第101話 停戦条約
ひと月後。王都の王城、「青の間」。
長い卓の両側に、王国と帝国の代表が並んでいた。ただし、前回とは違うことが一つあった。
帝国の席の中央に、白い髭の老人が座っていたのだ。
皇帝その人だった。
「……余が、自らこの席に着くとはな。一年前の余に言っても、信じなかっただろう」
皇帝は、向かいに座る王国の王に、穏やかに笑いかけた。
「余もだ。――年寄りは、若い者たちに引きずられてばかりだな」
王も、笑った。
そのやり取りを、俺は伯爵の後ろで、胸に灯守の徽章をつけて聞いていた。
◇
条約の文面は、羊皮紙三枚に収まるほどの短いものだった。
一つ。王国と帝国は、今日より永久に剣を交えない。
二つ。灰の峡谷は、どちらの国のものでもない。灰の守り手の眠る地として、両国が共に守る。
三つ。飢えた民には、国を問わず、穀物を分け合う。
そして――四つ目の条文を読み上げた時、青の間に小さなどよめきが起きた。
「四つ。両国は、三つ子の燭台を一つずつ分け持ち、毎年、黄昏の日を越えたその日に、同じ火を灯す。――その日を、『灯の日』と名づける」
読み上げたのは、ルカだった。
その胸には、もう第二皇子の紋章はなかった。代わりに、双頭の鷲に王冠を重ねた、皇太子の紋章が輝いている。
帝都に戻った皇帝が、最初にしたことが、それだった。
『――この国の民に、腹いっぱいのパンを食わせると玉座の間で叫んだ者に、次の玉座を託す。』
玉座の間での叫びは、どうやら帝都じゅうに知れ渡っていたらしい。あの場にいた反乱兵の誰かが、喋ったのだろう。
ルカは、俺と目が合うと、わずかに耳を赤くした。
◇
調印のあと、王が立ち上がった。
「――黒狼砦第七中隊所属、トーマ。前へ」
「……えっ」
伯爵が、俺の背中をそっと押した。
俺は、青の間の中央に進み出て、片膝をついた。王国の貴族たちと、帝国の使節たちの視線が、一身に集まる。
「君には、すでに灯守の徽章を授けた。だが、それでは、もうとても足りぬ。――王国の騎士の位を授けたい。受けてくれるか」
青の間が、静まり返った。
俺は、少しだけ考えてから、口を開いた。
「……一つだけ、お願いをしてもいいですか」
「申してみよ」
「騎士になっても、黒狼砦にいさせてください。――砦の東壁の夜番は、俺の仕事なんです」
一瞬の沈黙のあと。
王が、声を上げて笑った。
「よかろう! ――いや、おそらくそれが、君の居るべき場所なのだろう」
王の剣が、俺の肩に、そっと触れた。
「――今この時より、汝を王国の騎士とする。その剣は、死ぬためではなく、生かすために振るえ」
拍手が、青の間を満たした。
王国の貴族も、帝国の使節も。皇帝も、ルカも。伯爵も――いつもの生真面目な顔のまま、だが誰よりも強く。
◇
その夜。王城の中庭の宴を抜け出して、リーゼは、父の前に立っていた。
俺は少し離れた回廊の柱の陰から、それを見守っていた。
「……父上。母上から、言伝があります」
伯爵の肩が、わずかに震えた。
「……峡谷で、会ったのか」
「はい。――『あの人に伝えて。もう、笑っていいのよ』と」
伯爵は、長いこと黙っていた。
それから――口元を、わずかに動かそうとした。だが、それは、笑顔と呼ぶにはあまりにもぶきっちょな、引きつった形にしかならなかった。
「……二十一年ぶりだ。どうやるのだったか、忘れてしまったようだ」
「……父上」
「練習しておく。――お前の結婚式までには、間に合わせよう」
「――っ!」
リーゼが、耳まで真っ赤になって立ち尽くした。
伯爵は、そんな娘を一瞥して――それから、まっすぐに、俺の隠れている柱のほうを見た。
「――そうだろう、トーマ卿」
……バレていた。




