11. 秋祭りは順調?①
午後2時過ぎ、すっかり様変わりした<メラヴェリー・マナー>の芝庭は村人たちで溢れていた。
白いテントが青々とした芝の上にいくつも並び、男爵家の使用人たちが給仕に勤しんでいる。
アルバートは芝庭を悠然と歩きながら、見知った村人と挨拶を交わしていた。
いつの間にか今回の秋祭りが虚偽広告によって急遽催されたという話が知れ渡っており、村人たちからは心配と労りの言葉をかけられた。
——とはいえ、この秋祭りは即席にしては十分成功している。
アルバートは素直にそう思った。
メラヴェル男爵家一丸となって準備した甲斐があって、祭りに欠かせない要素がきちんと押さえられている。
まずは、村人の空腹を満たす料理。
メラヴェル男爵家の誇り高き料理人ミセス・ヘイズとキッチンメイドたちは、無事に村人たちのお腹を満たす料理を作り上げた。
卵のサンドイッチ、ポークパイ、スコーン、ヴィクトリア・スポンジ、各種焼き菓子——もちろん、午前中にメラヴェル女男爵自身が養豚農家のミス・ケリーから買い上げてきたハムやベーコンも供されている。
それから、飲み物もたくさんある。
一番人気はミセス・ヘイズが裏技を駆使して短時間で作ったレモネードだが、馴染みの酒屋から融通してもらったエールもたくさんあるらしく、早速一杯やっている地元の農夫や郵便局員、警察官の姿が見られた。
次に、村人を楽しませる催し。
くじ引きは、番号が書かれた札を引くとすぐに当たり外れがわかる方式で、魅力的な景品が用意されている。
一等のソヴリン金貨や二等の男爵家のお下がりの高級ティーセット、三等のミス・ケリーが丹精込めて作った特大ハムは誰だって当てたいと思うだろうし、その他ミセス・グレンロスが隣村の准男爵家からもらった刺繍入りのハンカチや額入りの小さな絵画もあると聞いている。
また、子供向けの催し——輪投げ、エッグ・スプーンレース、ココナッツ倒し——には、既に人集りができており、大勢の子供たちがそれぞれに楽しんでいた。
虚偽広告に勝手に書かれてしまった「お子様大歓迎」が何とか実現された格好だ。
更に、チャリティの精神。
チャリティ・バザーには、午前中に<メラヴェリー・マナー>の女性使用人たちが作った手芸小物を中心にたくさんの商品が並んでいた。
牧師夫人のポプリの他、虚偽広告の騒動を知った村の女性たちが持ち寄ってくれた品物も相当数ある。
バザーの売上げは全額教会に寄付することになっているが、ある程度の額にはなりそうだ。
また、木箱を持ったフットマンたちが芝庭を回って募金も呼びかけている——いつものミセス・グレンロスによる村の病院への募金とタイタニック号の事故の遺族への募金(例の危うくアルバートにぶつかりそうになった木箱が使われている)だ。
隣村の准男爵夫人が募る識字障害者支援募金(先進医学に関心が高い准男爵夫人は、先日の准男爵家の晩餐会でこの新しい活動について女男爵夫妻に熱心に語っていた)も呼びかけられているが、これにはちょうど良い箱がなかったと見えて麻袋が使われていた。
そして、もう一つ——。
「——いつしか私たち人類は忘れてしまっていました。私たちが神の御前において、いかに儚くとるに足らない存在かを。今、私たちがこうして平和に集えるのは神からのお恵みに他なりません」
牧師のミスター・ベントリーが会場の中心で予定通りタイタニック号の悲劇に心を寄せる説教をしていた。
彼の近くには真剣な表情で説教に聞き入る人々が集まっていた。
その周囲で秋祭りを楽しんでいた村人たちも、説教が終盤に近づくにつれて静かに耳を傾けるようになっていた。
「——海に沈んだ犠牲者に平安があらんことを。そして、遺された私たち皆が家族や隣人と愛し合い、慈しみ合って生きていくことができますよう。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン」
最後に彼が祈りを捧げると、歓談していた村人たちも、仕事中の使用人たちも、遊んでいた子供たちも立ち止まり、ただ祈った。
アルバート自身もフェドーラハットを胸に当て、軽く目を閉じて祈った。
祈りを終えた人々はまた歓談や仕事、遊びに戻っていったが、彼らが纏う空気は先ほどよりも温かく柔らかくなっていたように思えた。
アッシュブロンドの髪を撫で、帽子をかぶりなおした彼は、それを見て密かに微笑んだが——ふと自分に向けられている視線に気がついた。
催し物の場所を示す案内板の前に立っている少女が彼を見つめていた。
せいぜい15歳くらいのまだ子供らしさが残る女の子だ。
アルバートがその少女に視線を向けると、彼女は慌てて案内板に向き直ったように見えた。
少女は複数ある案内板から案内板へと視線を彷徨わせ、どこか所在なさげだ。
彼は近くにいた従者のミスター・エドガーを呼び寄せた。
「エドガー、あの女の子が困っていないか確認してきてくれ。小作人の誰かの娘だろうか?」
「かしこまりました、旦那様。……ああ、あの子は養豚農家のミス・ケリーのところのミス・エマ・ケリーですよ。皆からはミス・エムと呼ばれています。<アザミ亭>の主人が言っていましたが、叔母さんを手伝って、週に2度隣村の准男爵様のところまで肉を配達しに行っている殊勝な娘だそうです」
ミス・エムの名を聞いたアルバートは眉を上げた。
先ほど、家族の昼餐の場で虚偽広告事件について議論した際にも言及したが、彼女の絵の技術が気になっていた。
——牧師館に飾られていた彼女の水彩画は見事だった。
——あれほどの技術があれば、女男爵の正式な紋章を模写することもできるのではないだろうか?
——しかし、彼女はまだほとんど子供だ。
——広告掲載料を支払ってまで虚偽広告を掲載する動機などあるとは思えないが……。
「私も行こう。少し気になることがある」
アルバートの言葉にミスター・エドガーは微かに首を傾げたが、忠実な従者は詮索しなかった。
「何か困ったことでも?ミス・エム」
ミスター・エドガーに背後から声をかけられたミス・エムの肩が跳ねた。
彼女が振り返ったところで、アルバートは帽子を軽く持ち上げ、できるだけ穏やかに挨拶した。
「こんにちは、ミス・エム。君とは初めて会うね。先日君の叔母さんを訪ねたときには、君は留守だったから」
「こんにちは、旦那様、ミスター・エドガー。あの、その日は町の木曜市に行っていましたから……その……」
ミス・エムはしどろもどろに挨拶した。
彼女はスケッチブックを胸に抱きしめるように持っていた。
「君は絵を描くのが上手みたいだね」
「いえ、めっそうも……?ええと、『めっそう』ってこういうときに使う言葉……?」
ミス・エムの頬が真っ赤になったので、これ以上は気の毒だと思ったアルバートはエドガーに合図して会話を彼に譲ろうとしたが——。
「エム!」
どこからか走ってきた小さな男の子がミス・エムに抱きついた。
アルバートにはすぐにその子がわかった。
午前中に牧師館でも会ったダニーだ。
「やっぱり、エムも来てた!」
お気に入りのお姉さんに会えた彼の青い瞳は輝いている。
ただ、彼が抱き着いた拍子にミス・エムは持っていたスケッチブックを取り落としてしまった。
開かれた状態で地面に着地したスケッチブックには、ダニーとその傍らで眠る犬——午前中に牧師館で見た「プリンス」という名のセッター犬だ——が描かれている。
——おや?ダニーの瞳だけが青く彩色されている。
——それにしてもこのスケッチブック……随分とページが破り取られている。
——出来が悪い絵は捨ててしまうタイプなのか、もしくは……。
アルバートがそんなことを考えている間にミスター・エドガーがスケッチブックを拾い上げた。
しかし、ダニーがミス・エムの両手をとって遊び始めたので、彼女に返すことはできなかった。
「ダニー、待ちなさい!」
後から牧師夫妻とダニーの母ミセス・ブレイクが駆け寄ってきた。
「これは大変失礼しました、アルバート卿」
牧師のミスター・ベントリーがダニーをミス・エムから引きはがし、軽々と抱き上げながら言った。
後から来た牧師夫人もアルバートと挨拶を交わし、牧師が抱いているダニーの髪を撫でた。
一方、ミセス・ブレイクは一同から少し距離をとって立ち止まった。
彼女の首にはいつも通り黒いベルベットのチョーカーが巻かれている。
「お気になさらず、ミスター・ベントリー。先ほどは素晴らしい説教をありがとうございました。『家族や隣人と愛し合い、慈しみ合って生きていく』という言葉がいつにもまして心に響きました」
「ありがとうございます、アルバート卿。『愛し合い、慈しみ合って生きていく』ことこそ、人間社会の本質だと私は考えているのです」
ミスター・ベントリーは穏やかに微笑んだ。
続いて、アルバートは牧師に抱かれているダニーと視線を合わせた。
「ダニー、君はずいぶんと元気が良いね」
ダニーは、はにかんで牧師の肩に顔をうずめていた。
「ほら、ダニー、アルバート卿にご挨拶しなさい。さっき牧師館でお会いしたときには恥ずかしがってできなかったのだから」
牧師が囁き声で促した。
「こんにちは、アルバート卿」
ダニーは少し顔を上げて小声で挨拶したかと思うと、自分を抱いている牧師に向き直って言った。
「伯父さん、この人は貴族なの?」
「ダニー!やめなさい!」
アルバートは二人の様子を見て少し笑いながら答えた。
「ああ、そうみたいだよ、ダニー」
すると、ダニーは急に真剣な顔になった。
「じゃあ、エムにちゃんと絵を描くよう命令してよ。僕がお願いしてもプリンスをちゃんと描いてくれないんだ」
名指しされたミス・エムの肩が再び跳ねた。
彼女は反論するでもなく、ただ俯いていた。
「おやおや、貴族だからといって誰にも彼にも命令するわけじゃない。その責任や義務があるときだけだよ」
アルバートは苦笑し、ダニーと視線を合わせながら続けた。
「それに、ミス・エムはプリンスをちゃんと描いているじゃないか。さっきスケッチブックが落ちたときに見たよ」
すると、ダニーは器用に牧師の腕から抜け出し、ミスター・エドガーが持ったままになっていたスケッチブックを奪い取ると、躊躇いなくそれを開いた。
ミス・エムが一応「ちょっと、ダニー!」と抗議の声を上げたが、子供には全く通じなかった。
「ほら、首輪だよ。本当は首輪に『プリンス』って名前が入っているはずなのに、入れてくれないんだ」
そう言いながらダニーはスケッチブックを広げ、彼と犬の絵——先ほどと同じ絵だ——を見せた。
彼の言う通り、午前中に牧師館で見たプリンスの首輪には金属でできたプレートの部分に名前が刻印されていたのに、絵の中で眠る犬の首から覗くプレートは空欄だった。
「他はすごく上手なのに。僕だってそっくりでしょう?でも、描くときに僕の目を見つめすぎだけどね。目の色が知りたいって言うんだけどさ」
ダニーは終わりの方は独り言のように呟いた。
「ダニー、わかるでしょう?私、時間をかけて観察してからでないと描く気になれないの。だから、あなたの目もよく見させてもらったのよ。でも、プリンスはじっとなんかしてくれないから、首輪の刻印まで観察できないの!」
ミス・エムは反論したが、ダニーの関心は早くも他に移ったらしく、彼は何も言わなかった。
代わりに彼は再びミス・エムに駆け寄って、彼女の腕を引っ張った。
「ねえ、エム、どこかに遊びに行こうよ!」
「ほら、ダニー、あなたはもうすぐ5歳なのですよ?そろそろお行儀を学ばないと。学校に上がるときに困りますよ。いい子にしてちょうだい」
牧師夫人にたしなめられたダニーは「いい子」と聞いた瞬間、ミス・エムの腕を掴んでいた手を離した。
子供らしくふくふくとした頬は、似つかわしくないほど強張っていた。
「ごめんなさい、伯母さん。そうだよね。僕がいい子にしないとまたお父さんが……」
ダニーが俯いて言ったとき、一瞬空気が張り詰めた。
牧師夫人は微かに背中を緊張させ、牧師もまた黒いフロックコートの袖口を逆の手で引っ張った。
アルバートがさり気なくミセス・ブレイクに視線を向けると、彼女の指先が一瞬だけ首元のチョーカーに触れた気がした。
張り詰めた空気を和らげたのは、ミス・エムの明るい声だった。
「大丈夫よ、ダニー。ええと……私、くじ引きをしたいと思っていたんだけど……」
「じゃあ、こっちだ!」
ダニーは案内板の「くじ引き」の文字とその横に描かれた矢印を指さすと、矢印の方向に向かってミス・エムを引っ張っていった。
「あ、あの……旦那様、皆さま。失礼しますね」
一同はダニーに引きずられて行くミス・エムを見送った。
「もう、ダニーったら。でも、村に来た当初はすっかり塞いでいたのに、日を追うごとに元気が増してきていて良かったわ」
牧師夫人は苦笑しながら言って、同じく苦笑する牧師に目配せした。
アルバートもまた苦笑しながら、密かにミセス・ブレイクがいた方向に視線を向けたが、彼女はもうそこにはいなかった。
先ほどのダニーの言葉——父親のことに触れた言葉が頭から離れなかった。
■料理人
料理人のミセス・ヘイズが一番頑張りました(彼女の話もいつか書きたいです)。
ちなみに、第1部でアルバート卿の実家の侯爵家ではフランス人の男性シェフが雇われていることが描かれています。同じ貴族でも大貴族の侯爵家と中小規模の男爵家の経済格差が表れています。
また、アメリアの襲爵前の上流中産階級のグレンロス家では、男性の使用人の影がありませんでした。当時、男性使用人は供給が少なく、女性使用人に比べて賃金が高かったのです。




