20. 最後に残った謎は?
「さて、大団円を迎えるには、まだやらなければならないことがあるわね」
メラヴェル男爵家の秋祭りが無事にお開きとなって数時間後、ミセス・グレンロスが言った。
彼女と共に<メラヴェリー・マナー>本邸の正餐室でディナーの席についていたアメリアとアルバートは深く頷いた。
「明日以降、手分けしてこの地域の治安判事や名士を訪ねましょう」
アルバートが仔牛のローストを切り分ける手を止めて言った。
ブレイクの処遇は最終的には陪審員の手に委ねられるが、その前の予備審問を担当する治安判事や大陪審で審理を行う地元の名士たちの判断もまた彼らの心証に大きく影響する。
「そうね。世間話のついでに当家が今回の被害を深刻に捉えていることを伝えれば十分だわ。彼らは元々名家の名誉を傷つける犯罪に厳しいもの。それから、ミス・エムへの影響は最小限に留まるようさり気なく誘導しましょう」
アメリアが言うと、ミセス・グレンロスは頷きつつも眉を寄せた。
「でも、やっぱり裁判で証言を求められることにはなるのではないかしら?少し心配ね」
「大丈夫よ。彼女にはそれを乗り越えるだけの勇気があるもの」
アメリアは確信に満ちた口調で言い、微笑んだ。
「しかし、ブレイクのせいで当家以外にも多くの人が被害を被りましたね。ミセス・ブレイクとダニーは言わずもがな。ミス・エムも巻き込まれてしまった。そして、先ほど訪ねてきたサー・ジュリアン——あんなに動揺している彼を見たのは初めてでした。正直気の毒です」
アルバートの言葉に、アメリアはつい数時間前に唐突に<メラヴェリー・マナー>を訪ねてきた隣村の准男爵サー・ジュリアンの蒼白な顔のことを思い出した。
ブレイクを連行した警察は、すぐにサー・ジュリアンの屋敷で彼が画家の「ハンフリーズ」として使っていた部屋を調べたらしい。
その部屋からは、メラヴェル女男爵の正式な紋章が描かれた偽造便箋と新聞社に送られた手紙の下書きが出てきたそうで、即座に専門の警察官による鑑定に回されたとのことだ。
サー・ジュリアンは、自分が食客として招いた男がメラヴェル男爵家の名誉を傷つけたことを繰り返し謝罪していた。
「でも、これを機に食客として迎える人物の身元は、きちんと調査することにするそうだから、良かったのではないかしら?」
ミセス・グレンロスは苦笑して、赤ワインのグラスを口に運んだ。
「そうね。それに案外、サー・ジュリアンはすぐに元気を取り戻すのではないかと思うの」
アメリアは切り分けた仔牛の肉を口に運びながら笑みを零した。
彼女が事件の詳細を話して聞かせたとき、サー・ジュリアンは本物の画家であるミス・エムに明らかに興味を持っていた。
「彼、帰り際に呟いていたのよ。『彼女はまだ若いからロンドンの美術学校に入れてやりたいものだ』とね」
アメリアが言うと、ミセス・グレンロスは眉を上げた。
「まあ、では、そのうちミス・エムはロンドンに行ってしまうかもしれないわね。叔母のミス・ケリーは寂しがるでしょうけど……でも、きっと心細くはないわ」
ミセス・グレンロスの言葉に、アメリアは微笑み、アルバートも少し笑った。
二人とも先ほどミセス・グレンロスから聞いた話を思い出していた。
秋祭りがお開きになった直後、アメリアはメラヴェル男爵家の当主として、今回の急な秋祭り開催に尽力した使用人全員に臨時手当を支給する意向を表明した。
一番の功労者である料理人のミセス・ヘイズ——村人たちのお腹を満たす料理をなんとか拵えた——には、1ポンド。
執事や家政婦長などの上級使用人には、半ポンドと2シリング。
ミセス・ヘイズの部下のキッチンメイドたちには、半ポンド。
下級使用人たちには、7シリング。
芝庭で片づけを指揮していたときに、その知らせを聞いた別邸の執事ミスター・ウェルズは、杖を放り出して走り出したそうだ。
もちろん、ミス・ケリーの元へ。
幸い彼女は秋祭りの終わりまで残っていて、まだ帰路についたばかりだったので、<メラヴェリー・マナー>の門のほど近くで追いつくことができた。
そして、彼は彼女に求婚した——「ようやく5ポンド貯めることができました。あなたの夫として五匹の子豚を買い戻したいのです」と言って。
ミス・ケリーは驚きのあまり言葉を失いつつも、最後には何度も何度も頷いていた。
——というのがミスター・ウェルズが放り出した杖を拾って、彼を追いかけたフットマンのトムからミセス・グレンロスが聞いた話だった。
「全く、ミス・ケリーが承諾してくれて良かったわ。ウェルズったら5ポンド貯める前につい求婚してしまいそうだからって、ここ最近彼女を訪ねるのを控えていたそうなの。それでは、ミス・ケリーが『寄り添ってくれない』と誤解するのも当然だわ。それに捻挫しているのに杖なしで走って行ってしまうなんて」
ミセス・グレンロスが呆れたように言った。
無事に求婚が承諾されたミスター・ウェルズは、トムに支えられながら別邸に戻り、その足で雇用主であるミセス・グレンロスに結婚のお伺いを立てた。
ミセス・グレンロスはもちろん彼を祝福し、結婚後は彼がミス・ケリーの家から勤めに通うことも許可した。
「それにしても、この事件を通じて、ウェルズとミス・ケリーの結婚が成就する一方で、ブレイク夫妻の結婚は実質的に終わるのね」
ミセス・グレンロスは遠くを見ながら言った。
アメリアはブレイク夫妻のことを思い、つい深くため息をついてしまった。
「彼は……本当はミセス・ブレイクを苦しめた罪でこそ裁かれるべきなのに。私がもっと早くに……例えば先月のうちに気が付いていれば何とかなったのかしら……」
「気持ちはわかりますけどね、アメリア。正直、それは無理だったと思うわ。ミセス・ブレイクも牧師夫妻も隠し通すつもりだったのでしょうから。でも、今回の偽造罪で重い刑罰が科されれば、今後ミセス・ブレイクが別居の申し立てをするときにも必ず考慮されるわよ。それで良しとしましょう」
母は娘を励ますように言った。
当代の英国においては、今残っている証拠だけでブレイクを妻への暴行や傷害で罪に問うことは現実的ではない。
また、今回の虚偽広告事件を踏まえても、ブレイク夫妻の離婚が認められる可能性は低く、そもそも今後のミセス・ブレイクとダニーの立場を考えれば、離婚が最善とも言えない。
しかし、法的に別居が認められれば、ミセス・ブレイクとダニーはもう怯えて暮らす必要はなくなる。
母の言う通りそれで良しとするべきなのだろう。
アメリアは母に向けて笑みを作った。
すると、母の真剣な眼差しが彼女を見つめ返した。
「アメリア、あなたはいつも一人で背負いすぎよ。ときには頑張っても上手くいかないこともあるわ。それに、上手くいかなくてもあなたは一人じゃないのよ。あなたのことだから、アルバートにこれ以上の負担をかけたくないと思っているのでしょうけど、遠慮することが愛情とも限らないのよ。特に家族の間ではね」
「それには私も同意しますよ」
思いがけない言葉にアメリアは思わず二人に交互に視線を向けてしまった。
そんな彼女を見て、母はどこか愉快そうに微笑み、アルバートもいつも通り皮肉っぽくはあるが温かな笑みを浮かべた。
アメリアが返す言葉を見つけられないでいると、フットマンがデザートのシャルロット・リュスを給仕し始めた。
すると、アルバートが思い出したように口を開いた。
「しかし、お義母さん。いくら『遠慮することが愛情とも限らない』と言っても、先ほどの『アルバート!なんとかしてちょうだい!』というのは……いかがなものでしょう?亡き実母にもそんな風に言われたことはありませんよ」
彼は義母に対してからかうような視線を向けた。
一方のミセス・グレンロスは少し眉を上げた。
「あら、アルバート。それは、お労しいことに、実のお母様のレディ・ウェクスフォードは、あなたが『なんとかできる』紳士に成長する前に亡くなってしまったからですよ。もしご存命なら、他にあと二人息子がいることを考えたとしても……そうね、月に一度はそうおっしゃるはずだわ」
ミセス・グレンロスは、落ち着き払ってシャルロット・リュスのババロアをスプーンで掬っていた。
「やれやれ、お義母さんには敵いませんよ」
そう言ってアルバートは楽しげな笑みを浮かべた。
ミセス・グレンロスも同じだった。
アメリアもまた自然と微笑みながらシャルロット・リュスを口に運んだ。
その甘さが口の中に広がると、急に全てが腑に落ちた。
ただ、ヘーゼルの瞳に走ったのはいつもの鋭い閃光ではなかった。
それは、蝋燭の明かりのような柔らかく温かい閃きだった。
***
「お母様には『背負いすぎ』と言われたけれど……でも、やっぱり今回の事件のことは反省しないと。ミセス・ブレイクの状況に前もって気づくのは無理だったとしても、虚偽広告事件の方は安易に結論付けるべきじゃなかったのよ」
ディナーの後、アメリアは寝室のドレッサーの前で嘆いた。
ほぼ寝支度を済ませ、白いナイトドレス姿になった彼女は、最後の仕上げとしてミス・アンソンに髪を整えてもらっていた。
彼女の背後に少し距離を空けて置かれた深紅の布張りのアームチェアにはアルバートが座り、ミス・アンソンが器用に編んでいく妻の暗い栗色の髪がランプの光に艶めく様子をさり気なく眺めていた。
「いかにも君らしいね」
アルバートはそう言って微かに笑うと、穏やかに続けた。
「でも、今回、君は手紙を偽造され、名を騙られた被害者でもあったことを考慮すべきだと思うよ。物事の中心にいるとなかなか真相が見えづらいものさ。いずれにしても、取り返しのつかないことになる前に解決できたんだ。良かったよ」
ちょうどそこでミス・アンソンが主の髪を編み終えた。
アメリアが退出を許可すると、彼女は手際よく道具を片付け、静かに挨拶をして部屋を出て行った。
「ねえ、アルバート」
ミス・アンソンが扉を閉めた音が聞こえたのと同時に、アメリアはアルバートに向き直って深くため息をついた。
静かな寝室に暖炉の薪がパチパチと燃える音が響く。
「私、事件だけでなくあなたとお母様のことも結論を急ぎ過ぎてしまったと思うの。ごめんなさい」
アメリアが彼を見つめながら言うと、その青みがかった灰色の瞳は興味を引かれたように輝いた。
「そうだったかな、マイ・ディア?」
「ええ、そうだったわ。私、あなたとお母様はどうも噛み合わないのだと思い違いをしていたの。だから、強引に一緒に捜査をさせてしまったのだけど、そんな必要はなかったのよ。二人はもう家族として固く結びついていたのだから」
——「家族や隣人と愛し合い、慈しみ合って生きていくことができますよう」
——「遠慮することが愛情とも限らないのよ。特に家族の間ではね」
自然と、秋祭りで聞いた祈りの言葉と先ほどの母の言葉が思い出された。
「でも、最後に一つだけ、どうしてもわからない謎があるの。あなたとお母様は、価値観も考え方も全く違うのに、どうしてそんなにも固く結びついているのかしら?」
そう尋ねたアメリアのヘーゼルの瞳は真剣だったが、その奥には隠しきれない好奇心が覗いている。
「おやおや、探偵女男爵の君には簡単すぎる謎だと思うけどね」
アルバートは優雅に立ち上がり、ドレッサーの前に座ったままの妻の方へとゆっくりと歩み寄った。
アメリアは彼の足音を聞きながら、何となく鏡に向き直った。
すぐ側で立ち止まった彼と鏡越しに視線がぶつかる。
「でも、これも同じことなのかもしれない。中心にいるとよく見えなくなってしまうんだ」
そう言いながら差し出された手に、アメリアは自分の手を重ねて立ち上がった。
向かい合わせになると、青みがかった灰色の瞳に反射する暖炉の炎の揺れについ目を奪われてしまう。
「つまり、お義母さんも私も、心の中心に同じ人がいるということだよ」
そして、彼は彼女の耳元に唇を寄せて低い声で囁いた。
「アメリア」
名を呼ばれたアメリアはゆっくりと睫毛を伏せた。
思った通りのこれ以上なく甘い響きに、耳が熱くなるのを感じながら——。
ご読了ありがとうございました。
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下記リンクから本シリーズの別作品もお読みいただけますので、ご興味あれば是非よろしくお願いします。
この後、外伝を2篇投稿予定です。




