も知らない、幸せな未来の物語だ。

東の空が、ゆっくりと白み始める。

隣で、俺の妻が、小さなあくびをした。

「……眠いなら、先に戻っていいですよ」

「馬鹿を言うな。隣だと言っただろう」

俺は笑って、背筋を伸ばした。

役目を終えた帳面を懐に、新しい朝を迎えるために。

――兵士Cは、今日も居眠りをしない。

(完)

完結しました!読んでいただいた皆さまありがとうございました。

そして、新作のお知らせです!


「俺の婚約者は俺でした」


できるかぎり毎日投稿していきますのでよろしくお願いします!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。