第103話 それぞれの道
それから半年が、飛ぶように過ぎた。
◇
王都の下町に、新しい建物ができた。
白い壁と、橙色の屋根。入り口の上には、小さな灯りの形を彫った木の看板が掛かっている。
『灯の家』
孤児たちが暮らし、怪我人や病人が手当てを受け、そして誰でも、祈らない手当てを習うことができる場所。
その中庭で、白い髪の聖女が、子どもたちに包帯の巻き方を教えていた。
「はい、そうです。きつすぎず、ゆるすぎず。巻いている間、ずっと相手の声を聞いてあげてくださいね」
「セラさま、声って、どうやって聞くの?」
「『痛い?』って、聞けばいいんですよ」
セラは笑った。その髪は、春の光の中で、一房の曇りもなく白く輝いていた。
庭の隣では、リタが大鍋でスープを煮ている。その周りを、ミアと教会の小さな聖女たちが、きゃあきゃあと走り回っていた。彼女たちはもう、だれも祈りのために命を削られない。
◇
王都の外れの、教会労役所。
「……なぜ、私が……このような……」
床を磨きながらぶつぶつ言っているのは、かつて白い鎧の騎士たちを率いていたヴィクトルだった。その隣では、かつて大聖堂で権勢を振るったグレゴールが、黙々と桶の水を替えている。
「――後ろ、まだ汚れてますよ。ヴィクトルさん」
入り口から、小さな声がした。
ミアだった。籠いっぱいのパンを抱えている。
「…………何をしに来た」
「セラさまが、労役所の皆さんにもって、って。――焦げてないやつですよ」
ミアは、一番大きなパンを、ヴィクトルの前に置いた。
ヴィクトルは、長いことそれを睨んでいた。
やがて――そっぽを向いたまま、聞こえるか聞こえないかの声で、こう言った。
「…………礼を言う」
ミアは、にこにこと笑って、次の部屋へ走っていった。
◇
国境の、とある村。
焼け跡だった場所に、新しい木の家々が並び始めていた。
その真ん中で、一人の大柄な男が、汗まみれになって柱を担いでいた。
「――ゼノンの旦那、そっちじゃねえ! その柱は井戸の横だ!」
「……すまん」
かつての帝国第一皇子は、大工の親方に怒鳴られ、素直に頭を下げていた。父帝から与えられた償い。それは、自らの手で、国境の村々を建て直すことだった。
村の入り口には、新しい木の看板が立っている。
『リンデ村』
その看板の横で、二つ結びの赤いリボンの少女が、弓を背負った兄の手を引いて、飛び跳ねていた。
「兄ちゃん、あそこ、わたしたちの家があったとこ!」
「ああ。――ちゃんと、覚えてる」
ノエルは、第七中隊の正式な弓兵になった。休みのたびに妹を連れて、この村へ通っている。峡谷からは、半日の距離だ。
そして――村の井戸の前では、黒髪の女が、小さな魔法陣を地面に描いて、井戸の水から灰の毒を抜き取っていた。
「――シオンさま!」
リナが駆け寄る。シオンは一瞬、どんな顔をしていいかわからないというように固まり――それから、小さく笑って、少女の頭を撫でた。
ノエルは、少し離れたところから、それを黙って見ていた。許しはしない。だが、妹の手を引き戻しにも行かなかった。
◇
黒狼砦。
「――槍ってのはね、腕で突くんじゃないよ!」
「腰で突くんだよ!」
裏庭に、二つの声が重なって響いていた。
一つは、砦の大隊長に昇進したのに、「机に座ってたら腰が錆びる」と言って新兵の稽古をやめないマルタさん。
もう一つは、新兵小隊の小隊長になったピートだ。
「……大きいマルタ隊長と小さいマルタ隊長が、同時に怒鳴ってる……」
新兵たちの嘆きは、年が変わっても同じだった。
砦の門の前では、ガイが、王都から来た一台の馬車を出迎えていた。
馬車から降りてきたのは、ガイと同じ茶色の髪の、小柄な少女だった。
「――兄ちゃん!」
「おう。――よく来たな、エマ」
ガイは、大きな手で妹の頭をくしゃくしゃに撫でた。
――帳面の中で自分の名前が消されていた頃から、ガイはずっと、王都にいる妹のことを気にかけていた。「生きて帰ったら、砦に呼んでやるんだ」と、焚き火の前で何度も言っていた。
「……俺も、妹に会えたぞ」
ガイは、照れたように、俺に向かって笑った。
◇
そして――その日の夕方。
司令室で、正式に黒狼砦の司令に任じられたリーゼが、書類から顔を上げた。
「――トーマ卿」
「その呼び方、やめてくださいよ。司令」
「お前こそ、その呼び方をやめろ」
リーゼは、少しだけ視線をそらした。
「……明日の朝、夜明け前。東壁だ。――帳面を持って来い」
「……はい」
俺の心臓は、峡谷の戦いの前夜よりも、ずっとうるさく鳴っていた。




