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14. 何故こんなことを?②


 アルバートは妻メラヴェル女男爵と共に、村人でにぎわう芝庭を歩きながらミス・エム・ケリーを探した。

 途中で彼女の叔母ミス・ケリーがチャリティ・バザーの品物を見比べて悩んでいるのと、牧師夫妻がエッグ・スプーンレースに挑戦する子供たち(くじ引きの後で合流したらしいダニーも一緒だ)を応援しているのを見かけたが、肝心のミス・エムの姿はどこにもなかった。

 

 二人がようやく彼女を見つけたのは、秋祭りの喧騒から少し離れた樫の木の下だった。

 彼女は木の幹を間近で観察しながら、手元のスケッチブックに鉛筆でその絵を描いていた。

 ただ、体とスケッチブックの間に麻布に包まれた何か——おそらく大きなハムだ——を抱えているので、非常に描きづらそうではある。


「ごきげんよう、ミス・エム。そのハムはもしかして……?」


 先に声をかけたのは女男爵だった。

 それを聞いたミス・エムの肩が跳ねた。

 彼女は、スケッチブックを閉じながら二人の方を振り返った。


「女男爵様、旦那様、どうも。これは……くじ引きで当たってしまいまして。まさかうちのハムが当たるとは……」


 ミス・エムはぎこちなく笑った。

 確かにその特大のハムは午前中に女男爵がミス・ケリーから買い上げてきたものだった。

 くじ引きの三等の景品としていたが、どうやらケリー家に帰る運命だったようだ。


「あの、私に何かご用でしょうか?私、そろそろ叔母を探したくて……」

 

 彼女の声は少し震えていたが、それに応える女男爵の口調は穏やかだった。


「ええ、そうよね。でも、その前に卿からあなたに少し話があるの。もしくは……あなたからお話ししてくれても良いのよ、ミス・エム」


 ミス・エムはただ俯いた。

 暫しの沈黙の後、女男爵がアルバートに視線を送った。

 彼は妻の意図を理解して、ゆっくりと頷いてから話し始めた。


「ミス・エム、君も知っての通り、今日のこの秋祭りは当家が計画していたものではなかった。誰かが新聞社にメラヴェル女男爵を騙った虚偽広告の掲載依頼の手紙を送り、その通りに広告が掲載されてしまったが故に開催せざるを得なかったんだ。それで、私は今日一日、義母ミセス・グレンロスと共に、誰がこの虚偽広告の掲載を企てたのかを解明しようとしていた。最初は素人の二人に犯人を突き止められるはずがないと思っていたが、捜査を進めるうちにこの謎は論理で解くことが可能だと気が付いたよ」


 アルバートは今日一日の捜査のことを思い返した。

 朝には屋敷の応接間で家族で議論し、午前中に牧師館を訪ね、昼餐の折にも義母や妻が得た情報を聞いた。

 更に、秋祭りが開始してからも様々なことに気づいた。

 そして、最後に事実を積み上げれば、答えは自ずと明らかになった。


「新聞社に送られてきた手紙については、朝の内に新聞社に電話で特徴を確認している。メラヴェリー村の消印があり、中身は教育のある紳士のような筆跡で書かれていたそうだ。そして、便箋には模写したと思われるメラヴェル女男爵の正式な紋章が描かれ、封蝋も少なくとも新聞社の社員には当家のものに見えるようなものであったらしい。つまり、この全ての要素を満たす手紙を書けた人物が犯人だということだ。そして、これまで集めた事実を検討した結果——それは君しかあり得ないという結論に至った」


 ミス・エムは俯いたままだったが、その指はスケッチブックの表紙をなぞっていた。

 

「まず、消印がメラヴェリー村だった点は、この村に住んでいる君は当然簡単に満たすことができる。その他の要素の大部分には、君の技能が関係している。そのスケッチブックに描かれた絵や牧師館に飾られている水彩画を見れば、君に絵の技能があることは明らかだ。君は見本さえあれば、メラヴェル女男爵の正式な紋章を正確に模写することができたはずだ。紳士の筆跡だって同じことだろう」

「でも……でも、絵が上手な人なら他にいるのではないでしょうか、旦那様」


 ミス・エムの声は震えていた。

 一応反論を試みたものの、それが何の効果も生まないことは理解しているようだった。

 アルバートは少し口調を和らげて続けた。


「そうだね。絵が上手な人なら君以外にもいるだろう。しかし、いくら絵が上手くても見本なしに筆跡や紋章を真似ることはできない。その点、君の手元には『見本』があった。私が君の叔母さんのミス・ケリー宛に出したメラヴェル男爵家からの手紙——8月18日に発生した子豚の盗難に関する見舞い状だね。その見舞い状は、中身は当家の執事の手による紳士らしい筆跡で書かれ、メラヴェル女男爵の正式な紋章が印刷されていた。君はそれを見ながら、自分で考えた文章に合わせて一文字ずつ紳士の筆跡を真似て書き、絵の技能を活かして紋章も模写したんだ」


 アルバートがさり気なくミス・エムの表情を窺うと、彼女は明らかに視線を泳がせていた。


「封蝋だけは絵の技能があってもどうにもならないが、いくつか方法はある。今回の場合は、叔母さんが当家から受け取った見舞い状の封蝋を未開封のうちにナイフで剥がして再利用したのではないかな。ミセス・グレンロスの執事ウェルズが君の叔母さんが見舞い状を未開封のまま大事にしまっていたのを覚えているらしいからね」


 そこでアルバートは一拍置き、静かに言い切った。


「つまり、メラヴェル女男爵の名を騙って、新聞社が当家からの正式な手紙だと誤認するほどのものを作り上げることができたのは、模写能力と見本の両方が揃っている君しかいないということになるんだ。私が導き出した結論は合っているだろうか、ミス・エム?」

 

 ミス・エムはただ黙り込んでいた。

 言い逃れをする余地を探っているように見えたが、最後には消え入りそうな声で言った。

 

「ほとんどおっしゃる通りです、旦那様。今回の件は、私がやったことです……」


 彼女は、身を守るように大きなハムを両手でぎゅっと抱きしめた。

 アルバートはその脚が小刻みに震えていることに気が付き、できるだけ優しく問いかけた。


「しかし、私には何故君がこんな大それたことをしたのかがわからない。君に誰かを傷つける意図があったとは思えないし……。良かったら教えてもらえないだろうか?」


 ミス・エムは唇を開いたが、声を出すことができないようだった。

 すると、女男爵が半歩だけ彼女に歩み寄り、声を掛けた。


「その件は……私からお話ししても良いかしら、ミス・エム。実は、午前中にあなたの絵を見たときから気づいていたの」


 女男爵の口調もまた優しかった。

 ミス・エムが小さく頷いたのを確認した女男爵は——何故かアルバートに視線を移した。

 そして、穏やかだがはっきりと言った。


「動機は卿——あなたなのよ」


 名指しされたアルバートは二、三度瞬きをした。


 「卿」というのは、女男爵が人前でアルバートを名指しするときに使う公的な言葉だ。

 貴族のレディたる彼女は、家族や親しい友人以外の前では夫を「卿」や「アルバート卿」と呼ぶ。

 同様にアルバートも公的な場では妻を指して「奥方」や「レディ・メラヴェル」と言う。

 品格のある上流階級の夫妻はそうあるべき——と考えたところでアルバートは我に返った。

 そもそも、女男爵は「卿」と言った後に、アルバートを見ながら「あなた」と言い直したのだから、彼女の意図は考えるまでもなく明らかだ。

 しかし、ミス・エムが虚偽広告を掲載した動機が自分にあるという彼女の言をすぐには理解することができなかった。


「それは……一体、どういうことだろう?」


 彼が辛うじて言葉を絞り出すと、女男爵はそれが当然の疑問だと認めるように一度ゆっくりと頷いてから続けた。


「昼餐のときに、ミス・エムが皇太子殿下の絵を描いていることはお話ししたわよね?」

「ああ、確か御髪だけはまだ彩色していないとか……ミス・エムが同じ色調の髪の男性を見たことがないからだと……。すると……まさか」


 アルバートの脳裏につい先ほどの光景が蘇った。

 秋祭りの開始から少し経った頃、牧師のミスター・ベントリーが説教を行った。

 彼は隣人愛を説きつつ、タイタニック号の犠牲者のために祈りを捧げ、その場にいた村人たちも彼に倣って祈った。

 帽子を被っていた男性は作法に則って帽子をとって胸の前に置いた——当然アルバートもそうした。

 ミス・エムがアルバートを不自然なほど見つめていたのは、ちょうどそのときだった。

 今、ようやくわかった。

 彼女は彼のアッシュブロンドの髪——皇太子殿下と同じ明るいブロンドの髪——を観察していたのだ。


「じゃあ、君は皇太子殿下の絵を完成させるために、私の髪を見たかった……ということなのだろうか?」


 アルバートは一瞬無表情を保つことを忘れ、その青みがかった灰色の瞳を見開いていた。

 一方のミス・エムは顔を真っ赤にして俯いていた。


「はい……おっしゃる通りです。私はいつも人や物をよく観察してから絵を描きます。もちろん、皇太子様の場合はご本人を観察することはできません。だから、パーツごとに身近にいる似た人を観察していました。例えば、青い瞳のためにはダニーを——というように。でも、御髪の色は……この村に明るいブロンドの男性は旦那様だけです。それなのに、春に予定されていたご結婚の祝宴は中止。先月、旦那様が子豚泥棒の件で私たちの家にいらした際には、私は木曜市へ行くしかなくて。毎週日曜の礼拝では、席が離れていてよく拝見することができませんし、そもそも室内では光が十分ではありません……。それで、旦那様の御髪の色見たさについ勝手に秋祭りを……」


 ミス・エムはか細い声で言った。


「最初は満足していました。帽子から出ている部分だけでも見られれば良かったのに、お祈りで帽子をお取りになったお蔭で全体を見ることができましたから。これで皇太子様の絵を完成させられると思いました。でも、そのときに聞いた牧師様のお説教が頭から離れないのです。私たちは隣人同士『愛し合い、慈しみ合って生きていく』べきなのに、私は自分勝手な理由で、男爵家の皆さんにご迷惑をおかけしてしまいました」


 ハムとスケッチブックを抱き締めた彼女の肩は、かわいそうなくらいに震えていた。


「今は深く深く反省しています。本当に本当にごめんなさい、女男爵様、旦那様」


 彼女の目には涙が浮かんでいた。

 アルバートは驚きのあまり咄嗟に何も言うことができなかった。

 一方、女男爵は静かに言った。


「ミス・エム、他人になりすまして手紙を送る——しかも、貴族の紋章を偽造して名を騙ることは、偽造罪といって本来であれば犯罪になってしまうの」


 ミス・エムは震えながらも神妙に頷いていた。


「あなたはただ正確な絵を描きたかっただけ。他人を傷つける意図がなかったことは、卿も私もわかっているわ。でも、悪気はなくても、してはいけないこともあるのよ。ちょっとしたことが、思わぬ結果を招くことだってあるのだから」


 女男爵はミス・エムを真っ直ぐに見つめ、少し調子を和らげながら続けた。


「もう二度とこんなことはしないと約束してくれるわね、ミス・エム?それでこの件は終わりにしましょう。あなたの叔母さんにも知らせないでおくわ。ミス・ケリーはただでさえ、村の新参者として気を遣っているし、最近は子豚の盗難で落ち込んでいるもの。これ以上彼女を心配させる必要はないわ」

「女男爵様……!ありがとうございます!」


 ミス・エムの瞳から涙がこぼれ落ちた。

 後悔と反省の涙のようにも、安堵の涙のようにも見えた。


「やれやれ、まさか私の髪の色を観察したかったとは……」


 アルバートはようやく苦笑することができた。


「さっき君が案内板の前で所在なく見えたのは、罪悪感のせいだったわけだね。てっきり何か困っているのだと思ったが」

「ええと……まあ、そうです」


 涙を拭いながらそう言ったミス・エムの頬に再び赤みが差した。

 アルバートは女男爵が一瞬首を傾げたのを見た気がした。

 しかし、女男爵は微笑んで言った。


「ミス・エム、今回のことはともかくとして……あなたの絵が素晴らしいのは確かだわ。良かったらそのスケッチブックの絵を見せてくれないかしら?」


 ミス・エムは恥ずかしそうにしながらもスケッチブックを女男爵に手渡した。

 女男爵はそれを静かに捲り、ダニーと眠る犬が描かれたページを見て微笑んだ。


「やっぱり素敵よ。養豚場のお仕事も大切だけど、絵も描き続けてちょうだいね。できれば、くじ引きでソヴリン金貨を当てて、画材代の足しにしてほしかったけれど、こればっかりはどうしようもないわね」

「ええ、でも、私たちのハムもおいしいですから」


 ミス・エムは手に持ったままのハムを示しながら控えめに笑った。

 そして、ふと思い出したように女男爵に向けて尋ねた。


「ところで、女男爵様……くじ引きで思い出したのですが、あの景品の絵は……?」

「景品の絵?」


 女男爵は再び首を傾げていた。

 今度ははっきりと何か違和感を覚えているようだ。

 くじ引きの景品の絵といえば、ミセス・グレンロスが准男爵家の食客の画家の絵をもらい受けてきたと言っていたが、アルバートは実物をまだ見ていなかった。

 女男爵もきっと同じだ。

 

「確か母が隣村の准男爵家に滞在中の画家からもらったものだと聞いていたけれど……?」

「あ……ああ!そうですよね……変なことを聞いてすみません」 


 そのとき、アルバートは奇妙な光景を見た。

 女男爵のヘーゼルの瞳に微かに閃きが走ったのだ。

 

 彼女は即座にスケッチブックへと視線を落とし、ダニーと眠る犬の絵を暫く凝視した。

 そして、更にページを捲り、市場のような風景画とブレイク母子の絵を観察するように見つめた。

 すると間もなく、その瞳にもう一度閃きが走った。 

 それは彼がよく知っている稲妻のような鮮烈な閃きだったが——。 


 ——既に事件は解決したはずではなかったのだろうか?


 アルバートが静かに戸惑っていると、女男爵はミス・エムに向き直った。


「……ミス・エム、さっきの話は全て本当のことなのよね?」

「ええと、ほとんどそうですが……?」


 女男爵は首を傾げるミス・エムを真っ直ぐに見つめ、彼女に語りかけた。

 

「とても重要なことなの。本当のことを教えてちょうだい」

 

 女男爵の真摯な瞳に射抜かれ、ミス・エムが息をのむ気配がした。


「ミス・エム、さっきあなたは自分で新聞社への手紙を書いたように話していたけれど——一体どうやって書いたの?」


 女男爵の問いに空気が一気に張り詰めた。

 ミス・エムは大きく目を見開き、明らかに困惑していた。

 アルバートもまた困惑していた。

 ミス・エムが新聞社への手紙をどうやって書いたのか——答えは先ほどアルバートが説明した通りではないのか。

 つまり、自分で考えた文章に合わせて、メラヴェル男爵家から出したお見舞い状の執事の筆跡を模写したのだ。

 しかし、今の女男爵は別の考えを持っているようだった。


「考えてみればおかしいわ。今回の虚偽広告には『地元の皆さまは残らずお越しください。お子様大歓迎』という妙な文言が含まれていたわ。ミス・エム、卿の髪を見たかっただけのあなたには、こんなことを書く理由がないわよね?」

「あの、女男爵様?ええと……『残らずお越しください』?『お子様大歓迎』とおっしゃいました?それは……?」


 ミス・エムは微かに震える声で言った。

 その瞬間、女男爵がアルバートに向けて、やや早口で尋ねた。


「アルバート卿、先月ウェルズが<アザミ亭>で見知らぬ男性と話していたのをエドガーが見たということだったけれど、その男性の正体はわかったのかしら?」

「ああ、結局、お義母さんがウェルズに直接聞いたところ……どうもミスター・ブレイクだったようだよ」


 アルバートはミス・エムの前でこの話をして良いものか迷ったが、女男爵の切迫した様子から正直に答えるべきだと思った。


「そうよね……そういうことになるわよね。ウェルズは、ミスター・ブレイクに村のことを色々話したのよ。きっと隣村のサー・ジュリアンのことも話したのではないかしら……?」


 女男爵はそう呟き、更に尋ねた。


「昼餐の前に、あなたが今日牧師館でミスター・ベントリーからミスター・ブレイクについて聞いたことをお母様に話していたと思うのだけれど、もう一度教えてくれないかしら?」

「もちろん」


 アルバートは戸惑いながらも頷いた。

 言葉を記憶することに長けている彼は、午前中にミスター・ベントリーが語ったことを一言一句覚えていた。


「ミスター・ベントリーによると、ブレイクはそれなりに成功している骨董商だったそうだ。ただ、骨董商としての審美眼はあるが、本人に芸術の才能はないとも言っていた。それから、ミスター・ベントリーと同じパブリックスクールの出身で学生時代にはラグビーで攻撃の要となる選手だったようだが……」


 その話を聞きながら女男爵は視線を落とした。

 アルバートには彼女の瞳の奥で何かが揺れているのが見えた。

 恐れ、焦り、不安——そんな不穏なもののような気がしてしまう。


 暫くすると彼女は一度目を閉じてから、再び開いた。

 ヘーゼルの瞳の奥の揺れは消え、何かが燃えていた。

 

「アルバート卿、ミセス・ブレイクを探しましょう。ミス・エム、あなたも協力してくれるわね?」


 言い終わるやいなや、彼女はすぐに人々が集まっている方向へと向かい始めた。

 アルバートはミス・エムとその後に続きながらも、彼女の意図を量りかねていた。

 しかし、何か深刻な事態が進行しつつあることだけは、はっきりとわかってしまった。



■推理中の方向けのご案内

次章にてミセス・グレンロスの洞察が明らかになります。

次章までの情報を踏まえて、最終回答をご用意いただけると、次々章の女男爵の推理をよりお楽しみいただけると思います。

(若干ネタバレになるので、前章までの時点ではここまでご案内できずすみません……!)

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― 新着の感想 ―
この人はは関わっとるやろなぁ…と思っていたのですが、動機そっちかーい! てっきり、強要されたりしたのかと思ってました… されてなくてよかったですが、でもなにげに黒幕がいそう?? ところで、前話で子豚…
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