4. 捜査しないといけませんか?②
一方——。
早々にヘザーグレーのテーラードジャケットと揃いのスカートに着替えたアメリアは、フットマンのサムを供に、馬車で村の外れに向かっていた。
御者頭のミスター・ホーンが操る馬車は未舗装の田舎道をゆっくりと進んでいく。
林を越えた先にあるのが、ミス・ケリーの養豚場だ。
馬車が養豚場の前で止まると、まずはフットマンのサムがミス・ケリーの家の玄関扉へと向かった——。
「それにしても、女男爵様。わざわざこんな狭い家にいらっしゃるなんて……」
家の応接間兼居間兼食堂兼キッチンでミス・ケリーは恐縮した様子でアメリアをもてなした。
ミス・ケリーは明るいブラウンの縮れ毛に、血色の良い頬をした30代半ばの女性だ。
彼女は、昨年、アメリアが進めた畜産業者の誘致に応えて近隣の別の村から移住してきたので、メラヴェリー村に来てようやく一年になる。
彼女はお湯を沸かしながら紅茶を淹れる準備をしていたが、女男爵の訪問にすっかり慌ててしまい、茶葉の計量に3回も失敗していた。
「突然ごめんなさいね、ミス・ケリー。あなたのベーコンに全てがかかっているから、私が直接お願いしないといけないと思ったのよ」
ダイニングテーブルの椅子に腰掛けたアメリアは穏やかに言った。
今朝の虚偽広告のことは、訪問してまず最初にミス・ケリーに伝えていた。
急な秋祭り開催を楽しみにしていたらしいミス・ケリーは、虚偽だと聞いてひどく驚いていた。
「本当に世の中どうしてしまったのでしょう。去年は国王陛下が戴冠されておめでたい年だったのに。今年に入ってからタイタニック号の事故が起きて、今度は女男爵様にまでこんなことが……。この前は私の子豚も盗まれてしまいましたし……」
ミス・ケリーは俯いてしまった。
そこで、アメリアは優しく声をかけた。
「子豚泥棒の件は大丈夫なのかしら?」
「ええ、お蔭様で。数か月前に旦那様と領地管理人のミスター・マクドゥーガルがこの地域の畜産農家に呼びかけて互助基金を作ってくださいましたでしょう?泥棒に壊された豚舎の修理代はそれで賄うことができました」
アメリアは微笑んだ。
アルバートは領地経営を分担し始めてから、いつも村の人々のためを考えて行動してくれている。
「良かったわ。でも、五匹の子豚代まではさすがに難しいわね?」
「ええ、残念ながら。でも、男爵家からお見舞い状もいただきましたし、旦那様とミスター・マクドゥーガルが現地視察にもいらっしゃいました。随分と励まされています。そういえば、いただいたお見舞い状はどこにしまったのかしら?」
ミス・ケリーは辺りを見回したが、結局どこにしまったのか思い出せないようだった。
「少し安心したわ。落ちこんでいるかしらと思っていたの」
「ええ、まあ……落ち込むことは落ち込みました。特に寄り添ってほしい人が寄り添ってくれないのは——あら、いやだ。女男爵様に申し上げているわけではないのですよ」
アメリアはただ微笑んで頷いた。
「ええと、それで……ああ、秋祭りのためにうちのベーコンやらハムやらをすっかりお買い上げになりたいのでしたね。少々お待ちください」
ミス・ケリーはそう言うと奥の部屋に一度下がった。
奥の部屋で彼女が「エム、もうすぐお湯が沸くから女男爵様に紅茶をお出しして!」という声が聞こえてきた。
それから、ややあって、ミス・ケリーは若い女性——姪のミス・エム・ケリー——を伴って部屋から出て来た。
真っ直ぐなブラウンの髪を大ざっぱにまとめているミス・エムは華奢な肩を少し震わせながら、小さな声で挨拶した。
ミス・エムはミス・ケリーの兄の娘で、まだ少女と言っても良い年齢だ。
数年前に小学校を卒業して叔母のミス・ケリーと共に暮らすようになり、去年叔母がアメリアの誘致に応じてメラヴェリー村で養豚をすることになったのについてきたのだと聞いている。
ミス・ケリーは「失礼のないようにね」とミス・エムに言うと、部屋の隅に控えていたアメリアのフットマンのサムと共に家の外の貯蔵庫へと向かって行った。
残されたミス・エムもまた叔母と同じように恐縮した様子だったが、彼女は叔母よりも静かだった。
アメリアにミルクと砂糖が必要か確認した後は、キッチンストーブの前で落ち着きなく手を擦り合わせながらお湯が沸くのを待っていた。
アメリアはその彼女の右手が黒く汚れているのに気が付いた。
そして、そのまま視線を窓際のソファに置かれているスケッチブックと画用紙に移した。
画用紙には鉛筆で若い男性の絵が描かれ、髪以外の色が塗られていた。
瞳の青が印象的だ。
「これ、あなたが描いたの?ミス・エム」
アメリアに問われて、ちょうど紅茶のポットにお湯を注いでいたミス・エムの肩が跳ねた。
「はい、そうです。女男爵様」
「この方はきっと皇太子殿下よね?」
「ええ、雑誌を見て描いたんです」
ミス・エムは相変わらず小さな声で答えた。
当代の皇太子殿下はハンサムな若い男性だ。
去年の国王陛下の戴冠式を機に、国民にお姿が知られるようになり、その動向が新聞や雑誌でよく取り上げられるようになった。
「すごく上手よ。よく特徴をとらえているわね」
アメリアは心から言った。
彼女は去年の戴冠式にメラヴェル女男爵として出席した際に、皇太子殿下を実際に見たが、目の前の絵はそのとき見た殿下にそっくりだった。
ミス・エムは紅茶を給仕しながらようやく笑顔を見せた。
「ありがとうございます。……でも、皇太子様の御髪の色がよくわからなくて、まだ色を付けられていないのです」
アメリアの前にティーカップを運んだミス・エムは残念そうに言った。
「あら、殿下の御髪の色はブロンドだけど……」
「ええ、叔母に教えてもらいました。でも、ブロンドにも色々ありますでしょう?明るいゴールデンブロンドやアッシュブロンド、暗いダークブロンドやダーティーブロンド。皇太子様は明るいブロンドだと聞きましたけど、身近にそういうブロンドの男の人がいなくて……」
「そうね、確かにこの村にはほとんど明るいブロンドの男性はいないわね」
アメリアは村にたった一人の明るいブロンドの男性のことを思い出して頷いたが、ふと疑問に思って尋ねた。
「でも、女性ではだめなの?小学校に明るいブロンドの女性教師がいたわよね?」
「女性ではだめなんです。髪形のせいで光の反射が違ってしまうのです」
ミス・エムは先ほどまでとは打って変わってはっきりと答えた。
「あなたは本当に絵を描くのが好きなのね、ミス・エム。もしかして、絵を描く仕事に興味があるのかしら?」
「あの……養豚場の女の子のくせにと思われるかもしれませんが……少しだけ……。力になってくれる人もいて……もう少し色々描けばもしかすると……」
ミス・エムの頬には赤みが差していた。
彼女は暫く俯いたまま不明瞭な声で何事かを話していたが、そのうちに顔を上げた。
「ただ、とにかく今はこの皇太子様の絵を仕上げたいんです。自分の力で高貴な方のお姿をどこまで描くことができるのか試したくて……」
「そうなのね。じゃあ、あなたは——」
アメリアがそう言いかけたとき、そこにミス・ケリーとサムが戻って来た。
サムは両手いっぱいにベーコンなど様々な肉製品を抱えており、ミス・ケリーの方は両手で運ぶのがやっとの麻布に包まれた肉——きっと特大のハムだ——を抱えていた。
「あら、エム。女男爵様にまで絵の話をしていたの?全く……」
ミス・ケリーが大きなハムをテーブルに勢いよく置いたので、アメリアのティーカップから紅茶が少し零れた。
サムの方はできるだけ静かにベーコンなどをテーブルに置くと、一部を持って小屋の外へと出て行った——表に停めている馬車までは少し距離があるので、安全のため数回に分けて運ぶらしい。
「あら、違うのよ、ミス・ケリー。あまりにも上手な絵だったから私が色々聞いていたの」
アメリアはそう言ったが、ミス・ケリーは「お優しい女男爵様が少女を庇っている」と捉えたらしく、一つため息をついた。
「エム、趣味として絵を描くのはいいけどね。あなたは私と一緒に養豚で身を立てて行かないといけないのだから、しっかりしてちょうだいよ。子豚泥棒のことだって、真剣に考えていないでしょう?」
「そんなことないわよ、叔母さんったら」
「だって、あなたと来たら最近養豚より牧師館のダニー坊やの世話に行く方に熱心じゃないの。お小遣いで良い画材を買いたいのはわかるけど、本業を疎かにしたら困るわよ」
紅茶を飲みながらも二人の会話に耳をそばだてていたアメリアは少し眉を上げた。
「牧師館のダニー坊や」といえば、先月から牧師館に居候しているミセス・ブレイクの息子ダニーのことだ。
どうやらミス・エムはお小遣い稼ぎにダニーの世話をしているらしい。
そこでミス・ケリーがアメリアの存在を思い出し、慌てたように言った。
「女男爵様、お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」
アメリアは微笑んだが、一方のミス・ケリーは彼女の背後の時計に目を留めて息を呑んだ。
「あら、やだ。もう11時になりそうじゃない!エム、ちょっとお使いに行ってきてちょうだい」
ミス・ケリーは暖炉の脇の戸棚に駆け寄って一枚の紙を取り出すとそれをミス・エムに手渡した。
「アダムス商店に取り置いてもらっているものを引き取って来て。全部揃っているかその場でちゃんと確認してね」
「はい、叔母さん」
「わからなくなったら、ミセス・アダムスにこの紙を渡してちょうだい。ここにも書いておいたから」
「わかってるから。大丈夫よ……」
ミス・エムは諦めたようにため息をついた。
そうして、彼女はアメリアに挨拶をして出かけて行った。
姪の背中を見送ったミス・ケリーは大きなため息をついた。
彼女は自分を見つめるアメリアの視線に気がついて言った。
「申し訳ございません、女男爵様。エムは頼りない子だと思われたでしょう?」
「いえ、そんなことないわよ、ミス・ケリー」
アメリアの言葉にミス・ケリーは無理に作ったような笑顔で言った。
「あの子はいい子なんですよ。豚の世話もするし、養豚場の手伝いの皆さんとも仲良くやってるし、隣村の准男爵様のお屋敷には毎週ベーコンを納めに行ってくれてます。この前、旦那様とミスター・マクドゥーガルが子豚泥棒の現場視察にいらして私がここを離れられなかったときには、代わりに町の木曜市で保存肉を売って来てくれましたしね。ただ、絵のことは……」
ミス・ケリーは、ソファの上の皇太子殿下の絵をちらと見遣ってから、随分とページが少なくなっているスケッチブックを手に取って開いた。
そして、暫しそれを眺めた後、それをテーブルの上に置くと深くため息をついた。
開かれたままのスケッチブックには、見開きの一方には賑やかな市場の風景が描かれ——町の木曜市だろう——、もう一方には穏やかな母子の姿——牧師館のミセス・ブレイクとダニーのようだ——が鉛筆だけで見事に描かれていた。
「上手なんだとは思うのですよ?ミスター・ウェルズも褒めてくれましたし」
「あら、母の執事のウェルズね?」
アメリアが尋ねるとミス・ケリーは微笑んで頷いた。
ミスター・ウェルズはアメリアの母ミセス・グレンロスが娘とアルバートの結婚を機に、別邸に移った際に新しく雇った執事だった。
それまで彼はロンドンで美術品収集家の未亡人に仕えていたが、その未亡人が体調を崩して息子夫妻の家に引き取られることになったため、故郷バークシャーでの職を求めてミセス・グレンロスの募集に応募したのだと聞いた。
「彼なら絵を見る目がありそうね」
「ええ、私もそう思います。その彼や女男爵様まで褒めてくださるのなら、もしかするとエムは本当に才能があるのかもしれません。ミスター・ウェルズは、隣村の准男爵サー・ジュリアンが芸術家の発掘に熱心だから見てもらえたらいいのになんて言っていました。エムは毎週准男爵家に配達に伺っていますけど、准男爵様がご自分で勝手口にお出ましになるわけがないし、無理な話なんですけどね」
ミス・ケリーはそこで言葉を切ると、少し遠くを眺めるようにして続けた。
「それにしても、ミスター・ウェルズはさすがは貴族様の家の執事ですね。ご自身は准男爵家どころか隣村にも行ったことがないそうなのに、お仕えしている奥様のご友人のことをこんなによく覚えているなんて」
執事として家政を預かるミスター・ウェルズが主の供として外出することはほとんどないのだろうが、プロフェッショナルとして主の友人が訪ねてきた折に得た情報や主が何気なく話した情報を記憶しているのだろう。
——まあ、それはともかくとして……。
アメリアは少し微笑んだ。
「ミス・ケリー、あなたはミスター・ウェルズとお友達なのね。この村で親しい人ができて良かったわ」
「あの、いえ、何と言いますやら。彼は先月まで……子豚泥棒の直後まではよくお茶を飲みに立ち寄ってくれていたものですから……」
アメリアのヘーゼルの瞳に閃きが走った——だが、今回の虚偽広告事件とは関係のないことなので、内心に留めることにした。
「なんにしても、養豚場の女の子が絵に夢中だなんて、やっぱりどうかと思われますよね?あの子は最近は高貴なお方の肖像を描くことに熱心で、村の人たちからお古の雑誌をもらったり、私にもこの前いらっしゃった旦那様の話をせがんだりで……。それより養豚を覚えてもらわないといけないのに。あの子は少し心配なところがありますが、養豚ならできると思うんです」
アメリアは少し残念に思った。
最近は美術学校に入る女の子も増えている。
卒業して陶器の絵付け職人やイラストレーターになる例はよくあるし、もし本当に才能があって運も良ければ、画家にだってなれるかもしれない。
しかし、いずれにしても、親族の支援がなければどうにもならない。
それを日々の生活に追われているミス・ケリーに求めるのも酷な話だ。
——私にもサー・ジュリアンのような審美眼があれば、才能があっても機会のない芸術家を支援できるけれど……。
アメリアも上手い絵と下手な絵を見分けることくらいはできるが、才能まで見極めるとなるとさすがに難しい。
彼女がそんなことを考えていると、ミス・ケリーがダイニングテーブルを見て言った。
「あら、いつの間に肉を全部馬車に運んでくれたのね、サム」
部屋の隅に控えていたサムが控えめに頷いた。
ミス・ケリーの言った通り、テーブルの上にあった肉製品はもう一つも残っていなかった。
「では、私はお暇するわ、ミス・ケリー。急だったのにありがとう。お代はいつも通りにお願いね」
「はい、かしこまりました。いつもありがとうございます、女男爵様」
アメリアは椅子から立ち上がって玄関へと進んだが、サムが開けてくれたドアの手前で振り返った。
「ああ、そうだわ。ミス・エムに是非午後の秋祭りに来て、くじ引きを試すよう伝えておいてちょうだい。急過ぎてちゃんとした景品が用意できなくて、一等はソヴリン金貨になりそうなの。お金そのものだなんて味気ないけど、結構な額でしょう?もし当たれば画材を揃えるのに役立つのではないかしら?」
アメリアはミス・ケリーが頷いたのを確認すると優雅に玄関を出ていった。
そして、玄関扉が閉まったところで、密かにほっとため息をついた。
無事に一仕事終えることができた。
次は<メラヴェリー・マナー>に戻って、当主兼女主人として秋祭りの準備を監督しなければならない——。
ソヴリン金貨=1ポンド
現在の日本円への単純換算は難しいですが、数万円の価値と捉えていただければ幸いです。




