第4話 ―死に損ない狂騒曲― ⑦
【貿易商エリックの回想 ②】
目を覚ますと
見慣れぬ天井
ズキズキと痛む頭を押さえながら
眠りに落ちる前の記憶を手繰り寄せる
――そうだ、昨夜はオーエン氏の屋敷に泊まったのだった。
それにしても、この頭痛はどうしたことだろう。さほど飲み過ぎた憶えはないのだが……
どうにか身を起こし、隣のベッドに目をやる。
しかし、オリビアの姿は無かった。
(朝食の支度でも手伝っているのだろうか?)
そんなことを考えながら、私は食堂へ向かった。
§ § §
「やあ、おはよう。昨晩はよく眠れましたかな?」
食堂には既に、館の主オーエンが控えていた。
挨拶を返しがてらオリビアの行方を尋ねる。
「ああ、奥方なら私の工房を見学しておられるよ。朝食を済ませたら、貴公もぜひ見ていくといい」
「工房」とはまた大仰な事だ。油彩画でも描くのだろうか。はたまた彫刻か。
多才な彼のことだ。どのような趣味を持っていたとしても不思議ではないが……
頭痛のせいで食欲が湧かないことを伝えると、オーエンは常備薬を差し出してきた。断る理由もないのでそれを飲むと、痛みは嘘のように治まった。
その瞬間、私は漠然とした不安を感じたのである。
出来るだけ早くこの屋敷から、いや、このオーエンという人物から離れたい――本能がそう告げていた。だが、何にせよオリビアと合流しないことには話が進まない。
「おかげさまで、だいぶ楽になりました。さっそく、工房を拝見したいのですが」
朝食もそこそこにそう告げると、オーエンは満足そうに頷いた。
§ § §
案内された先は、書斎であった。
(工房に向かうのではなかったか?)
訝しむ私をよそに、オーエンは本棚へ歩み寄り、その奥に隠されていた仕掛けに手をかけた。すると、壁であったはずの場所が横へと滑り、地下に続く階段が姿を現したではないか。
あまりに仰々しい仕掛に圧倒されたこともあるだろうが、階段を降りる一歩ごとにも、不安は募るばかりだった。
(このまま闇に飲み込まれ、二度と戻れなくなるのではないか?)
やがて、先を行くオーエンの足が止まった。
彼はこちらを振り返り、ごく自然な口調で言った。
「ようこそ、我が工房へ。オリビア殿は奥でお待ちだ。さあ、ついてまいられよ」
眼前には、地下とは思えぬほど広大な空間が設けられていた。
色とりどりの液体が沸騰するフラスコは、異臭のする煙を吐き出し、奇妙な形をしたガラス器具の中では、胎児のようなものが蠢いている。
鳥や犬、羊のような生物が、そこかしこで忙しそうに動き回っていた。
そして、そのどれもが “人面” を備えていたのである。
私はようやく理解した。オーエンの言う「工房」とは、芸術のための場ではなく、「華やげる知識の殿堂」――即ち魔道の研究所であったのだ。
呆然と立ち尽くす私を気にかけることもなく、魔道士は無言で歩みを進める。
地下は複数のエリアに分かれていた。階段を降りてきて最初が研究室、そしてその奥は(想像したくもないが)牢獄として使用されているようだった。鉄格子の前を通り過ぎるたび、中に囚われた何者かが、くぐもった呻き声を上げる。
「ああ、それは【死に損ない】の中でも特に低級な者たちだ。実験用にストックしてはいるが、見るに値するものではない」
事もなげにオーエンは言う。
死に損ない! もしこれが冗談でなければ、彼は神聖教会の不倶戴天の敵、死者を弄ぶ邪悪な死霊術士ということになる。
私は無意識のうちに、胸のロザリオを握りしめていた。
(ああ、天にまします上帝陛下よ、我と妻を守り給え――)
§ § §
最奥の牢。粗末な寝台の上に、オリビアは横たわっていた。
必死に声をかけたが、ほんの少しも反応しない。
「案ずるな。薬で眠っているだけだ」
死霊術士の声は、少しも威圧的ではなかった。しかし、それが逆に恐ろしかった。この男にとって私たちの存在など、牢の中の実験体と大差ないのだと思い知らされる。
私は、猫の足音のような微かな声で「なぜ、こんな真似を?」とだけ尋ねた。
その声が届いていたかも定かではないが、オーエンは言った。
「貴公に助けてもらいたいことがあるのだ。聞いていただけるか」
あまりに現実離れした状況に、私は阿呆のように頷くことしかできない。
オーエンは「結構」と顎をひと撫ですると、
「実はちょっとした気分転換に、旅行に出ようと思っていてな。行先は新大陸の――ひとまず新東京としよう。そして、これが肝心なのだが、準備はあくまで秘密裏に進めなくてはならない。貴公を頼るのは、貿易商としての手腕を見込んでのことだ。できるか?」
「……ならば、まずは妻を解放していただきたい」
私は、勇気を振り絞ってそう切り出した。
「ならぬ」
オーエンは、一切の躊躇なく拒絶した。
「オリビア殿は、貴公ら商人が言う『履行保証』として預からせていただく。無論、私が無事に目的地まで到着すればお返ししよう」
履行保証――とどのつまりは人質である。私が返答に詰まると、死霊術士は凍えるような目で私を見下した。
「私を信用できぬのか?」
そして、ゆっくりと言葉を重ねる。
「よく聞け。我こそはリオネル=ロス。この真名にかけて約定は必ず果たそう。
それから――ゆめゆめ我が名を軽んじるなよ。報いは、限りなく重いと知るがいい」




