12. 秋祭りは順調?②
その頃——。
ミセス・グレンロスは、チャリティ・バザーのテントで村の婦人たちと歓談していた。
テント内のテーブルの上には、メラヴェル男爵家の女性使用人たちが午前中に総力を挙げて作った手芸小物——ピン・クッションやニードル・ブックなどだ——が並んでいる。
また、村の婦人たちが持ち寄ってくれた品もある。
中でも、村の手芸品評会で何度も優勝しているミセス・バロックのクッションカバーは既に全て売り切れており、牧師夫人ミセス・ベントリーが庭で育てたラベンダーで作ったポプリも売れ行きが良い。
売り子も引き受けてくれているミセス・バロックが次回の品評会に出品する作品の構想を皆に語り終えたところで、ミセス・グレンロスはさり気なく挨拶をして婦人たちの一団から離れた。
テントの前を見覚えのある人物が通りかかったからだ。
「ミスター・ハンフリーズ、本当にいらしてくださったのね」
「これはどうも、ミセス・グレンロス」
ミセス・グレンロスが声を掛けると黒髪のやや小柄な男——ミスター・ハンフリーズは仕立ての良いフェドーラハットを持ち上げて挨拶をした。
「盛況ですね。急遽開催したとは思えないほど素敵な秋祭りです。きっと男爵家の皆さんのご人徳の賜物でしょう。サー・ジュリアンがいつもレディ・メラヴェルとアルバート卿ご夫妻とお母様であるあなたのことを褒めている理由がわかりましたよ」
彼は村人が溢れる芝庭を見回しながら言った。
ミセス・グレンロスは自然と笑顔になった。
「ありがとう、ミスター・ハンフリーズ。冒頭の牧師の説教はお聞きになって?それも素晴らしかったのよ」
「それには間に合いませんでした。聞き損ねて残念です。……ああ、あの方がこの村の牧師ですね?」
ミスター・ハンフリーズが示した方向を見ると、飲み物が振る舞われているテントで、牧師用の黒いフロックコートを着込んだミスター・ベントリーと牧師夫人、夫妻の三人の息子たちがレモネードを受け取っていた。
どうやら数が足りなかったようで、飲み物の給仕を差配している別邸の執事ミスター・ウェルズ——相変わらず杖をついている——が、フットマンに追加のグラスを運ばせようとしているのも見えた。
また、颯爽とモーニングコートを翻して現れた本邸の執事ミスター・フィリップスが部下に椅子を運ばせて来て、牧師夫妻に着席を勧めていた。
ミスター・ハンフリーズはその様子を興味深そうに眺めていたが、やがて心配そうに言った。
「おや?あの執事は足に怪我をしているようだ。別邸のあなたの執事ですよね?どうしたのです?」
「そうなのです。午前中に秋祭りの準備をしているときに、転んで捻挫したのですって。虚偽広告がなければ彼もあんなことには——」
ミセス・グレンロスの胸に不安が蘇った。
先ほどの昼餐の場でアルバートの筋道立った説を聞いて一度は納得しようとしたものの、やはりどうしても気になる。
「ごめんなさいね、ミスター・ハンフリーズ。用事を思い出したので、失礼しますわ」
彼女が申し訳なさそうに言うと、ミスター・ハンフリーズはただ微笑んだ。
「お気になさらず、ミセス・グレンロス。暫く秋祭りを楽しませていただきますよ」
***
ミスター・ハンフリーズと別れたミセス・グレンロスは、目的の白いテント——酒以外の飲み物が供されているテント——に辿り着いた。
そこでは執事らしくモーニングコートに黒いタイを締めたミスター・ウェルズが給仕するフットマンたちを指揮していた。
ミセス・グレンロスは、杖をついて立っている彼に声を掛けた。
「ウェルズ、少し話せるかしら?」
ミスター・ウェルズは、主の声の緊張を感じたようで、不安げな表情で振り返った。
「もちろんです、奥様」
ミセス・グレンロスは頷くと、そのまま彼をテントの脇に来るよう促した。
「単刀直入に訊くわ、ウェルズ。先月、あなたが<アザミ亭>で怪しい男と話していたのを見た人がいるの。子豚泥棒が出る前の金曜日、8月16日のことだそうよ。あなたは一体誰と話していたの?」
ミセス・グレンロスが鋭く問うと、ミスター・ウェルズは杖を握る手に力を込めた。
「ええと……私が休暇をいただいた日ですよね。確かに他所から来た<アザミ亭>の宿泊客とは話したと思います。でも、知らない者同士、交流しただけです。ご心配なさるようなことは何もありませんよ、奥様」
その答えとは裏腹に彼の額に汗が滲んでいるのを彼女は見逃さなかった。
「ただの宿泊客ではないでしょう?その男は巡査の姿を見て逃げ出したと聞いています」
ミセス・グレンロスの指摘にミスター・ウェルズは視線を落とし、空いている方の手で襟を直した。
そして、俯いたままぎゅっと目を瞑ったかと思うと、再度目を開いてから口を開いた。
「申し訳ございません、奥様。誰にも言わないと約束したのです」
「誰に約束したの?」
「その男——ミスター・ブレイクです。彼は牧師館のミセス・ブレイクの夫だったのです」
その答えにミセス・グレンロスは目を見開いた。
まさかミスター・ブレイクがこの村に来ていたなんて。
彼は妻子を捨てて出奔してしまったのではなかったのだろうか。
「私が奥様にお仕えする前、ロンドンで美術品収集家のレディにお仕えしていたのはご存知ですね?そのときに、そのレディが何度かミスター・ブレイクの骨董品店で絵画やアンティーク家具を購入したことがあったのです。私はさすがに経営者の顔までは覚えていなかったのですが、彼の方では私を覚えていたようで、先日<アザミ亭>で声を掛けられました。『ボンド街の<ブレイク・ギャラリー>のジェームズ・ブレイク』という名前を聞いたらすぐに記憶が蘇りましたよ」
ミスター・ウェルズは観念したように長いため息をついて全てを語った。
<アザミ亭>でミスター・ブレイクと会話をするうちに、彼こそがミセス・ブレイクの夫だと気づき、驚きつつもまずは事情を聞いたという。
「彼は、村で自分がどう噂されているかひどく気にしていました。もちろん、私は真実を告げました。『妻子を捨てた夫』として語られていると。しかし、彼は妻子を捨てたのではなく、借金取りから逃げただけなのだそうです。今、金を作っている最中で、生活を立て直す資金が貯まり次第、ミセス・ブレイクとダニーを迎えに行くつもりだと言っていました」
ミスター・ブレイクは、妻子が頼るとすれば妻の姉夫妻だろうと踏んで、彼らの無事を確認するためにメラヴェリー村に来たと言っていた——とミスター・ウェルズは語った。
ミスター・ウェルズの口調には必死に家族を取り戻そうとしている男への同情が滲んでいた。
しかし、ミセス・グレンロスはつい指先で日傘の柄を撫でてしまった。
「ミスター・ブレイクは妻子のことを心配して、この村や周辺のことを知りたがっていました。なので、メラヴェリー村には若くてご寛大な女男爵様と賢明な母君、そして、最近ご結婚された高潔なご夫君がいらっしゃることを話して安心してもらいました——もちろん、今は私がその賢明な母君の邸宅の執事であることも話しましたよ。それから、隣村の准男爵様のことも伝えておきました。もし、まだ売れる骨董品や美術品があるのなら、お買い上げくださるかもしれませんから」
ミスター・ウェルズは、自分の話に満足するかのように数回頷いたが、続いて顔を顰めた。
「その後、准男爵様が度々芸術家の食客を迎えていることについて話していたところで、巡査が店に入ってきました。でも、ミスター・ブレイクは巡査を見て席を立ったわけではなく、そのすぐ後に入ってきた牧師様を避けようとしたのです。今、ミセス・ブレイクとダニーを保護している牧師様に見つかれば、すぐに妻子を迎えにくるよう叱られると思ったのでしょう。ともすると、牧師様は大柄な方ですから、牧師館まで引きずって連れて行かれたかもしれません」
「それで、今、ミスター・ブレイクはどこにいるのかしら?」
ミセス・グレンロスが問うと、ミスター・ウェルズは少し視線を落として思案し始めた。
「すみません、そこまでは存じていません。でも、町かもしれません。准男爵様の話の他に、金を作る方法を探すために、町の木曜市で情報収集することを勧めたのです。一刻も早く家族を取り戻すべく焦っているように見えたので」
そして、彼は少し微笑みながら言った。
「借金は褒められたことではありませんが、彼は妻子を迎えに行くために真剣に努力しているようでした。その姿勢は、私も見習いたいものです」
「ねえ、ウェルズ、あなた——」
ミセス・グレンロスが少し目を細めると、彼は弁解するように話し始めた。
何故だかひどく慌てている。
「いえ、奥様、もちろん今の私には妻子などいません!しかし、子供はともかく、妻については……もしかすると、ある種のお許しを願うなんてことも無きにしもあらずで……。ええと、もちろん職務に影響が出るなんてことはないようにいたしますし、そもそも、彼女はバークシャー生まれの素朴で善良な女性なのですから何の心配もありません。先日も貴族の方に手紙をいただくことなんて一生に一度もないことだと大層感じ入って、お見舞い状を開封もせずに大事に箪笥にしまいこんでいました。それを見て私はやはり——」
ミスター・ウェルズのまとまらない語りはそこで途切れた。
飲み物の給仕をしていたフットマンが彼に向けて何か合図をしていることに気づいたからだ。
その表情からして、何か困ったことが起きたらしい。
「すみません、奥様。行かなくてはならないようです。ミセス・ブレイクにとっては喜ばしい報せなのに黙っていて申し訳ございませんでした。もし、ご本人にお伝えした方がよろしければ、喜んでお話ししますので、いつでもお命じください」
ミセス・グレンロスが頷いたのを確認したミスター・ウェルズは目礼してテントの下に戻って行った。
一方、ミセス・グレンロスは暫しその場に立ち尽くしていた。
——虚偽広告事件とは別にこの件も、後でちゃんと事情を確認しないと。
——もしかすると、彼女と一対一でじっくり話した方が良いのかもしれないわ。
ミセス・グレンロスは誰も聞いていないのを良いことに深くため息をついた。
先ほどのウェルズへの得体の知れない疑念とは違って、今は重苦しくもはっきりとした不安が胸にのしかかっていた。
——それにしても、ウェルズは……もっと他人を疑うことを覚えた方がいいわ。
——いくら古き良きバークシャー生まれだからって。
そこでふと一つの直感が過った。
——あら、さっきの話……?
——もしかして、虚偽広告事件に関係があるのかしら?
しかし、どう関係あるのかまでは、まだよくわからない。
——アルバートに相談しましょう。
——きっと彼なら事実を正確に積み上げてくれるはずだわ。
そう考えたミセス・グレンロスは人ごみの中へと真っ直ぐに歩みを進めた。
■推理中の方向けのご案内
この後は以下の流れで推理が展開されます。
次章:アルバート卿の論理(+女男爵の補足推理)
次々章:ミセス・グレンロスの洞察
その後、メラヴェル女男爵アメリアの推理が2章分とエピローグで完結です。
アルバート卿とミセス・グレンロスがどこまで真相にたどり着けるか、何故アメリアは物語冒頭のように焦ることになるのか……お楽しみいただければ幸いです。




